「ゆとり」について思う事 | Salon.de.Yからの贈りもの〜大事な事は全てお姫様達が教えてくれた。毎日を豊かに生きるコツ

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元ワイン講師であり歴史家。テーブルデコレーションを習いに行った筈が、フランス貴族に伝わる伝統の作法を習う事になったのを機に、お姫様目線で歴史を考察し、現代女性の生きるヒントを綴ったブログ。また宝石や精神性を高め人生の波に乗る生き方を提唱しています。

会社員を離れ仕事の仕方が変わってつくづく感じるのは「ゆとり」です。

 

私事ですが、現役時代は時間的にも精神的にも全くゆとりがありませんでした。

都内ならいざ知らず、首都圏に住んでいると通勤に時間的余裕を含めて往復約3時間。

8時半から始まる職場でしたので、朝は5時20分に起きて、就寝は24時がやっとです。

 

まぁ、お弁当を持っていかず、家の前の道や庭が汚れていても掃除をしない等、徹底して手を抜けばもっと楽でしょうけれど…。

 

週末も普段出来ない家事をすればあっという間です。

 

この様に常に時間に追われていたので、ご近所の方と偶々立ち話になろうものなら、「あぁ、もう30分過ぎた。買い物に行かないといけないのに…」等と、相手の話に気もそぞろです。

 

好きで参加をしているとは言え、仕事終わりにセミナーに出席した時は、どの位睡眠時間が確保出来るか時間との闘い。


何度クォンタムジャンプして、一目散に帰った事か。

 

しかも、その様な時に限って、気が上がっているのか中々眠りに付けなくて…。

 

多分、お仕事をされている多くの方は似たり寄ったりではないでしょうか?

 

この様な状態でしたので、3月に2週間ほど有休消化をした際、道で会った近所の方と会話を楽しんだり、近所の掲示板で街の様子を知るなど、時間に追われないって、こんなに豊かなんだぁ、と痛感しました。

 

気持ちにゆとりがなかったのでしょうね。

 

それ迄は、目の前をチンタラチンタラ歩かれた日には「っチッ!」って思いましたし、毎朝の様に電車が遅れれば「もぉ勘弁してよぉ」とムッとしたり、常にイライラしていました。

 

それが今では、モタモタしている人がいても「イイのよぉ~」なんて穏やかですもん。

 

雨が降っても、それ迄は「ったく、雨かよ!もう会社行きたくなーい」と思っていたのが「雨なんだね。それなら天候に合わせて行動しよう」と……昔の人や農業をされている人は、こんな風に自然に合わせてヤキモキせずに暮らしていたのでしょうね。何だか、心が健全な気がします。

 

私は会社員生活を振り返って、あの頃はホントゆとりがなかったんだなぁ、としみじみと思います。

 

現代社会って、仕事にしても家事にしても昔に比べて数段便利になっていて、本来ならもっと時間的にも精神的にもゆとりが出来る筈なのに、逆に物理的にも精神的にも負荷がかかっている様な気がします。

 

例えばゴム風船の様に伸縮性のある入れ物にモノを詰め込んだのは良いけれど、詰め込み過ぎて不格好に出っ張りが出てしまっているかの様です。

 

個人的な意見ですが、私は時々「そりゃ、そうだよね」と思う事があります。

だって、昭和初期の高度成長期のやり方をずっと継承しているんだもーん。

別に政府のせいにする訳ではないけれど、なんでもお金ありきなんですよね、解決策も。

 

例えば国は子育て支援と言ってお金で解決しようとしているけれど、効果が出ていませんよね。

 

確かに金銭的支援も良いと思います。

 

でも、いくら託児所を増やそうが、児童手当が出ようが、ご両親は時間に追われて体力的にも大変だと思います。

 

そこに加えて、保育所や学校、職場で関わる方々との間で摩擦が起きたりもするようです。

 

子供がいない私が言うのも僭越ですが、実際に育児をした事がない政府のご重臣達の机上の考え方と現実は全く違います。

 

あの方達の世代は、女性は専業主婦で家にいて、中にはお祖父ちゃんお祖母ちゃんと同居していた世帯が多かったと思います。

 

そりゃ子育てを巡って対立をする事はあったかも知れませんが、何かあっても身近に手を貸してくれる方がいて、大変ではあったけれど、それでも子供の手が離れるまで育児に専念する余裕はあったと思うんですね。

 

そんな昭和の高度成長期の感覚が抜けないまま、財政の収入源の為に、やれ働け、子供を産め、その為には結婚しろと言われても、若い世代にはピンと来ませんよ。

 

私の同僚で今ほど産休・育休に手厚くない時代に3人の子のママになった方がいました。

 

私の勤め先はネットなどで言われている様なギスギスした様な雰囲気はなく、周囲も協力的だった様に思いますが、それでも彼女は保育園から連絡が来た翌日や「朝、咳をしていたから午後に保育園から連絡が来ちゃうかも…」と言う日は、手持ちの仕事を片付けておこうとお昼休みを少し早めに切り上げて仕事をされていました。

 

政府はそれなら男性も育休を取らせればよいんだろう⁉と言いますが、人が増えたって経験が浅い2人が力を合わせて、その上自分達の生活も成り立たせるわけですから大変ですよ。

 

しかも、育休は休みじゃないんだから資格を取れと言う様ですから本末転倒じゃないですか?

 

子供の誕生を願っても、仕事に復帰すれば職場の周りに気を使い、体調を崩せば保育園から連絡が来る、お迎えに行って食事をさせて…クタクタになって1日が終わる事を考えたら、第2子、第3子と願っても躊躇してしまう事でしょう。

 

「ゆとり」の問題はそれだけではないと思います。

 

産休・育休に入るには、その間派遣さんを雇うにしても、人事異動を行うにして、仕事分担の再編成が必要となります。

 

そこで負担が増える人もいるでしょう。

 

「迷惑をかけない様にしなくちゃ」と思う人、仕事量が増えて忙しくなった人、お互い「そんなつもりで言った訳じゃ…」と言う言葉のすれ違いが「あの人は、こう思っているんだ…」と言う様にお互いの主観で違う方向に行ってしまう。

 

それが受け取り様や言い方によってはハラスメントまがいになってしまう恐れがあると思うんです。

 

そして……今なにかとハラスメントが多いですよね。

 

このハラスメント自体、気持ちにゆとりがないから他者を攻撃してしまうと思うんですよ。

 

私が勤めていた職場は総じて優しい人が多い勤め先でしたが、大人の世界でも確実に苛めは存在しますし、パワハラも存在すれば、ネグレクトと言うのか上司の無関心もあります。

勿論、社員は年に1度企業研修を受けされられますし、度々eラーニングを受講させられますけどね。

 

それでも、ハラスメントは行っている方に自覚がなく、また受けた方の取り方によって判断基準が違う事もあり簡単には無くならない(世間一般論として)のでしょう。

 

そう、ハラスメントと言葉を変えても、結局は苛めなんです。

 

コンプレックスを抱えた人が自分の立ち位置を確保したい為、ストレスを抱えた人がうっぷんを晴らす為、苛めの裏にはその人が抱えている心の闇がありますし、本人は認めたくないので何が原因になっているか直視出来ないんですね。(私は本人たちを見ていてそう感じます)

 

更に悪い事に、そのような質の悪い人が暴れると面倒なので、周りがその問題児に合わせたり、見て見ぬふりをするからターゲットは我慢せざるを得ない。

 

それじゃ苛めをしている人は悪人かと言うと、彼らも自分は認められていないとか、居場所がない、部下と上司の板挟みになっている、ノルマに苦しいなど、精神的にゆとりがないのだと思います。

 

現代社会は色々な面で、立ち行かなくなっている事が沢山あります。

 

例えて言うなら、サザエさんの家の様な平屋にお父さん・お母さんが住んでいて、子供が生まれ、その子供に子供が生まれ、と家族が増える度に客間を子供部屋にし、子供部屋をさらに分けてと、もうスペースが無いのにギュウギュウになりながら暮らしているのが今の日本の状況だと想像してみてください。

 

この平屋に当たるのが戦後日本が復興した頃の経済社会であり縦社会のやり方です。

それをベースに問題が生じる事に小手先で改善を加えて行く…つまり母屋を広げず部屋だけ増築してきたツケが出て来ているような気がします。

 

龍馬さんが「この国は一度洗濯せにゃいかんぜよ」と言った(?)様に、この大きな平屋を一度更地にしてドーンとビルにしちゃえば大分スペースが出来るのにねっ、て思うのですが…道は険しいけれど、きっと龍馬さん達幕末の方々は「一度更地にせにゃいかんぜよ」位の感覚で邁進したのかも知れませんよ。

 

政府が変わるのは一番最後です。

 

では、私達に何が出来るのか?

 

政党選びを慎重に行うのか?

 

「ゆとりがない」とは単なる周波数です。

 

私達はゆとりがないと言うと、お金がない、時間がない、能力がない奴と見られたくない等と言った現象を見て、ゆとりがないと感じます。

 

つまり、起きている事に「〇〇がないから不安」とか、無能と思われる事の恐れ・無価値観等といった周波数をくっ付けているだけだと思いませんか?

 

先ずは、自分の内側と向き合ってみて欲しいのです。

 

すると、本当にそれが起こっているか、本当に不足しているのか?もし不足しているのなら優先順位は何か、どうすればプラスに出来るか、あるべき方向が見えてくる筈です。

 

その上で自分がどう動けば良いのかが見えてくればスッキリしませんか?

少なくとも不安に飲まれて他人にストレスをぶつける事もなくなるでしょう。

 

子育てにしても、ご両親が近くに居なくても、もしかしたら子育てを終えた近所の方が手を貸してくれるかも知れません。

 

もっと言えば、子供を地域皆で育てる、サポートすると言う方法が出てくるかも知れません。

 

それには信用が必要ですし、「この方法(私のやり方じゃないと)ダメなの!」と言う様な執着を手放す事も必要になります。

 

その様な関係性を作っていく事も、自分の内側と対峙して自分にとって何がより良い方法なのか、最高最善の着地点に行く為に手放せるモノがあるか等、最適解を見つける事が大事です。

 

今世の中で問題になっている事は、他人の問題ではなく、その問題を通して自分はどうなのか?

自分の中に何か手放すべき周波数はないのか、を突き付けられているように感じます。

 

少しだけ気持ちにゆとりを持ってみて下さい。空間があれば殆どの事が解決できると思います。

 

人間の体の内部だって、意外と空間が多いそうですよ。

 


  

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