ラノベ「双頭の鷲―ハプスブルク家物語―」
フランツ・ヨーゼフ登場②~フランツヨーゼフが生きた時代(概要)~
弱冠18歳の皇帝の元には、ありとあらゆる困難が押し寄せた。
歴史的な事で言えば、前帝フェルディナントの時代から引継いだ帝国下の国々の独立運動はさらに激しくなり、1857年、フランスのナポレオンⅢ世に支援されたサルディニアの軍隊がソルフェリーノで帝国軍を破り(ソルフェリーの戦い)、ハプスブルク家は北イタリアのハプスブルク領を失う事になる。
その結果、南チロルを除くイタリアの大部分がハプスブルクの領地から失われてしまう。
続いて1866年、ケーニヒグレーツの戦いで、ハプスグルクはドイツからも孤立してしまう。
遡る事1815年、ウィーン会議によって、プロイセンとオーストリアを中心として大小30ヶ国からなるドイツ連邦が形成され、それによって東西ドイツの覇権を巡って争う様になっていた。
これは自国のみが盟主となろうとするプロイセンの小ドイツ主義と、オーストリアを始めとして小さな国々を包括したドイツ帝国を新設しようとする大ドイツ主義に分かれ、19世紀初頭より火花を散らし合っていたのだった。
しかし、名将と謳われたビスマルクを前にして、オーストリア軍は手も足も出せず完敗してしまう。
それによって、プロイセンがドイツの覇権を単独で握る事となり、ハプスブルクはドイツ領から締め出される様な形で領土を失ってしまう。
この2つの戦いによって、ヨーロッパの大半を掌握していたハプスブルクの領地は、イタリアではトースカーナ、ミラノ、ヴェネツィア周辺、オーストリア、プラハ、ハンガリー、サラエボと言った中欧・東欧周辺のみとなってしまった。
そして、数百年にわたって、ハプスブルク家からの独立を願っていたハンガリーは、ついにオーストリア・ハンガリー二重帝国と言う形で、事実上の独立に成功した。
この二重帝国と言う奇妙な呼び方だが、フランツ・ヨーゼフを皇帝に置く点ではこれまでと変わりないが、外交・防衛・財政問題以外は独自の政治を行う事が許された。
つまり、ハンガリーはハプスブルクに守られながら、自分達の好きに政治を行えるといった美味しいとこどりの形態だ。
この様に、ナショナリズムの嵐によって小国が独立していく中、フランツ・ヨーゼフは「一致協力して」をスローガンに、現在のEUのごとく12もの小民族達が力を合わせ緩く繋がる事でしか国家が生き残る道はないと、奔走するのである。
特に、第一世界大戦時、中欧・東欧の経済基盤の弱い弱小国の国々はハプスブルクの翼の下で守られる事で、生きながらえる事が出来ていた。
なぜなら、帝国が滅びた後、第二次世界大戦後にはクロアチアやセルビア、ルーマニアと言った経済基盤が脆弱だった国は共産主義圏に無理やり引きずり込まれてしまうのだから。
断末魔の状態にあえぐ帝国が辛うじて心1つに繋ぎとめていたのは、マリアテレジアが確立した官僚制度が浸透していたからに過ぎない。
その官僚制度のトップに君臨するのが皇帝フランツ・ヨーゼフ。
「頑固一徹」
フランツ・ヨーゼフの何事にも信念を貫き通すこの性格こそが、崩れゆく老大国を繋ぎとめる唯一の楔だったと言えよう。
しかし…
この頑なさがどれだけ彼の私生活を苦しめただろう。
フランツ・ヨーゼフ登場・完