ヒロ斎藤40周年ヒストリー | プロレスの素

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プロレス・格闘技についての独り言、自分の素(もと)、在りのままに感じたことを書き綴るブログです。

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デビュー40周年を記念して、スポーツ報知で連載されています。

 

福留崇広氏といえば、武藤敬司の「さよならムーンサルトプレス」を執筆した方としても有名です。

 

全27話、ヒロ斉藤の真新しいエピソードばかりで面白い。

 

ヒロ斉藤はその謙虚さから一歩下がった脇役のイメージがありますが、本人はこう語っています。

 「自分のことを脇役と言われますけど、自分としては何も自分を殺して戦っているんじゃないんです。自分のスタイルをただやっているだけなんです。リング上でお客さんを意識しないって言ったらウソになりますし、自分も目立ちたいと思いますけど、じゃぁ自分が蝶野(正洋)や藤波さん、長州(力)さんのようになれるかと言えば、それは100パーセント無理なんですね。それは、自分が一番良く分かっているんです。ですから、例えば蝶野と組んでいる時で言えば、蝶野が、あれで目立っているなら自分は、ここしかないって思って戦っていました。そこでは、自分が目立っても仕方ないんですね。自分ができないことをやっても無理ですから、それだったら自分なりのやり方でどうやったら存在感を出せるかって考えてきただけなんです。それを脇役と呼ばれるなら、そうでしょうし、自分としては、それしかないと思ってやってきました」【ヒロ斎藤40周年ヒストリー】(26)「突然の脳梗塞…プロレスの極意とは」

「カルガリー・ハリケーンズ」で共に戦ったストロング・マシンも、引退時に自らを「二番手人生」と振り返っていました。

 

決して後ろ向きでなく、前向きにその必要性を理解して、自ら一歩引いた役割に徹する姿勢こそ、私はカッコよさとプロらしさを感じます。

 

ヒロ斉藤がカナダ遠征時、プロモーターから金髪を要請された際も、律儀に「日本人の金髪レスラー」の先人である上田馬之助氏に許しを請うています。

 「今も上田さんの言葉が一番、頭の中に残っているんです。それは“人と同じことやるな”っていう教えなんです。人がやったことがお客さんに受けているからといって自分も同じことをやれば、受けるっていうことはまったくないんですね。例えて言えば、蝶野がヤクザキックをやるからいいんです。武藤(敬司)がムーンサルトプレスをやるからいいんです。それを他の人が同じことをやってもダメなんですね。それは、自分の中で今も考えてやっているつもりです」【ヒロ斎藤40周年ヒストリー】(26)「突然の脳梗塞…プロレスの極意とは」

最近読んだ、上田馬之助氏の著書「金狼の遺言」にも、「セメントの実力を認める日本人レスラー」の一人にリストアップ、猪木、坂口、長州、前田、藤原、山本小鉄に続く存在だったので、その評価の高さが伺えます。

当時、私は自分のスタイルを継承するレスラーを探していたが、彼はまさにピッタリだった。だから、私はいつにも増して、容赦なく攻めた。しかし、斉藤クンは最後まで弱音を吐かなかった。あの試合の本意は、「私の座を奪うなら、力で奪え」だった。血だるまにされながらも、私からフォールを奪った斉藤クンにも自分が信じる道をとことん突き進んでほしいものである。彼は日本マット界に必要な人材だ。

最終回となる27話のタイトルは「たったひとつの後悔…永遠のアントニオ猪木」、新日に入門するきっかけとなった憧れの人でした。

 

今年4月26日に行われたドラディション興行に猪木が来場した時の、同氏への思いを綴っている。

 「あの時、試合前に本当に久しぶりに猪木さんにお会いして、挨拶させていただいたんです。その時ですね…猪木さんの顔を見た時にパッと自分の中で中学の時に初めて猪木さんの試合を見た時の自分に戻ったんですね。それで、心の中で自分自身に“何でこんなに憧れて、あれほど苦労してやっと入った新日本なのに、付け人まで務めて一緒にトレーニングもさせて頂いた人の所を出て、ある意味、裏切って、何でオレは新日本を辞めたのか。何でこんな凄い人がいた、いい会社を何で辞めたのか”って思ったんですね。今、振り返ってもなんであの時に辞めた理由が分からないんです。ですから、そこは後悔しかないんです。レスラー人生の中で唯一の後悔です」【ヒロ斎藤40周年ヒストリー】(終)「たったひとつの後悔…永遠のアントニオ猪木」

退団時は恨み、つらみが言われるところ、その真逆の「後悔」の言葉を使うレスラーはなかなかいない。

 

その律義さこそ、40年現役を続けられた秘訣だと思います。