猿毛城


『別名』

城ノ腰城


『所在地』

新潟県上越市柿崎区城腰1278


『城主』

柿崎氏 


『遺構』

曲輪、堀跡か?


『城郭形態』

山城


『駐車場』

あり


『歴史』

猿毛城は柿崎城の詰城として柿崎氏によって築城されたと言われています。

天正6(1578)に上杉景勝と上杉景虎の間で起きた御館の乱で城主・柿崎晴家は上杉景虎を支持し、上杉景勝から柿崎家復興を約束された旧臣が柿崎晴家の子・柿崎憲家を立てて上杉景勝を支持した為、2派に分かれて激しい戦闘が行われました。 

上杉景虎を支持した柿崎晴家側は全滅し、勝利した上杉景勝を支持した柿崎憲家側は約束通り柿崎家を復興させ旧領に復帰しました。

慶長3(1598)に豊臣秀吉の命により上杉景勝が会津へ移封となった為、猿毛城は廃城となったと考えられています。


登城口 









曲輪

堀切か?

虎口





本曲輪



猿毛城は標高478.9mの城山の地にあって休憩出来る平場も少なく傾斜角もかなりあり、結構キツかったけど山頂の本曲輪からの眺めは本当に素っ晴らしくてガッツリと癒やされて来ましたよ〜😆👍


 

福島城


『別名』

なし


『所在地』

 新潟県上越市港町2-10-44(古城小学校)


『城主』

 堀氏


『遺構』

 土塁


『城郭形態』

 平城


『駐車場』

 あり


『歴史』

 福島城は慶長12(1607)に徳川家康の家臣・堀秀治によって築城されたと言われています。その後、三条城主・堀直清と坂戸城主・堀直竒の間で内紛が起き堀氏は改易となり福島城には徳川家康の6男・松平忠輝が入封しましたが慶長19(1614)に高田城を築城し居城を移した為、福島城は廃城となりました。尚、居城を移した理由は一説によると日本海の荒波の音が煩くて夜も眠れないからだと伝えられています。




石碑



解説板



古城小学校



鶴牧城


『別名』

鶴牧陣屋


『所在地』

千葉県市原市椎津461(市原市立姉崎小学校) 


『城主』

水野氏


『遺構』

なし


『城郭形態』

陣屋


『駐車場』

なし


『歴史』

鶴牧城は文政10(1827)に水野忠韶によって鶴牧藩の藩庁として築城されました。
以後、明治維新によって鶴牧藩が廃されるまで水野氏の居城となりました。


石碑


市原市立姉崎小学校 

鶴牧城は現在、市原市立姉崎小学校になっていて正門付近に石碑が建っています。