歴史から学ぼう・無関心と言う罪① | Salon.de.Yからの贈りもの〜大事な事は全てお姫様達が教えてくれた。毎日を豊かに生きるコツ

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元ワイン講師であり歴史家。テーブルデコレーションを習いに行った筈が、フランス貴族に伝わる伝統の作法を習う事になったのを機に、お姫様目線で歴史を考察し、現代女性の生きるヒントを綴ったブログ。また宝石や精神性を高め人生の波に乗る生き方を提唱しています。

時々ニュースで取り上げられる路上でパパ活相手を待つ女の子。

他にも、痛ましい事件に巻き込まれる10代や20代初めの女性のニュースが後を絶ちません。

 

ご家庭の事情は色々あり、一概にご両親に非があるとは思いませんが、私はそのニュースを見るたびに、この子達の親御さんは何をしていたの?と疑問に思う事があります。

 

今から20数年前、通勤電車でいつも途中から乗車してくる2人の高校生がいました。

私は内心、彼女たちが好きではありませんでした。

 

と言うのも、片割れの子は彼氏が欲しいらしく、毎週の様に合コンに参加しては毎週目ぼしい男子を見繕って見るようですが、いつも満足行く結果にはならない様でした。

その上手くいかない恋バナを毎朝30分話しまくりです。

 

そして月曜日になると「昨日の飲み会さぁ…」とか「朝まで飲んじゃって…」って、まぁ、高校生だって飲酒はするだろうけれど「貴女、高校生ですよね?」と…この子の親御さんは娘さんと向き合っているんだろうか?と不思議に思った事があります。

 

子供にとって(幾つになっても)、親は頭が上がらない相手であり、そこをどうやって攻略するか…と言う、ちょっと面倒な存在でもあります(でも、だからこそ有難いんですけどね)。

 

その為、話の分かる友人の親御さんを見るとちょっぴり羨ましかったりして…そう言う経験もあるせいか、今は物わかりの良いお友達親子が多いですよね。

 

勿論、お友達親子も良いのですが、何となく無関心と言うのかお子さんの心の揺れに触れないと言うか…面倒な事を避けると言うか…ピタリとはまる言葉が見つけられませんが、親子の距離感や在り方が難しくなっている様な気がします。

 

今日は私がブログにアップせずに書き温めていた投稿を通して、ある高貴な一家の話をもとに纏めてみたいと思います。

 

王室と一般家庭は違いますが、でも身分の差に関係なく、心のボタンの掛け違いはどこにでもある様ですよ。

5回シリーズと長いですがお付き合いいただけると嬉しいです。

 

さぁ、ここから皆さんを歴史の世界にご案内しましょう。


ウィーンを訪れると、マリヤー・リンクはウィーン郊外の観光名所の1つとして現地のバス・ツアーに組み込まれています。

 

このマイヤー・リンクは映画「うたかたの恋」で知られる、ハプスブルク家の皇太子ルドルフと男爵令嬢のマリー・ヴェッツェラが心中事件を起こした皇室の猟館跡地で、事件後は皇太子を偲んで教会に建替えられた場所です。

 

この心中事件、商業目的である映画や小説では、ベルギーのシュテファニー王女と結婚していたルドルフと若く美しい男爵令嬢の悲恋と言うロマンス路線で語れていますが、真相は、ルドルフが孤独の中で自分の将来を悲観した末にマリー・ヴェッツェラを道ずれに自殺したもの。

 

なんと言っても、ルドルフにはミッツィー・ガスパールと言う本命の恋人がいたのですから。

 

甘えん坊で浮かれ騒ぎが大好きで、ウィーンっ子にも人気があったルドルフ。

 

ルドルフは旅から旅の生涯を送ったエリザベートの性格を強く受け継いでいました。

感受性が強く、繊細。分析力も鋭いけれど内向的。

 

ハプスブルク家の皇太子として、帝国の解体が避けられないものと見て、先見の明を持ちながらも、そのリベラルな思想は父親に受け入れて貰えず、ルドルフの宮廷での立場は難しいものでした。

 

仕事に忙殺され、ハプスブルク家の伝統に従う事が全てとする父は、ルドルフの事など構うゆとりはありませんでした。

 

加えて、幼い時から母シシィから遠ざけられていたルドルフ。

 

姉ギーゼラは、誰もがルドルフを腫れ物に触る様に扱い、厳しい宮廷流儀を押し付けるだけで、誰も心から向き合わない事に心を痛めていました。

 

物心付くに従って、宮廷の在り方に対して批判的になっていくルドルフ。

膨大なお金のかかる乗馬を趣味とする母シシィと妻の愛を繋ぎとめようとそれを支援する父フランツ・ヨーゼフに対して、どれ程の国費を支出しているのかと批判する文書を残したり、匿名で皇帝の政策批判の文書を発刊する等、民主主義に基づいた独自の政治活動を行っていきました。

 

民衆と共に居酒屋で大騒ぎをし、女性から女性へと恋を楽しんだのも、誰もルドルフの心の闇を理解しなかった事、時代に沿った政治理念を持ち、帝国の将来を誰よりも危惧していたにも関わらず、政治への関与を許されなかった絶望感から自暴自棄になったのでしょう。

 

せっかく時代の流れを読む才能を持ちながら、現実のものとして落とし込む程の芯の強さは持ち合わせてなく、両親の愛を求め続けた単なる駄々っ子の様に終わってしまったその人生を彼の生い立ちと共に追ってみたいと思います。

 

生まれて直ぐに母親から引離され、宮廷の中で育てられたルドルフとギーゼラにとって、儀礼づくめの宮廷は、非常に厳しい場所でした。

 

旅に出て、宮廷に寄り付こうともしないシシィに代わりに子供たちを育てたのは、祖母であるゾフィーや皇帝フランツ・ヨーゼフ。

 

忙しい合間を縫って、食事の時間位は何とか家族団欒をと可愛がっても、長女のギーゼラと弟で皇太子であるルドルフは寂しさと心細さでいっぱいでした。

 

大人ばかりの冷たい宮廷で姉弟の絆は強く、二人はかばい合って生きて行かねばならなかったのです。

 

どれだけ二人の絆が強かったかと言うと、こんなエピソードが残っています。

 

16歳になり、バイエルンの貴公子レオポルトとの結婚が決まったギーゼラ。

 

家族や側近が集まり、新郎新婦を駅まで見送りに行った時の事です。

 

14歳のルドルフは始終しくしく泣き続き、本人も涙を堪えようと努力はするものの、耐えきれず時々嗚咽を漏らしながら泣き続けていた事を、ウィーンの新聞は、印象的な光景として新聞に取り上げました。

 

ルドルフの涙につられてギーゼラも涙を流しながら、それでも健気に我慢をして見送りに来てくれた人々に別れの挨拶をする姿に、皇帝の目にも涙が溢れ、居合わせた誰もが涙を流したのですが、唯1人、シシィだけは涙を見せる事はなく、たった一度、ハンカチを目に当てるだけだったそうです。

 

宮廷と言う特殊な社会の中で、両親の愛情を感じる事なく育った姉と弟は、寄り添いながらその寂しさを乗り越えてきたのでしょう。

今、その片方がもぎ取られようとしているのですから、姉の結婚はルドルフにとって辛い別れとなった事は言うまでもありません。

 

因みにシシィはギーゼラの嫁入り道具の準備を手伝う事は、一切しませんでした。

 

シシィの母も、義母のゾフィーでさえ、シシィの結婚準備にはシーツや洗面道具からドレスや宝石に至る迄、1つ1つ念入りに準備したのに対して、実の母親であるシシィから何もして貰えなかったギーゼラもまた、ルドルフ同様、寂しいお嫁入りだったと思います。

 

最愛の姉であり、唯一の味方だったギーゼラを失ったルドルフは、今後は、たった1人で宮廷社会を生きていかねばならなくなったのです。

 

・・・・・to be continued


次回からルドルフの生い立ちを更に深めていきます。