人生の中で避けようがない事の1つに「お別れ」があります。
そのお相手が大切な人であればある程、心の整理がつかないものです
孤立無援の状態で、女だてらに数々の戦争から国を守ったマリア・テレジア
優雅で美貌の女王様に憧れる男性は数多くいたけれど、彼女の毅然とした態度は、ヨーロッパ中の女性達から称賛。
一躍、女性達の憧れの的になりました
不倶戴天のライバルであるプロイセン王フリードリヒ
こともあろうか、フリードリヒの姉も、弟のフリードリヒに内緒で、テレーゼに賛辞の手紙を送った程だったそうです
しかし、ハプスブク家きっての才媛と言われたマリア・テレジアさえ、最愛の夫フランツ・シュテファンの死は、テレーゼから生きる気力を奪い、生涯喪服を脱ぐ事もない程、打ちのめしたのです
初恋を貫いて結婚したテレーゼとフランツ
とは言っても、一時は世界地図の2/3を領土にした名門王家のお姫様と、たかがフランスの侯爵領と言う小国の王子との結婚ですから、時々、愛情だけではどうにもならない問題が立ちはだかる事がありました。
その最大の障害が、フランツには居場所が無かった事。
これには、テレーゼも大分心を痛め、かなり寛大に取り計らっていたのです。
テレーゼの父カール6世が、趣味の狩猟に行った先で体調を崩し、あっけなく世を去った時、テレーゼは23歳。
4人目の子供を妊娠中でした。
父の喪が明けやらぬ中、運悪く、嫡男がいなかったハプスブルク家に、ヨーロッパ中の王家が領土を横取りする為に襲いかかったのです
その先頭を切ったのがプロイセン王のフリードリヒ。
勝手にシュレージエンを占拠しておきながら、「豊饒なシュレージエンをよこせば、フランスを筆頭とする他国から守ってやっても良い」と厚かましい交換条件を書き送り、宣戦布告をしてきたのです
本来なら、やがて生まれるであろうテレーゼとフランツの男の子が成人する迄、フランツは摂政として政治を行う筈でした。
しかし、皇帝と言う主軸を失ったハプスブルク家は、オオカミの群れの中に放された子羊同然。
テレーゼの父が「男子継承者がいない場合は、長子が家督を継ぐ事」と、生前、帝国の領土と引き換えに諸外国に認めさせた相続順位法に則って、テレーゼが女王として即位したものの、諸外国は「そんなもの国際法に違反する」と言って認め様としない
頼りとしたフランツは軍事能力や統治力の才能が無かったし、高級取りの廷臣達は保身しか考えていない始末
そこで、軍隊を鍛え上げ、作戦を練り、空っぽだった国庫を膨らませる為、改革に次ぐ改革を断行し、帝国の領土を死守したのがテレーゼでした。
結果、フランツはハプスブルク家のマスオさん状態となり、廷臣達からは、「宮廷とはテレーゼと子供達を中心とした場所」と見られる様になり、ウィーンでは「テレーゼあってのフランツ」「お飾りの皇帝」と言うのが大よその見方となってしまったのです。
それでも、周囲が何と言おうと、テレーゼにとっては最愛の旦那様
大切な人に惨めな思いをさせなくなかったテレーゼは、私事に関しては、どんな犠牲を払ってでもフランツの事を第一に考えていたんです
テレーゼは激務の中を家族で過ごす時間を作り、せめても食事位はフランツと一緒に摂ろうと努力する。
自分がフランツに構ってあげられない分、フランツが寂しく無い様に遊び仲間を探してあげる。
多少の浮気だって・・・・ハラハラするし、嫉妬
もするけど、片目をつぶって気付かない振りをする。(それでも時々ツンケンしちゃうんだけれど)
そして何より、奪われた「神聖ローマ帝国皇帝の王冠」を取戻し、フランツの頭上に輝かせる事!
テレーゼはシュレージエンを占拠された時もショックだったけれど、フランツの物になる筈だった皇帝冠を奪われた時程、悔しくて泣いた事はありませんでした
テレーゼにとって、フランツを皇帝にして体面を保たせてあげる事が、悲願だったのです。
…とまぁ、難問ばかりで、公的には決して順風満帆ではなかったけれど、当時の慣例では珍しく恋愛結婚で結ばれた2人は、概ね、幸せな結婚生活を送っていたのです。
勿論、お互に思い遣りと努力なしでは、幸せにはなれないもので、テレーゼがフランツに思いやりを示した様に、フランツも卑屈にならずテレーゼを陰日向となって支えて来ました。
フランツは頭の回転が速い、美しく聡明なテレーゼが自慢だったし、テレーゼはフランツと一緒にいられるだけで幸せだったんです
が、しかし
この理想的なカップルにも、お別れの時はやって来ます。
それも突然。
※今回は2回シリーズです。
・・・・to be continued