世の中「どうしてこの人はこうなんだろう?」と首を捻りたくなる様な方はいるものでして…。
距離を置いて考えてみると、その様な敵の多そうな方や感じの悪い方でも、その様な側面を持つには、それ相応の苦しい経験があったのだろうな、と思うのです。
マリア・テレジアの4女、マリア・アマーリエはプファルツ=ツヴァイブリュッケンのカール公子と熱愛中。
将来を誓い合う仲でした。
宮廷に集まる貴族達も、いずれ、二人は結婚するのだろうと思っていたのです。
が・・・・
宮廷幹部は、この格差婚に黙ってはいませんでした。
「ママだって、ミミ(次女クリスティーネ)だって、家格不相応の相手と恋愛結婚したじゃない!どうして、私はダメなのよっ!!」
泣こうが喚こうが、閣議決定で決まったモノは、公女の我侭では撤回不可能です。
泣く泣く二人は引離され、アマーリエは遠いパルマの御曹司フェルディナント公の元へ嫁に出されてしまったのです。
フェルディナント公は、長兄ヨーゼフの妃イザベラの弟。
姉のイザベラが、聡明で天使の様に清らかで美しいと謳われ、事実、噂通りの佳人だったので、その弟もさぞやと思われていたのですが、あらビックリ!
アマーリエの夫となったパルマ公は、アマーリエより8歳年下で、病弱で、知力も乏しく、とても君主の器量ではありませんでした。
ナント王子のお気に入りは、栗を焼く事と教会の鐘を鳴らす事だったのですから。
まさか、これがあの義姉イザベラの弟?!
この残りカスの様な(失礼)王子に、ウィーン宮廷も愕然としました。
そりゃ、アマーリエは怒りますよね?!
怒っても仕方がないんだけれど、このやり場のない想いをどこに持って行けば良いのやら。
100歩譲って、これが頼りがいのある君主の妻と言う役どころなら、いずれ失恋の痛手も癒えたでしょうが、これじゃ自分が可哀想過ぎる!
こんな、あんぽんたんと結婚する為に生まれて来た訳じゃないわよ!
・・・・と迄思ったかどうかは分かりませんが、アマーリエは暴れに暴れました。
気に入らない大臣は宮廷から追い出し、政治に口を出しては、やりたい放題。
愛人を作って現実逃避をする。
当然、女帝から怒りの手紙が嵐の様に届くけれど、聞く耳持たず。
お輿入れから付き添っているオーストリアの側近達もお手上げで、女帝に暇を願い出る頃には、女帝も堪忍袋の緒が切れて、娘に勘当を言い渡しました。
さて、ハプスブルク家から縁が切れて、アマーリエはスッキリしたでしょうか?
そんな筈はありませんよね?!
アマーリエは末の妹アントワネットとはお互いに馬が合わなかったのですが、それでも、アントワネットの長男ルイ・ジョゼフが亡くなると、妹の元にお悔やみを言いに駆けつけると言う優しさも持っていました。
アントワネットの娘のマリー・テレーズもアマーリエが帰った後、アマーリエを思い出してお花の絵を描いていたと言いますから、きっと優しい叔母様だったのでしょう。
そんなアマーリエですから、本心はハプスブルク家の一員でいたかった筈です。
アマーリエは、ただ人の温もりが、家族の優しさが欲しかっただけなのではないでしょうか。
マリア・テレジアの家庭は、沢山の子供達が飛んだり跳ねたり、ヨーロッパの宮廷の中でも特別アットホームな家庭でした。
しかし、それは、数ある側面の一部です。
マリア・テレジアは子供達に対して、厳格で、男の子にはそれ程ではありませんでしたが、女の子達には、大分キツク当たった様です。
時には、人前で厳しい叱責をされる事もあったとか。
ただ、全員が等しく厳しくされるなら納得も行くのですが、母のお気に入りのクリスティーネと三女のエリーザベトだけは例外。
特に、クリスティーネは溺愛され、常に特別扱いでした。
それを常日頃感じていた子供達は、「ママに気に入られたい」と一生懸命に気を惹こうとした事でしょう。
子供は、虐待をされても親が好きです。
怖いけれども、子供は一生懸命親に愛情を差出ますし、同時に愛される事を望みます。
勿論、女帝は虐待をした訳ではないけれど・・・・。
名門王家の子女として恥ずかしくない様に育って欲しい。
いつか、この宮廷を巣立つ時に、幸せになって欲しい、と言う一心で、厳しく接して来た事でしょう。
女帝は、自分も訓練を重ねて、自制する事を覚えた様に、自分が出来る事は子供達も出来るものだと思っていたのかも知れません。
アマーリエが描いた幸せな結婚を踏みにじられて、女同士、ママなら、せめても優しい言葉をかけてくれると思っていたのに…。
しかし、そこに待っていたのは、追い打ちをかける様に、お嫁入りに際して必要な数々の注意ばかり。
日頃からお小言で、こんなに辛い時に、さらにお小言。
私ってそんなにダメなの?
アマーリエが悲しいを通り越して、怒りに燃えてしまうのも、頑張ってきた事を、ただ認めて欲かっただけではないかと思うのです。
そして、自分の幸せを諦めて、これから困難に立ち向かっていく自分にダメ出しではなく、「よく頑張って来たね。お前なら出来るよ」と優しさで包まれたかったのではないかと思うのです。
・・・・to be continued