フランツ・ヨーゼフ登場①~世紀末のウィーンとフランツヨーゼフ~ | Salon.de.Yからの贈りもの〜大事な事は全てお姫様達が教えてくれた。毎日を豊かに生きるコツ

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元ワイン講師であり歴史家。テーブルデコレーションを習いに行った筈が、フランス貴族に伝わる伝統の作法を習う事になったのを機に、お姫様目線で歴史を考察し、現代女性の生きるヒントを綴ったブログ。また宝石や精神性を高め人生の波に乗る生き方を提唱しています。

ラノベ「双頭の鷲―ハプスブルク家物語―」

フランツ・ヨーゼフ登場①~世紀末のウィーンとフランツヨーゼフ~

 


19世紀末のウィーン。

 

これまで王侯貴族らによって作られ、親しまれてきた文化は市民中心の文化へと移り変わっていく。

 

絵画の世界ではクリムトが登場し、建築の世界では、ウィーン分離派会館やカールスプラッツ駅に代表されるユーゲントシュティールと呼ばれる新しい様式が時代を彩る。

 

シュトラウス親子が積極的にワルツやポルカを作曲するのもこの時代だ。

 

フロイトやユングが登場し心理学と言った心の分野の研究が始まったのもこの時代だった。

 

これ迄抑圧されてきた人々が自己を表現し始め、己とは何ぞや、自分は一体なんの為に生きているのか…自由を得た市民の一部は新たな問題の前に立ち往生する。


それに触発されたか先進的な貴族の一部も同じ様に自分の内面に問いかけては、精神の迷路を迷い込んだ。


生涯を旅に費やした皇妃エリザベートもその1人だ。


精神的世界の探究。

遺伝的に何人もの狂人を輩出してきたヴィステルスバッハ家の血を引くエリザベートは、常にいつか自分も発狂するか不安を抱えていた。


この19世紀と言う混沌とした時代は、王侯貴族も市民も、自分と言うしっかりとした軸を求めた…いや、この流れは個人的な動きだけではなく、あらゆる民族が、国家がアイデンティティも確立する為に彷徨った時代だった。


時代は王朝から市民へ。

 

蝋燭の炎が燃え尽きる最後の瞬間に眩い光を放つ様に、600有余年と続いたハプスブルク王朝も燃え尽きる直前の最後の輝きを放っていた。

 

フランツ・ヨーゼフはそれまでの皇帝と違い、決して無能な皇帝ではなかった。

 

聡明で勤勉。

 

実直であり頑固一徹な若き皇帝フランツ・ヨーゼフは皇帝に就任すると、86歳でその生涯を終えるまで、毎朝5時に起床し、11時に就寝した。

 

王室の日課は厳密に決められていたので、皇帝の姿を見えれば、時間が分かる程だった。

 

若くして未来を嘱望されたフランツ・ヨーゼフは幼い頃から帝王学を学び、実践で軍隊を学んだ。

まるで雨の様に砲弾が降り注ぐ戦場に立たされてもビクリともしなかったと言うフランツ・ヨーゼフは死ぬまで軍服を脱ぐことは無かった。

 

そんな勇猛果敢なフランツ・ヨーゼフをもってまでしても、この崩壊寸前の帝国を繫ぎ止める事は出来なかった。

 

つづく