歴史から学ぼう・無関心と言う罪② | Salon.de.Yからの贈りもの〜大事な事は全てお姫様達が教えてくれた。毎日を豊かに生きるコツ

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元ワイン講師であり歴史家。テーブルデコレーションを習いに行った筈が、フランス貴族に伝わる伝統の作法を習う事になったのを機に、お姫様目線で歴史を考察し、現代女性の生きるヒントを綴ったブログ。また宝石や精神性を高め人生の波に乗る生き方を提唱しています。

歴史から学ぼう・無関心と言う罪②

 

今回は5回シリーズの第2話。


ルドルフの幼い頃には、既に皇帝夫妻の家庭は破綻していました。

 

生まれて直ぐに、ルドルフは義母ゾフィーに取上げられたとゾフィーが悪者扱いされていますが、宮廷では育児は専門の乳母に託されるのが慣例です。

 

そうでなくとも、ゾフィーがハプスブルク家に嫁いだ時、夫も含め継承者は皆、統治能力に欠けており、当時の皇帝に至っては重度の障害があった為、宰相メッテルニヒに宮廷が牛耳っていました。


ゾフィーはそれを目の当たりにして、愕然とした経験があったんです。

 

それをゾフィーがメッテルニヒの失脚を待って、やっとの思いで我が子を皇帝に即位させる迄どれだけの苦労をしてきたかと思えば、可愛い孫だからこそ、幼い頃から押しも押されぬ皇太子として必要な教育をさせねばと思ったのでしょう。

 

しかしシシィにとっては、生まれて直ぐに愛児を取上げられた為、この子は宮廷にくれてやった位にしか思っていなかったのです。

 

おまけに、皇帝フランツ・ヨーゼフは生涯シシィを愛したとは言え、恋多きプリン(…と言うより、自分よがりなのよ、この男は!)でしたから、公人から私人に戻っても、家で母親と妻が対立していれば、他の女性に逃げ場を求めたくなってしまう。


当然の結果、浮気がバレる度・・・そして、それはご丁寧にもシシィの耳に届くのですが・・・シシィはヒステリックになり、「私はこの家で孤立しているのに、もう我慢出来ない!」とばかりにとうとう皇帝を寝室から追い出してしまいました。

 

宮廷に集まる貴族達からは、内向的な性格故に誰もシシィの繊細な部分を理解しようとしない。


聞き取れない程の小さな声でしか発言しない彼女は「可愛いけれどお馬鹿さん」のレッテルを貼られ、誰も皇妃を充てにしない・・・・シシィが鬱状態になってしまっても当然です。

※シシィは歯が丈夫ではなくコンプレックスがあった為、なるべく口元が見えない様に話したので必然的に小さな声になってしまった様ですよ。

 

勿論、最初は、療養の為に公務を休み旅に出ていましたが、あの家族と顔を合わせない気楽さといったら‼︎


当然、体調もすこぶる良くなると言うもの。


彼女の転地療養は、段々、家族と顔を合せない為の逃避行に変っていったのです。

 

しかし、その頃宮廷では・・・

 

ルドルフは6歳になると、数少ない彼の味方である姉や、姉と共有の家庭教師ヴェルデン男爵夫人と引離され、ハプスブルク家の伝統に従って、男性だけの独自の所帯の中で、専用の教師であるゴンドルクール伯爵の下、シゴキ同然の軍事教練の様な教育が施されていたのです。

 

ルドルフは非常に知能が高く、精神的にも早熟な子供でした。

しかし身体が弱く、母親譲りで感受性が強く、寂しがり屋で甘えん坊な性格でした。

 

皇帝はルドルフを頑丈で軍人らしい人物に育てたかった為、ゴンドルクール伯爵に虚弱なルドルフを鍛え直す様直々に命令し、ゴントルクール伯爵は、6歳の少年を大砲のすぐ脇に立たせドッカンドッカン大砲を打ったり、冷水を浴びせる等、小さな子供が恐怖で震えあがる程の厳しさで指導に当っていたのです。

 

神経を擦り減らしたルドルフは1年経つ頃には、頻繁に扁桃腺や発熱、胃カタルを起す様になり、すっかり怯えきったルドルフでしたが、父に叱られるのが怖くて先生を替えて欲しいとも言えずにいました。

 

祖母のゾフィーもルドルフが衰弱して行くのを非常に心配していたのですが、その原因がルドルフへの厳しい指導にあると分からず、鍛えれば強い子になれると思っていたのです。

 

見るに見かねた、ゴンドルクール伯の臣下のラトゥール大佐が、シシィにルドルフの置かれている状況を説明し、思い余ったかつての家庭教師ヴェルデン男爵夫人が、皇帝にひざまずいて「もう少し緩めてやって欲しい」と願い出た事を報告したのです。


 自分の殻に籠ったシシィは、これ迄、皇帝にハプスブルク家の流儀について意見を言うだけの勇気はありませんでした。

 

しかし、流石にこれには驚いて、直ぐにこの様な事は辞めさせる様直談判をしに行きました。


そして「今後、子供達の教育については全て私が決めます。もしそれが出来ないのであればこの家を出て、二度と戻りません」と宣言し、ルドルフの教育権を奪い返したのです。

 

以後、ルドルフはシシィの事を命の恩人と感じ、母を敬愛し続けたのです。

 

これがルドルフにとって不幸の始まりだったんです。


シシィにとってルドフルは憎き宮廷にくれてやった子供です。


ルドルフがどれだけ母を慕い、愛してもシシィは一向に我が子を顧みる事はありませんでした。

 

ルドルフの悲劇は、命を救って貰い母を心から慕ったにも関わらず、シシィは子供の教育に関する決定権を取り戻すと、ラトゥール大佐に後を任せて再び逃避行の旅に出てしまったのです。

 

母親の温もりが必要な時期に甘える事も出来ず、孤独の中で生きる事を余儀なくさせれた子ルドフル。

 

ラトゥール大佐は高官の貴族ではなく、宮廷では珍しく、自由主義でリベラルな考え方を持っていた為、宮廷では敵視されていましたが、ルドルフに多大な愛情を注ぎ、ルドルフの性質に合った教育を重視しました。

 

シシィはラトゥール大佐に、ルドルフの教師については、学問と教育を基準とする事だけを言い渡し、身分については選考対象としませんでした。

その為、ルドルフの教師陣は非常に学識の高い知識人、つまり優秀な市民階級が集まったのです。

 

幅広い視点から世の中を見る……民主主義に向かおうとしている時代に最高の教育環境です。

 

ルドルフは非常に幅広い一流の知識を身に着けると同時に、民主主義へと傾倒し、理想の政治理念は民衆の中にあると考える様になっていきました。

 

それは新しい時代に向けて最適な教育であり、民衆にとって良き統治者となりますが、ハプスブルク家にとっては決して受け入れざる事だったんです。


一方、初めて宮廷から権限を奪い取ったシシィは自分の持つ影響力に気づく様になり、可愛いだけの皇妃と馬鹿にしていた宮廷人達は、シシィに対して歯が立たなくなってきたのです。

 

その為、ルドルフがシシィと同様にリベラルな考え方を持つ様になると、シシィと敵対していた宮廷側は、その矛先をルドルフに向けたのです。

 

こうして、シシィと宮廷の増幅した対立はルドルフに引継がれる結果となり、悲劇的な最期へと繋がっていくのです。

 

 

・・・・・to be continued