本来ならSGT富士戦へ行ったお話をするところなんですが
やっぱり触れずにはいられない残念なニュース
今週の月曜 7日に 初代「ゴジラ」から「ゴジラ対ガイガン」まで昭和のゴジラを
そしてそれ以外にも特撮怪獣や多くのウルトラ怪獣を演じてきた俳優兼スーツアクターの中島春雄さんがお亡くなりになりました。
あたりまえですが、いつかはやってくるんですよね
心よりご冥福をお祈りいたします。
小学生の頃、ゴジラになりたかった。
なりたいって言うよりゴジラの中に入りたかった、演じたかった。
公園で同級生と怪獣ごっこしていても いつもやるのはゴジラ。
だって誰にも負けないから
負けないっていうのは強いって事じゃなくって
尻尾を引きずってる風の歩き方、手の構え、顔の上げ方、鳴き声の真似までと
なりきってたからね。
そして記憶の中では実際に中島さんとお会いしたのは多分この時でしょうか
「地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン」のセットにて
といってもお顔は当然拝見出来てないわけですが
握手した時好きすぎてゴジラの指をつかんで離さなかったなぁ~
で、ちゃんとお顔を拝見出来たのは、中島さんか役者をお辞めになって東宝の関係会社へ出向された時ですね。
成城の東宝ボウルが閉鎖された後に営業を開始した東宝日曜大工センターで、レジ付近にいた中島さんを「あの人がゴジラに入っていた人だよ」と親父から教えてもらいました。
やっぱりこの時もなんだか寂しいような気持ちがしましたねぇ~
サラリーマンではよくある世界なんでしょうが。
その時はそんな世界知りませんでしたけど。
実際、親父も定年間近に会社へ残る決断をした時、同様に大工センターに出向させられましたから
その時代は、かつて黒澤作品やゴジラシリーズなど名作ををどれだけやろうが、技術を持っていようが映画の仕事を続けたければ会社を辞めてフリーにならなければならない。
会社を辞めたくなければその技術を若い人に伝承することなく関係会社への出向か本社での営業業務など少なくとも今迄の経験を生かすことのない場所へと配置転換され、そして撮影所には経験を積んだ技術者が誰も居なくなるという。
なんとも寂しい話ですが、企業の在り方としてはその時々の状況から間違ってはいないんですよねぇ~
なんだかなぁ~ですが
僕の現在の会社にも出向者の方がいらっしゃいました。
みなさん既に定年されたり他界されたり。
ますばこのお方
東宝撮影所で製作部のバイトをしていた時に大変お世話になった藤田昭さん。
出向後は現在の会社でも引き続きお世話になった恩人です。
撮影所では「兄い」 とスタッフの誰からも慕われていた方でした。
そんな藤田さんはかつて特機(クレーンや移動車など特殊機械を扱う部署)にいたんですが、そこではこんな事も
「地球最大の決戦」でラドンを操ってます
で、板橋の事業所にいた頃は隣のプリントセンターにこの方がいらっしゃいました
唐沢プリントセンター所長
唐沢さんはかつて円谷組の撮影助手だったんですよ
出向後ではありますが、なにげにそんな方たちと一緒に仕事をさせていただきました。
あ~今から思うと当時のお話をたくさん伺っておけば良かったなぁ~と少し後悔しております。
そんな方たちが一生懸命取り組まれた作品はこれからも永遠に残っていきますから、今後も良き時代の想いを感じていきたいですね。