私と古事記の出会いは3年程前になりますが、「スサノオ」程、荒ぶる神と恐れられながら、これ程迄に愛される神様はいない様な気がします。
話は変わりますが、皆さんのお住まいの地域には神社は沢山ありますか?
私の地元には大きな神社から小さなお社迄(小さいながら鳥居があります)あちらこちらにあります。
が、ふと気づいたのですが、その中でも須佐之男命をお祀りしている神社が結構多いんです。
例えば、武蔵一國氷川神社は氷川系ですのでスサノオ(須佐之男命)ですし、八雲神社もスサノオ(素戔嗚尊)。
主祭神が牛の角王とされている小さなお社もある。この牛の角王もスサノオの事。
スサノオを見つける度、嬉しくなってしまい「あら、スーさん、ご縁があるわね〜」と呑気に飲み屋のママの様な口ぶりで思っている私です。
この古事記、古くは「ことふるふみ」と呼ばれていましたが、意外と量子物理論と整合性が取れているんです。
が、古事記を読んで行くと、どうしても納得がいかない所が随所に出てくるんですね。
どうやら古事記は日本の古代史を比喩的に書かれたもので、その陰には壮大なドラマがあるらしい。
古事記の表面だけをなぞらえていくと、この国は、もとはと言えば伊弉諾と伊弉冉の二柱の天津神が作ったのだから、天津神が納めるのが通りだろうと出雲の大国主に国譲りをさせますが、そこを出発点としてしまうと道理が収まらないんですよ。
いや、もっと言うと、いきなり天之御中神(アメノミナカヌシノカミ)が登場する事も道理が収まらない。
なんでも古事記には序文があってビッグバン以前の無を認識する意識があります。そこを経て天之御中神が生まれるんです。
さて、話を須佐男や大国主に戻しますね。
※この大国主も謎が多い神様なんです。
そこで色々と調べて行くと、先に話した須佐之男命に突き当たるのですが、話をスーさんの生まれ迄戻すと、どうやら当時勢力が強かった氏族の比喩が黄泉の国から戻った伊弉諾が生んだ三貴子らしんですね。
そして古事記では、高天原で須佐之男命が大暴れし、これまで弟の不始末を庇ってきた天照大御神が、とうとう堪忍袋の緒が切れて天岩戸に隠れてしまう場面があり、その後、八百万の神々が集まって須佐之男命の処分を決め、須佐之男命が高天原を追放される事になりますが、どうやらこれが大和族(天照大御神)と出雲族(須佐之男命)の争いで、出雲族がどんどん東に追いやられて行った事に当てはまるのだそうです。
余談になりますが(でも、この余談、大事)「おむすび」ってありますよね。
この「おむすび」は造化三神の1神「高皇産霊神」、この神様はビッグバンを起こす前にエネルギーが圧縮されていく時の神。
そう、「むずぶ」と行く事は、にぎって、にぎって…圧縮させて、バーーーンと爆発する、この、にぎってむすぶ、から「おむすび」。
おむすびはお米から作るしね。
でも、おむすびって、「おにぎり」とも言いいません?
この「にぎり」は饒速日(ニギハヤヒ)から来ているのだとか。
この饒速日も出雲族。
えっ、ちょ、ちょっと待って!!
饒速日の奥さんって瀬織津姫と言う一説もあります。
饒速日は天津神に背かないと言う証として、国津神の女神と別れて天津神の女神と結婚せよ、と天津神から迫られ、そうして封印されてしまったのが瀬織津姫。
この瀬織津姫も縄文前に絶大な支持を受けていて、大和族の東伐に伴って、瀬織津姫を祀る神社は次々と処罰されていったのを、修験者達が瀬織津姫を守り、こっそりと東に逃がしたと言われています。
須佐之男命も饒速日も出雲族の出目で、東に押しやられて行ったと考えると東にある関東圏に須佐之男命が多数祀られていても不思議ではない様な気がします。
…尤も、氷川系神社は日本各地にありますので関東だけにとどまりませんけどね。って言うか、単なる私のこじつけ?
そして、ちょっとオマケに面白い事に、私が住んでいる埼玉の二大都市と言えば浦和と大宮。
最近TVで浦和vs大宮と言われていますが、昔から住んでいる者からすれば特徴が違うだけで別に敵対しているなんて思っちゃいません。
それこそ質が違うだけでお互いの良さを認め合っている。
陰陽統合です。
でも、TVが煽っている敵対関係になぞらえると、浦和にある調宮(ツキノミヤ)神社は天照大御神で、大宮にある氷川神社は須佐之男命と稲田姫のご夫婦が主祭神です。
このあたりも出雲族と大和族が向かい合っている様なニュアンスを感じ取ろうとすれば取れます。
何が正しい解釈かは分かりません。
ただ、かつて私がそうだった様に神社に行って、パンパンとお願い事をするのも良いですが、神々の思いに寄り添ってみる。
そして、これらの神々のお陰で生かされている事に感謝をするのも良いのではないかと思います。
次元こそ違えど、時空は1つに畳まれています。
神々は私達の中にいます。