ラノベ「双頭の鷲―ハプスブルク家物語―」
カール6世の悩み③
直ちに宮廷よりカールに帰還命令が下された。
一時休戦
ヨーゼフの死によってバルセロナから帰還したカールはカール6世として神聖ローマ帝国の皇帝に就任した。
カールの皇帝就任により、スペイン継承戦争は白紙に戻された。
ヨーロッパ諸侯…とりわけ列強国の王等は、カール5世の時代の様に、ハプスブルク家に権力が集中するのを恐れた。
その為、列強諸国の王たちによる閣議によって、スペインの王冠はフランスの手に渡ってしまったのだった。
当然の事ながらフランスは大喜びした。
殆ど諦めかけていたスペインの広大な領土が棚ぼた式に手に入ったのだから。
それにより、ハプスブルク家は永遠にスペイン領土を失った。
「あと一歩でスペインの王冠が手に入ったのに……。。兄さん、死ぬなんて早過ぎるぜ…」
青春の全てをスペイン継承戦争に賭けたカールの心は、このあっけない終結によって、ぽっかりと穴が開いてしまった。
折しも帝国内は比較的落ち着いており、平和モードだ。
(灰になっちまったなぁ、俺の心……。)
すっかり燃え尽き症候群となってしまったカールは、慣例的な式典や重要会議等、皇帝が列席しないと始まらない行事や閣議には出るものの、普段の会議は大臣達に出席させ、後から報告を聞く程度で済ませ、その間は狩猟を楽しむという呑気な生活を楽しんでいた。
とは言え、カールだってやれば出来る子、単に遊びほうけていた訳ではない。
カールはスペイン時代に海上貿易の重要さを知った。
海のないオーストリアはドナウ川等大きな河川があったものの、水上交易にあまり重点を置かれていなかった。
スペイン継承戦争でオーストリアはスペイン領の獲得には失敗したが、戦争処理の和平会議で、スペインが所有していたミラノやナポリ、シチリア等はオーストリア家が確保した。
そこで、カールはネーデルランド(現オランダ)に東インド会社を設立し、イタリアのトリエステの繁栄に力を注いだのだった。
そう、歴史の教科書に出てくる、あの東インド会社はオランダが作ったのではなく、ハプスブルク家が作り(作ったのは俺だ!byカール)、ハプスブルクのものだったのだ。
※だってネーデルランドはハプスブルク領だもん。
また、現在もウィーンの観光名所の1つとなっている、人馬一体となった華麗なる馬の演技で有名なスペイン式乗馬がみられるスペイン乗馬学校は、スペインへのオマージュとしてカールが設立した乗馬学校だ。
つづく