ラノベ「双頭の鷲―ハプスブルク家物語―」
ヨーゼフ帝とレオポルト帝③
レオポルトは一家を引き連れトスカーナからウィーンへ引っ越す事になる。
(たった10年で精根尽き果てちゃうなんて兄ちゃん大変だったんだろうなぁ。そう思うと、マジおカンはすげーな。16人も子供を産んで40年も政治をやったんだから。まぁ、うちも16人子供がいるけど、まさに母は強しだよなぁ)
末っ子のヨーハンを膝にのせて、レオポルトはチロルの山々にふと目を向ける。
「パパーっ、お山が綺麗だね」
「おや?さっきまでフィレンツェの友達と離れたくないって泣いていた癖に、もう笑ってるのかい?」
「うん、僕とっても寂しいけど…でも、お日様に当たってお山が輝いてる。こんな景色見た事ないよ」
この末っ子のヨーハンは後にアルプスの発展に尽くし、アルプス王と呼ばれ民衆にも親しまれる。
レオポルトは兄にもまして有能な君主だった。
レオポルトはトスカーナ公国の君主だったが、早くからモンテスキューとフランスの重農主義者たちの影響を受けおり、
「君主の地位は他の人々との契約によって成り立っている。君主は特権を付与される代わりに義務と使命を全うして、彼らの為に尽くさねばならない」(江村洋「ハプスブルク家」より抜粋)
と言うのがレオポルトの基本的理念だった。
レオポルトには兄に欠けていた長所が多く備わっていた。
冷静沈着で実行力があり、人望も高かった。
ハプスブルク帝国の様に、領土がヨーロッパの版図の至る所に、まるで飛び石の様にあり、言葉も風習も違う大小様々な国家からなる、いわゆる多民族国家では、君主を中心として全国民が手を取り合い、同時に、上と下が一致団結して国家を運営していかなければならないと考えていた。
その為には、それぞれの国の事情を汲取り、物事を冷静に判断して、時宜に見合った行動が必要だと考えていた。
レオポルトはトスカーナ大公時代にはルネサンス以降、衰退していたトスカーナ公国を第一流の国家に育て上げた実績があり、国民から「ヴィットリオ・レオポルト」と呼ばれ大変愛されていたのだった。
彼に寄せられる期待は大きい。
だが、
残念な事に、レオポルトは在位2年、45歳の若さで世を去るのである。
ハプスブルクの君主として、改革に着手したばかりだった。
ハプスブルクはレオポルトの死によって逸材を失った事になる。
そして、ヨーゼフ・レオポルトと言う2人の君主の登場によって、ハプスブルク家はマリア・テレジア以前の王様とお姫様が彩織りなす雅やかな王朝時代に戻る事は二度となかった。
いや、ハプスブルクだけではない。
先ずは、フランスでお伽噺の世界に別れを告げる火ぶたが切られる。
マリア・テレジアの時代が豪華絢爛な王朝絵巻の最後の時代だったのだ。
この後は市民と一体化した王家となっていく。
ヨーゼフ帝とレオポルト帝・完