ファンマーケティングの専門家
たなかつです。
Boys be ambitious.
「少年よ、大志を抱け」
誰かがそう訳した。
しかし、経営コンサルタントの中博(なか・ひろし)先生は、
「ambitious」を「大志」と訳したのは誤訳だと言う。
「ambitiousとは、気も狂わんばかりの熱狂的な情熱のこと」
「ambitious」を辞書で引くと、
・大望のある、(…を)熱望して、野心をもって、熱望して、野心的な、意欲的な
とある。
「経営者にはミッションよりも先に強烈なパッションが必要ですな。
絵に描いた餅のようなお利口さんの志や理念では、
いざ会社が経営危機に瀕した際には、信念を曲げる言い訳に簡単に打ち負かされてしまう。
例えこれを押し通した結果に会社がなくなってしまっても、身を滅ぼすことになってしまったとしても、成し遂げたいほどの大事は何か?
命を懸けるに値する強烈な理想とする生き方は何か?
命を投げ打ってでも実現したい気も狂わんばかりの情熱はあるか?
松下幸之助、佐治敬三、森泰吉郎、大川功、中山善朗など、
私が親交の深かった往年の名経営者たちには、皆強烈なパッションがあった。
その個人的なパッションの先に、誰もが巻き込まれたくなるような理想的な社会がセットであった」
そう中先生は仰った。
そう考えると、
クラーク博士よりも以前に、
「Boys be ambitious.」
を提して時代を動かした日本人がいる。
幕末の志士たちの気も狂わんばかりの命懸けの情熱に火をつけた
長州藩の儒学者、吉田松陰先生だ。
彼は、高杉晋作や久坂玄瑞ら門下生たちを前に言い放ったあの言葉。
それこそが、「Boys be ambitious」の正確な日本語訳だと中先生は言う。
誰からも賞賛される立派な社会貢献などから、真の自己実現を逆算してみても
アンビシャスは湧いてこない。
自己実現を成し得た先に、どんな社会が広がっているのか、
誰に賞賛されなくとも自分一人の寿命で足りないならば
世代を継承してでも実現させたい社会とは何か?
パッションとミッションが、一直線に繋がった線上に
アンビシャスな生き方は在る。
あなたが燃えたがらせる
アンビシャスは何ですか?
「諸君、狂い給へ。」
── 吉田松陰(松下村塾塾主/日本の武士)