前回はワインのご紹介を挟みましたが、今回は、リーゼロッテの最終話です。
美しさ故に浪費家だった母の様にならないよう、不要に「おブス」と言われて育ったリーゼロッテ。
きっと父カール・ルードヴィヒは、美しさに捕らわれて不幸な結婚生活にならない様、娘の将来を心配しての事だったのでしょう
確かに「熊猫猿顔」から美人は想像し難いですが、しかし、どこか可愛げが感じられます。
リーゼロッテが気に入っていたのも、愛嬌と父の愛情を感じたからだと思うのです。
何故って、リーゼロッテが幼い頃ハノーファーにいる叔母の家に預けられた時、リーゼロッテには分からないと思って「兄の方が可愛い」と言われた事を、リーゼロッテはちゃんと理解して、激しく泣いてしまった事があったんですって。
お祖母様が「貴女の方がずっと可愛いわよ」と何度も言い含めて、やっと納得したそうですから、やはり女の子にとって外見の事を悪く言われるのは悲しいものです
きっと父君が「熊猫猿顔」と呼んだのは、化粧や衣装にお金を使われては困るけど、でもお前は可愛いよ、と言う優しさが込められていたのかも知れません。
女心を分かっていないけど・・・
さて、私達は普段、自分の事を正当に評価出来ているでしょうか?
誰かと比較して、必要以上に自分の外見を気にしていないでしょうか?
何かやりたい事があるのに、子供の頃に下手だと言われたり、貴方には無理と言われて諦めた事はありませんか?
私達は生まれてから、実に多くの言葉を浴びせられ、その人の側面のほんの一部分だけを評価されてきました。
私達が受取った言葉の中には、暖かく思いやりに溢れ才能を開花させるきっかけとなった言葉もあります。
しかし、それとは反対に、私達を傷付け、その結果、弱い自分を隠して、しっかりしなくちゃと頑張り過ぎたり、好きな人に想いを伝えたいのに「可愛くないから無理」と恋をする事に臆病にさせてしまった言葉もあった筈です。
私も、叔母から外見について色々言われた事、思春期に太った事も重なり、男子の目を気にしなくて良い女子高に進んだ思い出がありますし、自分に自信が持てず、好きな人が出来ても、ただ見ているだけで終わった事も沢山ありました。
この様に、子供の頃、周囲の人に言われた事が無意識の内に心に残り、大人になっても上手く物事が進めずにいる人もいる様です。
でも、今その頃の自分を振返って思います。
他人の評価や言葉を自分に当てはめる必要はないんだって。
スピリチュアルの本を読むと、子供は両親や環境を選んで生まれて来る、と言いますが、例えば、虐待する両親に対して、自分がその環境を選んで生まれて来たと思う子供はいるでしょうか?
いませんよね?!
私達は、無防備に置かれた環境にいるしかなかっただけです。
大人になった今なら、合わない環境とは距離を置く事は出来ても、子供の頃はそれが出来なかっただけの事。
そして、貴方に酷い事を言った周囲の大人も、その当時は未熟だったと言う事です。
でも、如何でしょう。
今の私達は、当時の自分と違って出来る事は沢山ありますし、経験値だって違います。
私達は日々成長していて、今の自分は過去の自分ではありませんよね。
昔出来なかった事も、今なら出来るかも知れません。
1度挑戦して失敗した事も、今なら・・・・数年後なら出来るかも知れません
子供の頃可愛くなくても、成長過程で人は変わるもので、メイクや髪型でも変りますよね。
結局、私達を苦しめた言葉の呪いを解くには、自分で魔法をかけるしかないんです。
リーゼロッテだって、時々「私、美人じゃないし」と開き直る事はありましたが、ヴェルサイユの他の女性達より若々しく、ほっそりとしていて、健康的な美しさを持っている事は自覚していたので、「ドイツ流に私は毎日散歩をしているから太らないの」と自分の流儀に自信を持っていました
加えて、リーゼロッテの魅力は、何でも明け透けに思った事を言う事。
そんな風に、飾らず、楽しそうに自分を表現しているから、義兄のルイ14世はリーゼロッテが可愛くて仕方がなかったし、王様に好かれる事は、全女性の羨望の的だったんです。
リーゼロッテの「私は私」と言う逞しさは、時に宮廷の気取った貴婦人達との摩擦を生んだけれど、その明るさがあったから、周りから可愛がられたのです。
過去に傷付いた経験は誰にでもあります。
人のせいにして前に進まないのは問題ですが、その人から受けた痛みに寄添う事で、心のブロックを外す事は出来ます。
「よく頑張って来たね。今の自分は、もうその事で悩まなくて良いんだよ」と優しい言葉をかけてあげると良いと聞きます。
その人の持つ美点は、時代や付き合う人達によって良くも悪くも変化するものです。
自分の美点を活かす事が出来るのも、短所を長所に変える事が出来るのも自分だけですし、自分に魔法をかけてあげられるのは自分しかいません。
どうか他人の判断に惑わされない様に。