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事実は小説より奇なり

3月にNHKで放映された

証言記録 兵士たちの戦争

『密林の死か捕虜か~グアム島守備隊の戦争~』」で

紹介された奇跡の帰還兵、鈴木武氏のご自宅を

松本代表、現地ピースリンググアム高木会長御夫妻と訪れた際、



帰り際に突然、鈴木氏から

『山砲兵長と若い兵隊と3人で連隊本部にいたときに

艦砲射撃を受けて山砲兵長が亡くなった。

とても体格が良く立派な方だった。

名前を聞いておけばよかった』

というお話をお聞きしました。


鈴木氏は38連隊衛生隊兵長、


亡くなった38連隊山砲兵長は、



なんと、内藤寿美子副代表の父上の清氏だったのです。



内藤副代表のご自宅に届いた戦死公報には

『マリアナ諸島』とだけ記されていて、

遺族は愛する父上の最期の場所を、

長い歳月を掛けてずっと探しておいででした。



満州から届いた父上からの手紙には

『髙木隊』に属していると記されていました。


内藤副代表はその情報を手がかりに
家族と共に何十年もかけて調査し、

厚労省で照合してもらえる情報を手に入れて、

グアム島で戦死したことがついに分かりました。


すぐにグアム島に行き、

日本軍の守備陣地だったアガット海岸を探索中、

父上が所属した髙木隊の名を刻んだ

トーチカを偶然発見。



トーチカに名前を彫ることができるのは

兵長であると推測でき、

また、刻まれた字体も内藤副代表と

とてもよく似ているそうです。




5月、内藤副代表夫妻は鈴木氏を再訪。

鈴木氏のお話では

昭和19年7月、『作戦命令伝達書』受領のため、

アリファン山にある連隊本部に

若い兵隊2名を連れて赴いた。

山砲兵長も2名の若い兵隊を連れてきていた。



連隊本部はアガット(昭和町)に入って、

道路より500メートル程登った所にある

大きな洞窟であった。



7月21日アガット湾(昭和湾)に米軍が上陸した。

後にも先にもあんなに凄まじい艦砲射撃はなかった。




大量の砲弾が物凄い音を立てて飛んできた。

そのとき『やられた!』の声を発したのは

山砲兵長であった。

まるで命中されたように直撃を受けたのは

11時頃と記憶している

ということでした。



内藤副代表は、兄たちの写真を見せ、

似ている人がいますか?

と尋ねると



父上と一番よく似ているといわれる

長男の一郎氏を指差された由。



内藤副代表は父上を、

とても尊い存在であるという強い想いを持ち、

ご家族、ご遺族、英霊に心を寄せる方々と共に

長い間、精力的に慰霊活動、

探索活動をされてきました。




ご命日の靖国神社昇殿参拝、

亡くなった時刻が11時であること、



戦後60年以上経った現在

多くの英霊の方々は、亡くなった場所、

最期の言葉がわからないなか



とても深い不思議な縁を感じます。



ピースリンググアムジャパン 広報


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内藤副代表のご家族 昭和11年撮影  


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偶然発見したアガットのトーチカに刻まれた

髙木隊の文字


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29師団司令部前にて内藤副代表と一郎氏



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38連隊本部があったアリファン山