前回は、困難ばかりが押し寄せたけれど、ハプスブルク家史上でもトップ3にはランクインされる程のおしどり夫婦だったマリア・テレジアとフランツ・シュテファンの半生を追いました。
さて、初恋を実らせて結婚した、幸せなテレーゼにも、突然お別れはやってきました。
晩年、肥満となったフランツは、時折、夜中に発作に襲われる様になりました
そして、次男レオポルトの婚礼の為、インスブルックに滞在した時の事。
厳しい山の気候が合わなかったのか、結婚式も無事終わった夜、劇場に芝居を観に行ったフランツは、芝居が終わると、ロビーで突然発作に見舞われ、そのまま同行した長男のヨーゼフの腕の中で息を引き取ったのです
芸術や美を愛し、人生を楽しむ事を愛したロートリンゲン人らしい、フランツの最期でした。
芝居が詰まらなかった為、1幕だけを観て先に帰ったテレーゼの元に、フランツ死去の報が届けられました
この時の女帝の悲しみはいかばかりだったか…。
どうして、自分は先に帰ってしまったんだろう。
フランツの健康を考えて、挙式を別の場所にしていたらフランツは死なずに済んだのにetc
と言う様に、思い浮かぶのはフランツに対する、自責の念ばかり。
行きは婚礼、帰途は葬列になってしまった皇帝一家。
ウィーンに戻って荘厳な葬儀を済ませたテレーゼには、生きる気力さえ残っていませんでした。
自室に籠もり、思い浮かぶのは、2人が共有した思い出の数々。
初めてフランツが宮廷に来た時の事。
やっと嫡男のヨーゼフが生まれた時の事。
60年振りにハプスブルク家に男子が誕生して、フランツと涙を流して喜んだったんだわ。
他にも、王宮を抜け出して、夜に2人で散歩をした事…あの時は、喉が渇いて、葡萄畑の葡萄を摘まんで食べたのが門番に見つかって、罰金を払う段になって身分がバレて大騒ぎになったんだわ…。
フランツと一緒なら、お腹の皮がよじれる程、涙を流して笑ってしまう様な事も、今となっては思い出すだけで辛い涙が溢れてしまう
そして、泣きながらテレーゼは自分に問う。
果たしてフランツは自分と結婚して幸せだったのか、と。
祖国を捨てて迄婿入りしたフランツに、自分は十分に報いてやれなかったのではないか。
自分は一度もフランツを邪険にした事はなかったと言えるのか。
フランツに肩身の狭い思いをさせ、辛い思いをさせたのではないか?etc
傍目から見れば充分尽くしたテレーゼですが、それでも、愛する人が去った今、果たして自分は十分な愛情を注げていたのか、あれもしてやれなかった、これもしてあげられなかったと、後悔ばかりが先に立つテレーゼだったのです。
如何でしょうか?
あのフリードリヒでさえ「やっとハプスブルクに英邁な君主が現れたと思ったら、スカートを履いていた」と皮肉りながらも感嘆した女性
「オーストリアにマリア・テレジアあり」と称賛された、この聡明な女帝でさえ、愛する人達とのお別れは、気も狂わんばかりに動揺し、嘆き、苦しんだのです。
私達も、人生の中で色々なお別れを経験します。
恋人やパートナー等の関係性が終わった別れもあれば、親御さんや連れ添ったパートナーを看取ると言うお別れもあります。
どの様なお別れも、悲しみの余り「あの時ああしていれば」と自分の至らなさを責めてしまいがちです。
しかし、私は、どの様なお別れも、「その時出来る精一杯の自分で向き合った」と思うのです
特に、病気や介護の末にお身内の方とお別れをした場合、お別れする迄には、相手に怒りを感じてしまった事もあるでしょう。
介護に疲れ果てて、一瞬とは言え、相手の死を願う事だってあるかも知れません。
しかし、
不安と疲労でへとへとになりながら、それでも頑張り続けた人を責める人はいるでしょうか?
自分の支えになってくれた、大きな存在だった人が、弱っていく寂しさを誰が責めますか?
残念にも、良好な関係を築けず心に傷を負った方が看護を続ける事は、心に葛藤が生じて苦しい事でしょう。
誰もが、精一杯の事をして差し上げたと思います。
「あの時の至らなかった自分」に気付くのは、全てが過ぎて、ひと段落したからこそ思うのであって、例え、時間を取り戻せても、それ以上の事は出来ないと思うのです。
ですから、自分を責めず「自分なり精一杯の事をやったね」と労ってあげて欲しいのです
これは、愛情が冷めてお別れした人も同じ。
あの時の自分は、精一杯その人を愛したのです。
相手が大切だったり、濃密な関係であればある程、心の揺れは大きいものです。
相手に対する後悔や諸々の思いは、次のステップに繋げましょう
後悔や悲しみ、寂しさは、どんな小さなお別れでも付いて来ます。
後悔しない様に誠実さを忘れない事も大事ですが、どの様な関係であれ、どの様な場合であれ、人はその人の器に合った精一杯の事をしています
へとへとに疲れ果ている時に、優しくなれなかった自分も、相手の一言にムッとしてしまった自分も、悪くも間違いでもありません。
「疲れていたんだよね、辛かったんだよね」と一度は、自分を受け入れてあげて欲しいのです。
次の一歩を踏み出すのは、それからです。
過去に執着しなければ、いつか時間が優しい思い出に変えてくれますから。