第三回 慰霊碑・慰霊塔の清掃と慰霊 最後の激戦の地にて
日本軍とアメリカ軍の
最後の戦いがあったといわれている場所にある
戦没者慰霊碑で清掃と慰霊を行いました。
ピースリンググアム理事の若葉さんの
スピーチが大変印象的で
全員が感嘆し涙を流して拝聴しました。
以下スピーチの内容です。
『7月21日にアメリカ軍が
グアム島に上陸するまでの
7月18日から20日の3日間で、
島はアメリカ軍の艦砲射撃と空爆を受けて
1310トンもの爆弾が投げ込まれました。
グアム島で戦死した日本兵は約19000名です。
昨年の東日本大震災で亡くなった尊い命、
約19000名とほぼ同数の方が
20日間という短い時間のなかで亡くなりました。
震災で亡くなった方々の家族が、
嘆き悲しみ泣き崩れる様子を
報道で目の当たりにして
戦争で亡くなった英霊の家族もまた、
全く同じ気持ちだったのではないかと思います。
グアム戦史のなかに見る写真では、
いい表現がみつからないが、亡くなった方々は
道端にゴミのように置き去りにされていました。
今もまだこのグアムの土中に眠っています。
絶対に奪われてはいけない
絶対国防圏と定められたサイパンと同様に
グアムも爆撃機(B―29)が給油することなく
日本本土を往復できる位置にあり、
アメリカに奪回されてしまっては、
日本に残してきた愛する家族、祖国を攻撃されてしまう、
家族と祖国を失ってしまうという気持ちの中で
必死に懸命に最後まで戦い抜いた方々です。
私たちが日本人としての誇りや名誉、
文化を持って生きていられるのは、
本土で地上戦が起こらなかった事、
懸命に戦い亡くなった沢山の犠牲の上にあります。
現地の人々は、
戦時中にチャモロの文化、言語、誇り、名誉を奪われ、
自分たちが何者なのかを見失いかけましたが、
今も歴史や文化を次世代に語り継いでいます。
私たち日本人も悲惨な戦争があったこと、
二度と戦争を繰り返してはならないことを
次世代に語り継いでいく必要があります。』
第三回慰霊碑・慰霊塔の清掃と慰霊 太平洋戦没者慰霊公苑
7月8日、慰霊塔、慰霊碑の清掃と慰霊を行いました。
ピースリンググアムの活動のひとつである
慰霊と慰霊碑の清掃は
NPO法人ピースリンググアム及びジャパン、
日本人会の年間行事として年2回、
7月と12月に行われています。
今回は第三回目です。
極暑のなか、清水総領事にもご参加いただき
日本人会の方々、ピースリング関係者、
日本からは遺族である
ピースリンググアムジャパン松本代表とその家族、
内藤副代表が参加しました。
岡山市 市議会議員団の方々も
清掃と御参りにご参加いただき、
慰霊塔に献花をしてくださいました。
そして偶然にも、日本から観光で
平和寺の慰霊に訪れていた方々もご参加くださいました。
『今の私たちがあるのも、
戦争で亡くなった沢山の方々の犠牲の上にあるから』
という胸が熱くなるとても有難いお話をいただきました。
黙祷後、日本人会守屋副会長のお話。
『現在、私たちが平和に豊かに生きられるのは
太平洋戦争で日本のために戦った
沢山の方々の犠牲の上に
成り立っていることを忘れてはならない。
世界に目を向けると、現在も戦争が起こっています。
7月、グアムは日本からの
解放記念日という事で盛大に慰霊祭が行われます。
この7月はそういう意味でも
戦争について考える時であります。
ずっと昔から、平和は戦争によってもたらされているが、
これからはそうあってはならないと強く思っている』
とお話しになりました。
全員でふるさとを合唱し
無念の死を遂げた御英霊の魂に捧げました。
7月7日 マネンゴン慰霊祭
グアム・マネンゴンの慰霊祭に参列をして、
御参り、献花をしました。
マネンゴンは
日本がグアム島を太平洋戦争で統治下していた時代に
現地チャモロ人を強制的に収容していた場所です。
毎年この時期になると、戦争の混乱の中で
日本軍に拷問、虐殺をされた地元民の方々の
慰霊祭が執り行われます。
地元民の方々、グアム州知事、グアム政府関係者、
米軍関係者、日本総領事、日本人学校の先生と生徒の方々、
グアム日本人会の方々、
ピースリンググアム関係者等多くの方々が参列しました。
また岡山市市議員団の方々も参列されました。
戦争は、日本とアメリカの戦いだけではなく、
現地の方々の心にも大きな悲しみを与え、
今もなおその傷が癒えることがありません。
慰霊祭では、アメリカ国家斉唱、
強制収容を強いられた高齢の女性の体験スピーチ、
鎮魂の歌も歌われました。
そしてなんと、
日本統治下に日本語を習ったという
地元民の方主導で君が代の斉唱もありました。
二度と戦争は繰り返してはいけないという
強い思いを新たに
語り継がれる歴史の重さと
当時の日本人の罪の重さとともに
現地の方々の優しい人柄にも触れ、
感動した慰霊祭でもありました。
7月グアム慰霊碑御参りと清掃のご案内
グアム日本人会主催の
慰霊塔、慰霊碑の清掃と慰霊の開催時間が決まりました。
7月8日(日) 午前9時半
ジーゴ・グアム南太平洋戦没者慰霊公苑内平和寺 集合
午後12時半 アガット戦没者慰霊碑 解散
ピースリンググアムジャパンも参加します。
ご関心のある方、ぜひお越しください。
多くの皆様のご参加を心よりお待ちしております。
ピースリンググアムジャパン 事務局
7月7日(土)はマネンゴンの慰霊祭があります。
こちらもぜひご参加ください。
事実は小説より奇なり
3月にNHKで放映された
「証言記録 兵士たちの戦争
『密林の死か捕虜か~グアム島守備隊の戦争~』」で
紹介された奇跡の帰還兵、鈴木武氏のご自宅を
松本代表、現地ピースリンググアム高木会長御夫妻と訪れた際、
帰り際に突然、鈴木氏から
『山砲兵長と若い兵隊と3人で連隊本部にいたときに
艦砲射撃を受けて山砲兵長が亡くなった。
とても体格が良く立派な方だった。
名前を聞いておけばよかった』
というお話をお聞きしました。
鈴木氏は38連隊衛生隊兵長、
亡くなった38連隊山砲兵長は、
なんと、内藤寿美子副代表の父上の清氏だったのです。
内藤副代表のご自宅に届いた戦死公報には
『マリアナ諸島』とだけ記されていて、
遺族は愛する父上の最期の場所を、
長い歳月を掛けてずっと探しておいででした。
満州から届いた父上からの手紙には
『髙木隊』に属していると記されていました。
内藤副代表はその情報を手がかりに
家族と共に何十年もかけて調査し、
厚労省で照合してもらえる情報を手に入れて、
グアム島で戦死したことがついに分かりました。
すぐにグアム島に行き、
日本軍の守備陣地だったアガット海岸を探索中、
父上が所属した髙木隊の名を刻んだ
トーチカを偶然発見。
トーチカに名前を彫ることができるのは
兵長であると推測でき、
また、刻まれた字体も内藤副代表と
とてもよく似ているそうです。
5月、内藤副代表夫妻は鈴木氏を再訪。
鈴木氏のお話では
昭和19年7月、『作戦命令伝達書』受領のため、
アリファン山にある連隊本部に
若い兵隊2名を連れて赴いた。
山砲兵長も2名の若い兵隊を連れてきていた。
連隊本部はアガット(昭和町)に入って、
道路より500メートル程登った所にある
大きな洞窟であった。
7月21日アガット湾(昭和湾)に米軍が上陸した。
後にも先にもあんなに凄まじい艦砲射撃はなかった。
大量の砲弾が物凄い音を立てて飛んできた。
そのとき『やられた!』の声を発したのは
山砲兵長であった。
まるで命中されたように直撃を受けたのは
11時頃と記憶している
ということでした。
内藤副代表は、兄たちの写真を見せ、
似ている人がいますか?
と尋ねると
父上と一番よく似ているといわれる
長男の一郎氏を指差された由。
内藤副代表は父上を、
とても尊い存在であるという強い想いを持ち、
ご家族、ご遺族、英霊に心を寄せる方々と共に
長い間、精力的に慰霊活動、
探索活動をされてきました。
ご命日の靖国神社昇殿参拝、
亡くなった時刻が11時であること、
戦後60年以上経った現在
多くの英霊の方々は、亡くなった場所、
最期の言葉がわからないなか
とても深い不思議な縁を感じます。
ピースリンググアムジャパン 広報
内藤副代表のご家族 昭和11年撮影
偶然発見したアガットのトーチカに刻まれた
髙木隊の文字
29師団司令部前にて内藤副代表と一郎氏
38連隊本部があったアリファン山
























