このところスピリチュアル・イベントが続いている私ですが、
今回はヒプノセラピーの体験会に行ってきました。
今回も志麻先生の教え子の方です。ふふ!(´∀`*) 嬉しい!

実はヒプノは十年くらい前に真面目に受けた事があり、
全く映像が浮かばなかったワタクシ。

森の中を進んでゆくと扉があり・・・その奥の階段を降りてゆくと・・・
 
という方法では全く見えなかったのです。

後に友人が「森の中の館の階段をずっと降りるというシチュエーションが
西洋的アイディア過ぎるんだよね。日本の建築でそんなのないじゃない、イメージしづらいよ」
と言っていたことがありましたが、私も階段降りるイメージでは『一番底に着きました』と
セラピストさんに言われたとき、「まだ階段を降りてるのに・・・」と焦ってしまったりして・・・。
うまくいかなかったんですね。

しかし、志麻さんからヒプノで行うイメージは映像である必要は必ずしもなく
感情や匂いといったシグナルもあれば、画像でも漫画の線画でも良いと聞いて、
線画程度でいいなら、大丈夫かも!と急に自信が出てきました。

私・・・イメージする映像の細部の再現が完全じゃ無いことが不安だったのです。
本当に私の魂に刻まれた記憶なら、明晰に見えるはずだと思っていたので(^_^;)。
(テレビとかで再現しているものを見ちゃうと、ハードルあがりますよね。
あんなの見えないもの。)

今回セッションをしてくださるセラピストは水野さんです。
インナーチャイルド、過去世の両方との出会いを体験し
最後に次の転生を行う前の状態からのメッセージを受け取るワークになります。

インナーチャイルドといえば、私は家で静かに一人遊びしている
5歳くらいの自分が出てくるのではないかと想像していました。

しかし、実際ワークを始めてみると出てきたのは・・・

ペコちゃん人形でした。
5歳児くらいの女の子で、顔だけがペコちゃんなのです。

え・・・。
これは子供のエネルギーのアイコン・・・なんですかね。

私自身はおとなしく遊んでいることが多かったと記憶しているのですが、
このインナーチャイルドとして現れたペコちゃんはちっとも落ち着きがありません。
そのへんを走っていたかと思えば、私の脚に絡みついてぐるぐる回ったり、また離れて走ったり。
ま、子供なんて本来こんなものですけど(*゚▽゚*)。

ゴッコ遊びしたかと思うと、笹舟を沢山作って川に流し、
走り出したかと思うと急旋回するように何か別のことをやり・・・
子供らしい落ち着きのなさに、なんだか笑えてしまいました。

不思議だったのはこの子供が甘えられる場所へ行くというワークの最中に
ペコちゃんは母親の腕の中にいる赤ん坊に退行してしまったのですが、
その時急に背後に闇が広がったのです。
そしてその向こうに爬虫類のような気味の悪い目が見えてきました。

それは現れると消え、消えたと思うとまた別の場所に現れ、
一つとして同じ形をしていないのでした。
これは、特定の生きているものの目では無い、むしろ魍魎。
色色な憎しみや妬みが合わさってネガティブなエネルギーの集合体として現れているのだという
考えが伝わってきました。

どうやら本来はそのようなものを見る予定は無かったようなので
セラピストさんの誘導に従って、ペコちゃんのところへ戻って会話を続けることになりましたが
闇の中に次々に現れた不気味な目に強い印象が残りました。

インナーチャイルドのセッションの終わりでは子供から言葉をもらう事になっています。
私はこんな小さな子供からもらうものは特にないなあ・・・と思っていましたが、
一応ペコちゃんに言葉をかけてみると、子供は地面に何かしきりに書いている最中でした。
そして、私のほうを見上げもせず「きっと幸せになるから、大丈夫だよ!」と言うのでした。

丁度子供が何かをやりながら、他の人間に向けて話しかけていることがあるように
この小さな子は、一心に遊んでいながらも私への言葉として
「きっと幸せになるから、大丈夫だよ」「大丈夫だよ」と何度も大きな声で言い続けているのでした。
 

幼い子供が一生懸命そんな事をいっている様が私には可憐に思えて
むしろペコちゃんを「心配しなくても大丈夫よ」と抱きしめてあげたいと思いました。

ペコちゃんは別れ際に何かをくれるというので、手渡されたものを見ると
白く光る玉のようなものでした。
何に使うの?と聞いたところ、「食べると元気になる」と言って私を見上げてニッと笑い、
「またね~。また遊んでね~。」といいながら、大きな光の中を駆け去ってしまいました。

あ、行ってしまった・・・と思った時の子供の顔は、幼い日の私の顔になっていました。

私は幼い頃、周囲に一緒に遊ぶ人が中々おらず、ちょっと寂しい思いをしていたと記憶しているのですが
こうしてインナーチャイルドとしての私を見てみると、むしろ強い想像力を充分に広げて
活発に遊んでいる様子が伺われ、これはこれでこの子には必要な時間だったのかもしれませんね。

(前世療法につづく・・・)

今回のリーディングは、スクールの「卒業」記念ということだったので
過去世の話や品物のサイコメトリーも行って下さいました。

過去世のリーディングでは、思いもよらなかったことが伝えられてビックリです。

金子さんに見える私の過去世は、次のようなものでした。
「日本において、戦略家の『殿』と呼ばれる為政者だった事があるようです。
多くの側室をはべらせていましたが、その誰もを特に愛していませんでした。」

この言葉を聞いたとき、私には
『殿』は殺されたろう、という思いが心に浮かびました。

すると金子さんは言葉を続けて
「『殿』は結果として側室の一人に殺されました。」と言うのです。

不思議なことに私はそれを聞いた瞬間
「しかし、『殿』は側室の方を恨んではおるまいよ」という言葉が浮かんできたのです。

金子さんは静かに話を続けました。
「『殿』は側室の方が殺しに来たことを恨んではおりません。
ただ、とても驚いたようです。
その人生の中で、そこまでの愛着をもって(それが憎しみに変わったとしても)
誰かが自分を強く思っていた事を知らなかったようです。
『殿』は冷淡な心に育ったいきさつがあるようです。
その一生において、愛を理解する機会がありませんでした。」

・・・(゚o゚)。
このストーリーを聞いて、私は「だから、そうなのか!」と思い至るものがありました。

随分小さい頃から私は、「大切に出来ないと分かっている人と付き合ってはならない。
その人を幸せに出来ないから」と堅く思っているところがありました。

誰かに言われたのではなく、不思議と自分の中で強く信念として持っているものだったのですが、
この『殿』の話で「そうだからなんだ・・・」と、何だかほっとしたように感じました。
この感覚は自分への小さな理解と納得のようなものかもしれません。

「『殿』の過去世が私に伝えていることは何でしょうか?」
私は金子さんに聞いてみました。

「・・・人の情を大切にせよ。と伝えています。」

『殿』、今世の私はわかっていますから安心して下さい(*^~^*)。

さて、サイコメトリーのほうは、「まさに!」と感じる事が満載で、こちらも楽しいものでした。

私はお気に入りの水晶のネックレスがあるのですが
友人の一人が「水晶をジャラジャラと。なんかウザイ!」と言い出したことがあり、
水晶になじまない一般人には「ジャラジャラ」つけていると警戒されるのかしら・・・と
しばらく付けるのを控えていました。

それを見ていただくと
「とても強い石。良くも悪くも、つけている人の波動を大きく伝えます。
怒りや高ぶった感情があるときは、つけないほうが良いでしょう」という説明でした。

なるほど、一部の人にはこの石ゆえに、私が大きく主張しているように感じるのですね。
「いい石ですけど、取り扱い注意の石ですね(*゚▽゚*)」と金子さんと二人で笑いました。

もう一つ青いガラスのペンダントも持っていたので、それも見ていただくと、
「芸術のエネルギーが高く、どこかの湖、水のようなものを感じる。
いろいろなものを吸収する力。何かを制作するときにつけるといいかも」
とのこと。

こちらのほうは、素材がベネチアのムラーノ島のビーズなのです。
ムラーノ島は湖に見えても不思議はないくらい、遠浅の海に囲まれた場所と聞きます。
ベネチアングラスの技術者のエネルギーが、このペンダントには流れているのかもしれません。
これは美術展やコンサートの時などにつけることに決めました(*゜▽゜*)。

こうして金子さんとのセッションは終わりました。
聞きたい事が沢山出てきてしまい、時間はあっという間に過ぎてしまいます。

スピリチュアル・リーディングは、本来的に個人的な情報なので
他者には説明しずらい部分がありますが、そのリーディングの中に
自分の思い癖や過去の体験に対してひらめくものがあって
ある意味「氷解した」と感じ、不思議と心和むものです。
小さなカタルシスが、自分への理解と安心につながるのでしょうね。

(終わり)
夏というのは子供達には生命の萌える季節なのでしょうが
大人になってしまって時間の経った私には、
それまでの季節を振り返る魂の季節のように感じます。

終戦の日や、お盆が近いからかもしれませんね。

さて、そんな季節に尊敬するスピリチュアル・カウンセラーの志麻さんから、
志麻さんのスクールで勉強された方々の卒業リーディング会のご案内をいただき、
とても興味深かったので、参加させていただきました。

志麻さんにお会いしたのは7年前でしょうか、その圧倒的なリーディング力を拝見し
凄い方がいらっしゃるのだとびっくりしたものです。

さて、そのスクールの卒業生の方とは・・・どのような方々なのか。
興味深々で会場に入ると、私の担当の金子智子さんという方が待っていてくださいました。

物静かな落ち着いたたたずまいの方で、瞑想するように私のオーラとチャクラの情報を読み解いてゆきます。
方法は志麻さんと同様に、オーラの色を色鉛筆で紙に書き込むスタイルです。

驚いたのは、始まってすぐに私の喉のオーラがグレーであると言葉にされた事でした。

「自分の気持ちを言わないようにしているというか、閉じてしまっているのですね。
伝えないようにしていて・・・ホンネを言わないようにしているようです。
月1回でも本当に心の内を話せる友人とあってホンネを口にするだけでも
喉の詰まりが取れるでしょう」

・・・そのとおり。
私はホンネを気楽に話す人間であったけれど、この数年、もはや本音など言って
一体なんになるだろうという・・・落胆したような諦念があったのです。
喉のオーラの色は、そんな私の思いを反映したものでした。

「でも、体全体から発せられる色は、紫と黄色なんですよ。
黄色の中に、「自分の行きたい場所へ、迷わず行きなさい」というメッセージがあるようです」

「そして面白い事に、黄色のカラーは足の裏からも放たれていて(*^~^*)、
どうやらそういう場所へ自然と足が連れて行ってくれるようです」

嬉しいなあ。そう言っていただけると(*゚▽゚*)。
 
チャクラのリーディングでは、それぞれのチャクラから発せられる色と
その活性化度、そのチャクラのテーマを読み取ります。

何故か私は第1チャクラからもターコイズブルーの色が出ている事に微笑みました。
ターコイズブルーは私のメインカラーとしてよく出て来るのです。

自分ではグラウンディングの力が弱いと思っていたのですが
金子さんのリーディングでは80%を超える強い活性化を示しているとのこと。

「相当パワーがあるんですよ・・・。でも、その中に怒りのパワーが強いようですね。
この怒りは、物事を推し進める燃料にもなるので、うまく使ってください」
・・・(^_^;)。私は必ず怒りのパワーがどこかに隠れているようです。

しかし、エネルギーはどの方向に向かって発露するかが重要であり、まさに燃料であるので、
賢い使い方を考える必要がありますね。

第3チャクラや第4チャクラは、喉のオーラの影響でやはり活性度は低く(悲しんでいるのですね)、
頭頂部へゆくとまた高くなっているようでした。

心臓のチャクラで「大泣きしている女の子が出てきます。
楽しみにしていた場所へゆく約束を破られたと、声をあげて泣いています。
どうやら美しい海、紅い花が咲いている場所のようです。
心当たりはありませんか」
というメッセージでがありましたが、「・・・・」。

このイメージは記憶の底をさらっても出てきませんでした。
大人になってからは南国の島も日焼けが嫌いな私は寄り付きませんし・・・
いつかこの場所がどこかわかるのでしょうかね。

金子さん曰く「今は自分でそれを叶えてあげられるので、折を見て行ってみると
いいのではないでしょうか。そこへゆく中で気づきがあるようです」というお話でした。

チャクラの一つ一つから現在の私に対する優しい言葉があり、
そして今後へのメッセージがありました。

「慎重にしなくてはいけないという思いを緩めて、安心して進んでいいのですよ」

でも、こういう言葉をいただくたびに、思っちゃうんですよね。
「何に安心したら、いいの? どこへ進めばいいの?(;_;)」
ふとそれを口にしたとき、金子さんと目があって思わず笑いが私の中に起こりました。

「足の裏の、黄色いオーラが進むべき場所に連れて行ってくれると
信じてもいいかもしれませんね(*゚▽゚*)」

つづく・・・
仕事でバタバタしたり、その合間をぬって試験など受けたり。
長くかけずにいました。

用事のあとに神社に詣で出てこようと思っていた日曜日。
明日は夏越しの大祓えだなと思いながら電車に乗ったときは、爽やかな6月の晴れ空。

ところがほんの10分もすると、品川あたりで視界0mといっていいほどの大雨。
電車が嵐の中に突っ込んだといっても過言ではないでしょう。
こんなひどい雨って、人生で何度も遭ってないかも・・・。
あまりのひどさに山手線も脱線するのではないかと椅子のパイプをつかみました。

雷に暴風。
停車する度に吹き込む雨。

外に出るわけにもいかずそのまま乗っていましたが、
参拝しよう考えた神社の最寄り駅では・・・雨は上がっていたのです。

そうね。
人生もそんなものかもしれない。
ひどい嵐も上手にどこかに身を寄せていれば、
雨にも濡れず安全に、目的地にいけるのね。
私は、雨の中や雪の中を、気短に出発しては嘆いている(^~^)。

日曜日の雨は浄化の象徴なのでしょうか。
それだとしたら、随分と派手に降ったものです。
神社の階段には滝のように境内から雨水が流れていました。

雨の後の静かな神社で祈ります。
半年過ぎました。
ありがとうございました。
明日からまた、頑張ります。
この前の日曜日を、キリスト教では「枝の主日」というそうです

この日、一人の宗教家が大歓迎の中エルサレムにつき・・・
5日後、この人は十字架の上で最期のときをむかえます。

2000年前のキリスト受難のお話。


私はふと、2000年ほど前にこの人が宿命の町へ到着したという事と
今宇宙で星々が重なり合いグランドクロスを形成しつつあることに
一つのcoincidence=偶然の一致 を思っています。


そして今夜、満月。

こういうとき、星は何かを表しているのでしょうか。
グランドクロスは破滅の予兆という人もいるけれど・・・。
そんなことを思いながらツイッターを見ていて、
次の言葉が目にとまりました。


~キリスト教で言う「復活」とは、死んだ人が実際蘇りましたというお話ではない。。
もはや終わりと思えた事でも、「復活」のときは必ず訪れるという信念だ。
困難に襲われても、人には必ず立ち上がる機会が待っている。
その教えが「復活祭」に表れているのだ~


ああ、そうだった。
イエスは死んだのではなく、「復活」したのでしたね。


この4月の星のめぐりは、我々が復活のときを迎えるという印。
それは、次の日曜日の復活祭と共時性を示している。
そう思うと、そこにいる私自身も、新たな時を迎えて飛翔できるのでは、
と思いながら・・・月を見ています。