ラノベ「双頭の鷲―ハプスブルク家物語―」
破綻した結婚生活―彷徨える皇妃―⑦
晩年になったシシィは、姉妹や一人息子ルドルフと言った相次ぐ身内の不孝が遅いかかる。
中でも、シシィにとって最大の衝撃となったのは、従弟のバイエルン王ルードヴィヒ2世の謎の入水自殺だった。
ルードヴィッヒはシシィの妹と婚約をした事があるが、ルードヴィッヒが一方的に婚約破棄をした為、それに激怒したシシィは一度ルードヴィッヒと絶交した事があった。
しかし、時を経て再び親交を暖める様になると、シシィはルードヴィッヒだけが自分の考えを理解してくれる唯一の人間と位置付ける様になる。
勿論、その思いはルードヴィッヒも同じで、シシィだけが自分のたった1人の理解者だった。
シシィはポシーに里帰りをするとルードヴィッヒのもとを訪れたが、ルードヴィッヒも必ずシシィに会いに行った。
同じ世界に住むたった1人の人間が逝ってしまった…。
シシィはルードヴィッヒの死を受入れる事が出来ず、降霊術の会に参加する様になる。
「あっ、今ここに、ルードヴィッヒが来ているわ」
シシィは時々、ルードヴィッヒの霊を側に感じ、彼に一体何が起こったのか知ろうとした。
実際、シシィは怖いのだ。
彼が傾倒したワーグナーの世界を体現しようとし、誰も城を作らなくなった19世紀に3つの城を建城した狂王ルードヴィッヒと自分は同じヴィッテルスバハ家の血を引いている。
いつか、自分も発狂するのではないか……シシィは不安に怯えていた。
そして、周りの人々が死の影に連れ去られるにつれて、ますますシシィは死に対する憧れを持つ様になっていく。
1898年9月10日。その日、シシィの元に黒衣の天使は突然やってきた。
前日、ロスチャイルド家の別荘に招待されていたシシィは、親しくしていたロスチャイルド男爵夫人が用意していた豪華な昼食を堪能した。
普段は厳格なダイエットを強いているシシィだったが、この日の料理は気に入ったのか、鱒とじゃが芋のクリーム煮の他、肉料理、アイスクリーム、ケーキなどを口にした。
約3時間の滞在を終え、男爵夫人ジュリーはテリテ迄ロスチャイルド家のヨットを使うようにと提案したが、シシィはジュネーブに宿泊を予定していた為、それを丁寧に断り、女官のシュターレイ夫人とジュネーブのボー・リヴァージュ・ホテルに向かい投宿したのだった。
もし、ここでロスチャイルド家のヨットを借りていれば……
「皇妃様!エリザベート様、お急ぎくださいまし。出向の時間が近づいていますよ」
「大丈夫よ、シュターレイ夫人。このミルクも美味しいわよ。貴女もここに来て一杯お飲みなさいな」
シシィは快晴の下、目の前に聳えれモンブランを眺めながら、日課となっている大好きなミルクを堪能していた。
いよいよ出航の時間が迫ってくると、シシィとシュターレイ夫人は足早に桟橋に向かって歩いていた。
程なくして、シュターレイ夫人は1人の青年が足早にシシィの方に向かって歩いて来るのを目撃した。
すると、シュターレイ夫人が庇う間もなく、青年は勢いよくシシィにぶつかった。
ドン!
青年とぶつかった衝撃でシシィは倒れ込んでしまった。
「皇妃様、大丈夫ですか!まぁ、なんでしょうあの男は」
青年はそのままスタスタと通り過ぎてしまった。
「大丈夫よ、さぁ急ぎましょう」
シシィは何事もなかった様に起き上がると、船着き場に向かって歩き出した。
タラップにさしかかると「ねぇ、私、顔色が悪くないかしら?」とシシィが問いかけた。
シシィの顔をみると血の気が失せて青白い。
「ええ、お顔の色が悪い様ですが、どこかお痛みになるのですか」とシュターレイ夫人が訪ねると、胸の辺りが少し傷む様だと、シシィは答える。
船は今すぐにでも船着き場を離れようとしている為、シュターレイ夫人はシシィを抱えて大急ぎで船に乗り込んだ瞬間
「腕をかして!」シシィは叫ぶと、そのままシュターレイ夫人の腕の中に倒れ込んでしまった。
近くにいた男性に手を貸してもらいシシィをベンチ横たえるとシュターレイ夫人は医者を探した。
生憎医者は乗船していなかったが、元看護師だと言う女性が乗船していた。
女性の指示を受け、シュターレイ夫人はシシィのコルセットを開きオーデコロンを擦り付けた。その後、ブランデーに浸した角砂糖を気付け薬の代わりにシシィの口の中に入れると、シシィは意識を取り戻した。
「私、いったいどうしたのかしら」これがシシィの最後の言葉となった。
段々意識を失くしていくシシィを不安に思い、シュターレイ夫人はシシィの服のリボンを解くと、シシィの服には小さな赤いシミが着いていた。
そして、ナント、その小さなシミは見る見るうちに大きく広がり始めるではないか!
嫌な予感がして、シシィの肌着をめくると、血の出ている部分に三角の小さな傷があった。
「はっ‼︎ あの時……」
シシィは心臓を一突きに刺されていたのだった。
シュターレイ夫人は船長を呼んで貰う様頼む。
程なくして船長が現れるとシュターレイ夫人は叫んだ。
「この方はオーストリア皇妃です。このまま医者に見せず、神父様の立ち合いもないまま死なせるわけには行きません。早く、早く船を戻して下さい」
思わぬ出来事に船内はざわつく。
何だって!この船にオーストリア皇妃が乗っているぞ……。
すぐさま船は引き返され、シシィはボー・リヴァージュ・ホテルに運ばれた。
「死ぬなら長く苦しみたくないわ」生前シシィは自分はあっけなく死にたいと良く口にしていた通り、シシィは誰にも挨拶も最後の望みも伝えられぬまま、あっけなく旅だってしまった。
皇妃暗殺のニュースは直ぐさまウィーンに届けられた。
「皇帝陛下…ただいま…皇妃様が…」
フランツ・ヨーゼフはただならぬ様子に、話しを聞かずとも何が起こったのか全てを悟った。
そしてソファーに崩れ落ちると呟く
「全てが私から奪われる」と。
既に1人息子を亡くしていたフランツ・ヨーゼフの悲しみは深かった。
顔を合わせればいがみ合っていた夫婦だったが、それでもフランツ・ヨーゼフのシシィへの愛は変わらなかった。
2人は愛する事が下手だったのだ。
政略結婚の元、シシィもフランツ・ヨーゼフも愛の無い両親の元で育てられ、コミュニケーションの取り方が分らなかった。
いや、シシィもフランツ・ヨーゼフもゾフィーも自分の判断基準だけが正しいとして、自分の持つ信念に固執していなかっただろうか。
受入れずとも、互いの価値基準を理解しようと一度だけでも考えた事があっただろうか。
誰を責める事が出来るだろう。
歯車を狂わせたのは、それぞれ自分達なのだから。
ウィーン市民はシシィの死に涙した。
しかし、その大半は皇妃への送別の涙ではなく、愛する者を亡くしたフランツ・ヨーゼフに向けられた涙だった。
しかし、運命はフランツ・ヨーゼフに容赦しなかった。
フランツ・ヨーゼフから奪うモノが残っているうちは、決して奪い取る事をやめなかったのだ。
破綻した結婚生活―彷徨える皇妃―・完