明暗を分けた、バート・イシュルでのお見合から37年目の夏。
晩年になって、ネネは病の床にありました。
病床のネネを見舞ったシシィ。
これが二人にとって最期の対面になったのだそうです。
ネネは自分が死ぬとは思っておらず「懐かしいシシィ」とシシィの訪問を喜びました
息子の心中事件、親友ルードヴィッヒ2世や心の支えだったハンガリー貴族のアンドラーシーの死等、辛い時期にあったシシィ。
「2人とも人生に強い風が吹いているわ」と言うシシィに
「ええ、でも私達には愛情があったわ」と、昔の様に、2人は英語で会話をしたそうです。
絢爛と華美に包まれ、途方もない豊かさの中で人生を過したシシィとネネ。
シシィは結婚生活の破綻から、家族の記念日に顔を合わせても心を通い合わせる事はありませんでした。
一方、ネネもマクシミリアンが早くに亡くなり、20年以上も未亡人として暮していたのです。
心ならずも、寂しい晩年となった二人ですが、人生から受取った物は、それぞれ違う様な気がします。
と言うのも、先の2人会話でヘレネが「私達には愛情があった」と言ったあと、シシィは「そうね。でも人生は惨めで虚しいものだわ」と続けているのです。
ヘレネの資料は余りにも少なく、生涯を通じてどの位幸せだったのかは分かりません。
しかし、シシィが人生の終わりに何も残らず、人生とは虚しいものと考えるシシィに対して、ネネはその時々に自分を合わせる、柔軟な気持ちを持ち合わせていた様な気がします。
若くして大きな挫折を味わったネネは、自分の手の内にある物に愛情を見つけ、それを慈しむ女性だったのではないでしょうか
そして愛する夫とは短い結婚生活ではあったけれど、愛し愛された幸せな結婚生活だった。
ネネの結婚生活の概念は「寂しい未亡人」ではなく「生涯夫に愛された幸せな女性」だったのでしょう。
生きる事は辛い事ばかりではなく、辛い中にも必ず光はある
ネネの人生は、そんな風に語っている様な気がします。
そして、その一条の光を探すのが人生なのかも知れません。
政略結婚と言うと、愛の無い不幸なイメージを持ちますが、当時の上流階級の子女達は、与えられた人生の中で生き切ると言う事を、伝統的に身に付けていました
個人の自由が得られない立場で、政略結婚はあながち不幸な事ではなく、心の持ちようによっては、幾らでも幸せになる事は出来たのです。
仮にネネだったら皇帝と結婚しても、穏やかな家庭を作っていたのではないかと思います。
今、自分が手にしている物から、いかに幸せを掴むか。
女性は従来、図太く生きる様に生まれついているのかも知れません
それにしても、シシィからどんなに遠ざけられ、三行半を叩きつけられても、シシィを愛し続けたフランツ・ヨーゼフは、かなりのドMな気がしてならないんですけどネ( ̄_ ̄ i)