#1561 反省・2 | プロパンガス

プロパンガス

いっしょうけんめい働いた人が
せめてビールぐらいは安心して
本物を飲める世の中をつくろう

「反省」って言葉じゃわかりにくいから、誰かもっと、的確な表現を発明してくれないかな。

反省ってさ、自分の過去の行為とか過ちとかを悔い改めることでしょ?

当時生まれてもいなかった僕に、戦争を反省しろって言われても、ムリなわけよ。

戦争した人たちと僕の共通点って、「日本人」ってこと以外、何もないわけだし。

価値観だって、全然違う人たち。

「大和民族」っていう言葉で括られることにすら、違和感を覚える。

たとえばね、南京大虐殺とかに代表されるような野蛮な行為。

それが実際にあったかどうか、あるいはどんなものだったかはともかく。

仮に中国共産党が宣伝しているようなものだったとしたら、それはきっと当時のほとんどの日本人にとっても、忌むべき恥ずべき行為だったと想うよ。

でも、国際紛争解決の手段として武力行使に訴えるいうことについては、彼らの多くは、それを正当な国家主権の発動だと考えていたわけでしょ?

しかもその価値観は戦前の軍国教育の成果なんかではなくて、ずっと以前、おそらくは鎌倉時代ぐらいまでには完全に日本に定着した考え方。

農民たちにとって、自分の田畑を踏み荒らされる戦は迷惑千万なものだったに違いないけど、逆に言えば自分自身や親類縁者が直接の被害を蒙らない限り、戦なんてものは社会の必要悪だぐらいの認識だったんじゃない?

たとえば出羽の農民にとって薩摩と大隈の戦なんてものは、悲しみの対象でも何でもなかったはず。

大昔の人たちのことは、まあ別としても、戦前の日本人には平和主義なんて発想はなかった。

少なくとも、戦争そのものを悪と考えることは、一般的ではなかった。

でしょ?

その頃の日本人と僕とでは、価値観も文化も違うわけよ。

それは、僕が堕落した日本人だからかもしれないけど、そうだとしても、彼らと僕には何の共通点も接点もない。

そんな人たちのやったことを「反省」しろって言われたって、それは無理というもの。

そもそも。

戦争の被害者であったのは、極東地域に住んでいたほとんどの人たち。

日本人の多くだって、被害者。

それを、どの国の人は被害者でどの国の人は加害者だとか、どの民族は被害者でどの民族は加害者だなんてことを言うのは、おかしな話。

どうしてそんなにも、国家とか民族というところに線を引きたがるのか。

まさにそれこそが、全体主義。

極論すれば、「日本人はあの戦争を反省すべき」だなんてことを言い出すような人こそが、あの戦争を引き起こしたということ。

国家とか、民族とか、そういうのを離れて個人と個人がお付き合いをすれば、戦争なんてものはおこらない。

個人と個人が尊重し会えば、いや、個人と個人として憎みあったとしても、戦争になんかならない。

国家とか民族とか、そんなもので個人の尊厳を十把一絡げにするところから、対立は始まる。

やめろよ、そんなの。

僕は、専守防衛主義者だ。

専守防衛のために自衛隊の増強を理念として(今は国にカネがないので無理)は推進するとともに、他人様の土地に武器を携えた兵隊さんを送ることはたとえ国際協力・人道貢献のためであってもやらない。

先の大戦のような、よその国の人たちを傷つけるようなことは、何があっても防がなければならないと考える。

だけど。

僕は、あの戦争を「反省」しない。

する・しない、ではなく、できない。

戦後生まれにもかかわらず「反省」すると言う人は、ちょっとおかしいんじゃないかと想う。

小一時間問い詰めてみたい。

一晩語り明かしたい。

いいちこぐらいならおごるから、ぜひ話を聞かせてくれ。