フランツ・ヨーゼフ逝く④ | Salon.de.Yからの贈りもの〜大事な事は全てお姫様達が教えてくれた。毎日を豊かに生きるコツ

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元ワイン講師であり歴史家。テーブルデコレーションを習いに行った筈が、フランス貴族に伝わる伝統の作法を習う事になったのを機に、お姫様目線で歴史を考察し、現代女性の生きるヒントを綴ったブログ。また宝石や精神性を高め人生の波に乗る生き方を提唱しています。

ラノベ「双頭の鷲―ハプスブルク家物語―」

フランツ・ヨーゼフ逝く④

 

 

オーストリア皇太子暗殺による戦争勃発。

しかし、その内情はもっと複雑だ。

 

セルビアはオーストリアに対して敵対心を持っていたが、実は、それだけではなかった。

 

セルビアはオーストリア帝国の南スラブ民族地域やアドリア海への出口を狙っていたし、ロシアはバルカン半島やガリチア地方と海峡の覇権を狙っていた。

ルーマニアはハンガリーの一部を熱望していたし、フランスは過去の戦争で失った地域、中でもアルザス・ロレーヌ地方の返還に固執していた。

 

また、イギリスはドイツが世界的な貿易国として飛躍している事、そして工業立国としても繁栄している事に快く思わず、海洋での主導権をドイツに渡すまい、あわよくば地中海の覇権を手に入れようと虎視眈々と狙っていた。

 

そしてイタリア。

イタリアはオーストリア帝国の所領、南チロルをイタリア領にしようと目論んでいた。

 

こうしてみると分かるだろう。

中欧・バルカン半島に位置するハプスブルク領土の小さな国々をいかに解体して、自分達の領土に組入れるか、それがこの戦争の狙いだ。

 

この様にヨーロッパ列強国だけではない、小国に至る国々の思惑が絡み合った末に起こった第一世界大戦。


この戦争責任は「オーストリアvsセルビア」等と言う一定の国に押し付ける事は不可能だった。

 

さて、ウィーンではフェルディナント皇太子の悲報について、それ程悲しみはなかった。

やや神経質気味なフェルディナントはあまりウィーンっ子から人気がなかったからだ。

 

それより、新しい皇太子はどんな人なのか、国民の関心は新皇太子に注がれた。

 

新皇太子カール。

 

まもなく、カールは気さくな性格で国民からの人気を得る。

 

控えめで努力家。宮廷に潜む、ドロドロとした奸計などカールは大嫌いだった。


宮廷から離れた環境で育った事もあり、カールは充分な帝王学を受けて来なかった為、皇太子としての力量は不十分ではあったが、それでも君主としての才能の芽は十分に持ち合わせており、ハンガリー語が堪能で、フェルディナントとは違い反ハンガリー感情は持っていなかった。

 

そんなカールの事を皇帝フランツ・ヨーゼフは愛情を持って好意的な目で見ていたのである。

 

※第一次世界大戦へ向かっての動向は、私も勉強不足の為「グリセール=ぺカール著「チタ ハプスブルク家最後の皇妃」より一部引用させて頂きました。

 

 

つづく