アメリカにも日本にも、一定の実務経験を積んだ後で大学の教壇に立つ「実務家教員」とでもいうべき人たちがいます。しかし、私の限られた見聞から言っても、その実態は日米でかなり異なっているようですので、少しまとめておこうと思います。
アメリカのプロフェッショナル・スクールの実務家教員達
アメリカの実務家教員の多くは、プロフェッショナル・スクールで活躍しています。プロフェッショナル・スクールは専門職の実務家を育てる課程であり、卒業した後で専門家になった人が大学に教えに来るのは比較的わかりやすいと思います。
ビジネススクール等を見ていると、こうした実務家教員には大きく分けて2つのパターンがあるようです。
- 実務家出身の講師(Lecturer):豊富な実務経験を積んだ専門家が、講師として大学の教壇に立つことがあります。多くは大学院の専門職課程を経て実務経験を積み、自らの専門性を確立された方々で、大学としてもその専門性を見込んでピンポイントで授業の開講を依頼します。「経験を積んだ弁護士が交渉論の授業を担当する」「戦略コンサルタントがコンサルティングの授業を担当する」といったパターンですね。ロースクールには、卒業生のリクルート目的も兼ねて出入りする弁護士の先生もいるようです。
実務家教員が丸ごと授業を持ってしまう場合に加えて、単発のゲストスピーカー(「大物経営者がリーダーシップ論のレクチャーに来る」等)として講義に参加することも勿論多くあります。
ただ、こうした講師たちは研究活動を行うことを期待されているわけではなく、その雇用形態もあくまでも「授業一コマいくら」で雇われる「講師」であり、その成果も、あくまでも授業のパフォーマンス(学生評価を含む)によって測定されます。日本では「専任講師」と「非常勤講師」の間に大きな違いがあるようですが、アメリカの場合には両者の間に大きな違いがあるわけではなく、ただ単に「フルタイム」とみなされるだけの授業のコマ数をこなしている人がフルタイムの講師とされているだけです。「講師」から、教育活動に加えて研究活動の対価として給与を貰う「助教授・准教授・教授(優秀な教授ほど研究に時間を使うことが多くなり、教えるにしても博士課程の教育に専念する傾向が強くなります)」に切り替わることも原則的にありません。待遇面でも、一般的に講師は助教授・准教授・教授と比べてぐっと低くなります。
なお、こうした「講師」は、プロフェッショナル・スクール以外でも多く雇っています。雇用形態は上述の通りですが、担当しているのは博士号(大学・分野によっては修士号で講師をされているケースもあるようですが)を取得した専門家です(例えば経済学であれば、中央銀行等で勤務した博士号取得者が授業を担当しているケースもあります。教えているのは普通の教科書通りの経済学ですが…)。
- Clinical Professor / Professor of Practice:ある程度の実務経験を積んだ後、大学に戻って博士号を取得し、大学に着任した人の中には、このような肩書の方がいるようです。こうした方は実務家教員(言葉としては「実務指導教員」と言った方が近いかもしれませんが)として、最小限の研究活動と、プロパーの教授陣に比べてかなり多くの教育活動に従事します。ビジネススクールであれば、例えばアクションラーニング(学生が実際に企業を訪問して経営診断を行う)のコース等も、こうした教員が担当している場合が多いです。恐らくですが、所謂Tenure(終身在職権)は得られないことが多いと思います。また、あまり詳しくは分かりませんが、医学部の場合には主に大学病院に勤務する教授陣が「Clinical Professor」と呼ばれるようです。
なお、ビジネススクールの場合には、プロパーの教授陣であっても多少の(若手時代の2-3年程度にせよ)実務経験を積んでいる場合が多いようです。
なおいずれのルートにおいても、プロフェッショナル・スクール以外で所謂「実務家教員」がポジションを得ていることはあまりないのではないかと思います。
日本の場合
上記と比較した日本の特徴として、本来研究活動の対価として給与を得ているはずの「教授」のポジションに、博士号も研究実績もない実務家教員が多く就職していることが挙げられます。また、プロフェッショナル・スクールに限らず(そもそも日本には文系分野でプロフェッショナル・スクールがあまり多くないこともありますが)、所謂リベラルアーツ分野でも官僚・マスコミ等の出身者が職を得ています。
ちょっと皮肉めいた言い方ですが、教授のポジションを得た実務家教員が、授業以外の時間をどのように使っているのか、というのは興味深いところです。専門的な論文を読んだり研究活動をしているわけでもなく、ポピュラーな評論等をしているのであれば、別に大学で給与を払う必要はなく、商業ベースに乗る範囲でやればいいだけでしょう(フリーランス等の立場でそのような評論をしている人はたくさんいますし、そういう人が書いた本や記事は私もよく読みます)。また、「フルタイムの教授として給与を貰いながら元々いた会社にも籍を残して二束のわらじを履いている」というようなケースも聞きましたが、これでは(少なからず税金からも出ている)給与のただ貰いではないか、と思われても仕方がないと思います。一コマいくらの講師の待遇ならともかく。
また、教える分野としてもかなり雑多な印象を受けます。アメリカ的な感覚で言えば、例えば「マスコミ出身者がプロフェッショナルとしてジャーナリズム論を教える(アメリカにはジャーナリズムのプロフェッショナル・スクールもあります。あまり詳しくないのでなかなか取り上げられませんが…)」といった話ならともかく、何やらリベラルアーツ分野を教えている、というのでは単純に「何で?」という話になってしまいます。
なお、アメリカにおいて「学部でリベラルアーツを勉強する」というのと、「大学で専門家としてリベラルアーツ分野を研究する」というのは全く意味が違います。詳細は以前の記事をどうぞ。
日本の場合、大学は規模的にもアメリカに比べて段違いに小さく、使える予算も限られています。その中で、研究をするどころか専門的な論文も読めない教員を教授のポジションにつけ、研究活動に従事することが前提の待遇を与えている場合なのかというと、正直のところかなり疑問です。大学の先生がグローバルな学問の世界でどのような研究が行われてるかも知らず、従って学生の方もそうしたことに触れる機会も与えられずに大人になってしまうというのでは、長期的に日本の競争力を損ね、ガラパゴス化を促進する結果にはなってしまわないかと、とても心配しています。