おじいちゃん・おばあちゃんになれる事の幸せ | Salon.de.Yからの贈りもの〜大事な事は全てお姫様達が教えてくれた。毎日を豊かに生きるコツ

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元ワイン講師であり歴史家。テーブルデコレーションを習いに行った筈が、フランス貴族に伝わる伝統の作法を習う事になったのを機に、お姫様目線で歴史を考察し、現代女性の生きるヒントを綴ったブログ。また宝石や精神性を高め人生の波に乗る生き方を提唱しています。

新年おめでとうございます。
今年も宜しくお願いします。

さて年明け最初の投稿は…

ペンキ画家としてアフリカはタンザニアにあるブンジュ村で修行をされたSHOGENNさん。


ひすいこたろう氏との共作「今日、誰のために生きる?」は、絶対にオススメの一冊。

本題に入る前に少しご紹介をさせて頂くと、

ある日京都の雑貨屋さんに立ち寄ったSHOGENさんは、初めて見たティンガティンガアートに魅せられ、その日の内にアフリカ行きのチケットを購入し、翌日会社には会社を辞め、ペンキ画家としての一歩を踏み出します。

SHOGENさんは至って普通の日本男児。いいえ、むしろキチンとした好青年の部類に入る事でしょう。

しかし、

ブンジュ村では「これ迄聞いてきた日本人じゃない‼︎あれが日本人かと思うと情けない」と泣き出すおばあちゃんが現われる程、彼らが描いていた日本人とは別次元の存在だったのだそうです。

と言うのも、村の村長さんのお祖父さんはシャーマン(覚醒遺伝でシャーマン体質が現われるとの事)で、夢の中で日本人から本来の人としての在り方を習い、それを村で実践する事で村人達は最高にハッピーに暮らしていると言う。

外国人を見るのも、外国人を迎えるのもSHOGENさんが初めてのブンジュ村。

SHOGENさんは「シャーマンのおじいちゃんが夢の中で交信していた日本人はどんな日本人やった?」と聞くと、地面に穴を掘って竪穴式住居に住んでいて、女性や木の実の像や土器を作って生活をしていたと言う。

どうやら縄文時代の人と交信をしていたのだとか。

そんな摩訶不思議なブンジュ村。
SHOGENさんが朝起きると「おはよう。SHOGENは今日誰の為に生きる?私は自分の為に生きるから、また夕ご飯時に会おうね」これが彼らの朝の挨拶なんだそうです。

しかも、3歳の子が…ですよ。

他にも、少しずつスワヒリ語が分かる様になり、村に溶け込もうと子供達に話しかけると「SHOGENとは話したくない」と言われたのだとか。

「何で?」と聞くと「SHOGENの話しは、今日どこへ行く?今晩何食べる?って作業の話しかしないよね。僕たちはそれを食べて心がどう動いたか、それを見てどう感じたか、心の動きを聞きたいんだよ。それが出来る迄SHOGENとは話さない」と

他にも3歳の女の子ザイちゃんから「SHOGENの言葉には体温が感じられない。人に話す時はその人を抱きしめる様に話すんだよ。SHOGENはお母さんに抱きしめられた事ないの。それなら私が抱きしめてあげるね」等と読んでいるこちらがホロっとしてしまう様な事件の連発です。

大人も子供と一緒になって流れ星を捕まえに行ったり、失敗をした時は「人間らしくて可愛いね」と失敗を肯定する。
それは、大人も失敗すると言う事を隠さずに子供に見せる事で、子供は失敗を恐れずにチャレンジする事を学ぶのだとか。

大人は経験を重ねていますが、それを賢ぶらない。
子供の発想を上目線でバカバカしいと思うのではなく、一緒になって体験し、その体験を共有する事を大事にします。

皆、どんな仕事にも誇りを持って…例えば「私なんて2人も子供を育ててるのよ!」と言う風に、自分の人生を精一杯謳歌しているんです。

当たり前を当たり前とせず、日常の全てを愛しく思い、メッチャ感動する。

一瞬、一瞬が感動の連続なんですね。

それが縄文時代の日本人の教えなのだそうですよ。

SHOGENさんは1人でも多くの人にブンジュ村での学びを伝えようと、you tubeでもお話されていますが、色々とyou tubeを見て行くと、対談する方の質問によって本では描かれていない情報に出会う事があります。

実は、ブンジュ村では「死」に沢山出会うそうです。

毒蛇に噛まれて命を落としたり、マラリアに罹って亡くなる人がいたり…。

お金がある人は病気になっても病院に行けますが、日本の様においそれとは病院に行けません。

実際SHOGENさんも3回マラリアに罹ったそうですが、「そんなの風邪と一緒」と笑い飛ばされたそうですよ。

他にも、街に行って暴動に巻き込まれて命を落された村人もいたとか。

幸せいっぱいの村ですが、死と隣り合わせの現実がありました。

でも、村の人は、例えばトマトが好きな人は「死んだらトマトの木の下に埋めてね。そうすれば自分はトマトになってまた会えるから」と言う様に、自分の好きな場所に埋めて欲しいと言うのだそうです。

姿かたちは変わってもずっと一緒だよ、と言う感じなのでしょうか。

肉体は地球で生きる為の借り物。
本質は永遠であり、次の次元に移行するだけだ、と言う事を誰もが知っているのでしょう。

見方を変えると、彼らの生き方は常に死と隣り合わせである事から、めいっぱい感動し、この人生でどれだけ感動出来たかが生まれて来た目的なのかも知れません。

毎瞬、毎瞬を集中して、自分の呼吸すら愛し、他人の寝顔や呼吸をも愛おしいと思う。

自分と他人の境がない、まさに縄文人…ひいてはレムリア人の生き方をしているブンジュ村の人達。

これって、人生を遊び尽くして、思い残すことなく寿命が来たからふぅっと逝くと言う死に方までレムリア的です。

ある意味最高の生き方であり、最高の死に方です。

でもね、その反面、SHOGENさんの話に出て来る5歳のザイちゃんや狩の名手のブラウニー君と言う子供達は毒蛇に会う事もなく元気に大人になって欲しいと願います。

おじいちゃん、おばあちゃんになるまで長生きして欲しいなぁ、って思うんです。

私達は年を重ねると言う事にネガティブなイメージを持ってしまう事も少なくありません。

年を取ると、あっちこっちガタが来ちゃうし、とか
足腰が弱くなってヨボヨボになっちゃうんだよ、とか
シミだらけになったりシワシワになっちゃうの嫌じゃん…etc

確かに、こう言うと申し訳ありませんが、歩くのも大変そうなお年寄りや、病院で何とか生かされている方をTVで拝見すると、決して未来が明るいとは思えなくなってしまいます。

でも、それって、私達はお年寄りになる事は当たり前の事だと思っていませんかね?

勿論、幸せは時間の長さではありません。

日本人とブンジュ村の人達、どちらが幸せかと言っても、それぞれ価値観が違うのでどちらが幸せとは決められないでしょう。

でもブンジュ村がそうだとは言いませんが、お年寄りになる事が当り前ではない国もあります。

特にあちこちで紛争や戦争が起きている地球で、日本の様におじいちゃん・おばあちゃんになる迄生きられる事は滅茶苦茶ラッキーな事なんです。

私自身、それを当たり前な事と享受していますが、見方によっては、おじいちゃん、おばあちゃんになれる幸せもあるんだなぁ、と感じました。

さぁ、皆さんはご自分の人生をどう生きますか?

私は自分を育て直そうと思います。

昭和のど真ん中に生まれ育った私は、根性とか努力が賛美される時代で、ブンジュ村の大人たちの様に体温を感じさせる様な暖かい環境ではありませんでした。

勿論、それが心地よい方はそれで良いでしょう。

でも、私はずっと、結果ばかり重視し、失敗をしたらプロセスまで否定される世の中が大嫌いでした。

それを時代のせいにも、周囲の大人のせいにして自分の人生を諦める事も可能でしょう。

でも…

どうせなら、この人生を思う様に生き切って、遊び尽くして、やるだけやってフゥッと地球服を脱げたら幸せだと思います。

自分で自分を育て直すって事は、大人になったからこそ、自分で出来る事ですもの。

追伸 今年から誇り高く、自分で自分の人生をクリエイトしていく為のサロンと言う形の部活動の様な事を始めたいと思います。
40年間積み上げてきたエッセンスや時にマナーやワインの話し等も折り込みながら、自分らしくハッピーに生きる仲間達と育成、繋がりたいと思っています。
詳細は未だ未だ未定ですが、ご賛同して頂ける方は記憶の片隅に留めてね。