世界史に興味がなくても、マリー・アントワネットと言う名前は何となくでも知っている人が多い…それ程までに有名なプリンセス、マリー・アントワネット。
名門王家に生まれ、優雅で豪奢な、まさに女の子の憧れのポジションから、断頭台の露に消えたと言うドラマチックな生涯、その明と暗に人は惹きつけられるのでしょう。
そして、アントワネットと言えばスウェーデンの小貴族フェルゼンとの恋。
このフェルゼンとの恋があったからこそ、アントワネットの生涯は印象的なものとなっているのだと思います。
女性は、ドラマチックな恋に弱いのよね。
革命が始まり、お気に入りのトリアノンのアモーやキューピットの像がある小さな東屋を手放し、王冠を奪われ、最後には、最愛の子供達とも離されて全てを失った王妃に残されたもの…と言うより、誰にも奪う事が出来なかったモノが恋人への愛でした。
フェルゼンもまた、命懸けで愛する人の命を守る為に、家を担保に資金を集め、最後には従僕にまで借金をして逃亡計画を立て、恋人を救おうとしました。
自分の首に懸賞金が掛っているにも関わらず、恋人に会う為に命懸けでパリに向かい、王妃の死後も、恋人の娘マリー・テレーズの為に、かつての王太子ルイ・シャルルの消息を追ったフェルゼン。
今回は、フェルゼンはアントワネットのどんなところに惹かれたのかと言うお話。
アントワネットとフェルゼンの恋は、当然、極秘中の極秘。
アントワネットはフェルゼンからの手紙は全て焼灼していましたし、フェルゼンも絶対に人目に触れない様、封印したのです。
手紙のやり取りさえ暗号を使い、細心の注意を払いながら想いを伝え合った恋人達。
日記には、その日の天候どころか気温まで記載し、書類や手紙は全て時系列に保存していた几帳面なフェルゼンですが、流石に、慎重派のフェルゼンも、人生の全てを捧げた女性からの手紙を焼却する事は出来なかったのでしょう。
19世紀になって見つかった、僅かな手紙の数々は、先祖の気持ちを汲んだのか、末裔の手で、その手紙の大部分が削除されていたのだそうです。
その為、私達は二人がどの様な言葉を交わしていたのか、どの様な日々を過ごしたのか想像でしか測る事が出来ません。
1つ確かな事は、アントワネットが青春を謳歌していた頃、お互いに気持ちがあったとは言え、フェルゼンは王妃の親しい取り巻きの1人と言う影の存在に徹し続けていたと言う事です。
儀礼尽くめのヴェルサイユで、アントワネットの話し相手は、自分よりずっとずっと年上で、退屈な由緒正しい貴族ばかり。
結婚後の7年間、世継ぎ産む事を至上命令とされながら、最後の最後で夫は不能になってしまう。
宮廷中に夫の肉体の秘密がバレて、事実的な夫婦になれないアントワネットを宮廷中がせせら笑い、自身もウィーンの実家の様な、子供に囲まれたアットホームな家庭を欲しがったにも関わらず願いは一向に叶わない。
その上、実家の母からは孫はまだかと矢継ぎ早に催促され、やがて、母になる夢は王弟の嫁、つまり義理の妹に先を越されて、女帝からの催促に拍車がかかる。
気が狂いそうな程のストレスに晒され、窒息寸前のアントワネットが、毎夜、こっそりと宮殿を抜け出してオペラ座に通っても仕方がないと言うものです。
ヨーロッパ一のお姫様であって、ちっとも幸せではなかったのですから。
オペラ座では、王太子妃が来ているらしいと言う事は皆知っていたし、フェルゼンに出会った時も、親しげに声を掛けたのはアントワネットの方。
圧倒的な高貴さを放ち、気の利いた会話が出来るこの女性は誰だろうと、仮面で顔を隠したアントワネットに興味を持ったフェルゼンは、暫くアントワネットとの会話を楽しみ、さて、そろそろ口説いてみようかと思った矢先に、お付の人に阻止されたと言う訳です。
当然ながら、翌日にはメルシーからたっぷり叱られ、祖国へはオペラ座へ通っていると急使が飛ぶ。
しかし、宮廷の慣例よりも自分の気持ちを優先するアントワネットは、フェルゼンを愛する事を止めようとしなかったのです。
18歳の外国人青年とは言え、ヴェルサイユで自分の気持ちを大っぴらに表現する事がいかに危険であり、愛する人を破滅に追い込む事は周知の事実。
唯でさえ、アントワネットが少しでも親しげに話をすれば、誰それの恋人だと取り沙汰さる始末。
既に、王妃の一番のお気に入りは、取り巻き連中の1人である、英国人貴族だと噂をされていたのですから、物事に慎重で控えめなフェルゼンは、公な場では目立たぬ様、陰に徹し、夜の束の間の一時が恋人達に与えられた自由な時間だったのです。
さて、18歳でアントワネットと出会い、生涯伴侶は持たないと決めたフェルゼン。
フェルゼンがアントワネットを狂おしい迄に愛おしいと思ったのは、何故だったのでしょう。
・・・・to be continued