昨日のことですが、介護施設の利用者さんを散歩に連れていくことになりました。普段もできるだけ多くの人を散歩にお連れしているのですが、毎月当番の職員が誰かを選んで連れていくことになっています。
今月は初めて自分の番だったんですが、もう大体みんな一度は外に出ていました。
あと残っているのは要介護4以上の利用者さんか、みんなにいつも罵声をあげて敬遠されている女性の利用者Sさんです。
はい、自分も例外なくその利用者Sさんにいつも大きな声でひどいこと言われています (;^_^A
誰も人生の最後に老人ホームでこんな風に過ごしたくはないと思っているはず、というか、まさか自分が人の世話になるなんて、と思う人も多いと思うんです。
人として自分の思うように生きてきた今までの人生。完ぺきとは言えないまでも、皆それぞれに人生を歩んできたはずです。
だからこそ最後になって自分の好きなように動くことも食べることもできなくなるのは想像を絶するくらい辛いことだと思います。
Sさんの部屋に入り尋ねました。「Sさん、桜一緒に見に行きましょうか?もちろん僕が一緒でも良ければですけど」
Sさんの反応は意外でした。「あんた私なんかを選んでくれたの?」
僕は何も言わずにSさんに微笑みました。でもSさんは何も返事をせずただ黙っています。
本当なら本人の意思をはっきりと聞いたうえで行動に出るべきなんですが、自分はその時どうしてもSさんを表に連れ出したい衝動に駆られ、Sさんの返事を待たずにSさんを起こし、車いすに乗せました。
施設から歩いて30分ほどのところに古民家の公園があります。桜もまだ半分残っていて、小さな小川が流れています。風もなく、とても暖かい日でした。
Sさんは糖尿病で目もあまり見えず、片足も切断しています。寝返りも打つことも出来ず、もちろん自分で食べることもできません。しかしながら意識ははっきりとしていて、物忘れもほとんどありません。
以外にもSさんは道中まるでブレーキが外れた車のようにずーっとしゃべりつずけでいました。
今までのSさんの人生。戦後、女性でありながら、日本各地を一人で旅し、旅で出会った人々と語らい、笑い、泣き、そして別れれていった人生。
旅先で出会った人々の悩みを聞き、共に喜んだ日々。
今のSさんからは(悪いけど)全く想像が付きません。
そして古民家の大きな桜の木の下に着きました。僕はSさんの車いすの横に座って何も言わずにSさんと桜をしばらく見ていました。
Sさんがポツリ「楽しかった...私の人生...」
Sさんが皆にいつも罵声を浴びせるのは、人生の余りにも大きすぎるギャップに対し、それを受け入れることができていないからだろうか。
そこにただいてあげる、そんな単純なことで人って繋がり、そして癒されてしまう。結局自分を癒すのは最終的には自分自身。
Sさんは人生の最期の瞬間が来る前に自分を許し、癒すことができるのだろうか。
施設に戻ったSさん、今日も相変わらず皆に罵声浴びせています...
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。m(u_u)m