1週間ほど仕事で堺をまわりましたが、御陵や古墳を多く見かけました。しかも市街地に溶け込みながら点在しています。
先日お詣りした方違神社のすぐ南側は反正天皇陵です。
御陵のそばには天皇に仕えて時の政権にいた人物のものでしょう、規模の小さい古墳があります。
これも方墳がよく形を残していると思ったのですが、丘の上に洋風の門があり様子が違います。
案内板によれば明治43年から約50年間、堺の上水道配水池の役割を担った建物とありました。
当時の最新の建材のレンガを用い、正面入口には凱旋門風のデザインを採用するなど、そのデザインと施工技術の優秀さから価値の高い建物で、国の登録有形文化財になっているそうです。
水道や電力の普及は明治後期から大正期の国家的事業なので、施設はレンガ造りの堅固ななものが多いのですが、ここもそのひとつです。
ここだけ切り取って見ると、日本の光景ではないようですね。