スピリチュアル系の本を読むと、人は生まれて来る時に人生の青写真を描いて来るそうで、どんな目的で、どんな人と出会うのかは、既に決められているのだと聞きます。
宿命で決まっている目的を達する為に、どんな仕事を選ぶのか
宿命で決まっているご縁を元に、誰とどんな関係性を築いていくのか、これが運命。
・・・と言う事は、運命は自分でコントロール出来るって事です。
さて、宿縁で決まっているご縁を、上手に紡いでいったカップルがいます。
それがマリア・テレジアとフランツ・シュテファンです。
王族の中には、ヴィクトリア女王や「王冠を賭けた恋」で有名なエドワード8世、ハプスブルクのヨーハン大公やフェルディンナント大公達の様に、恋愛で結ばれたカップルもいます。
しかし、この2人程、ご縁に導かれたカップルはいない様な気がします。
フランツのお祖父さん、カール・フォン・ロートリンゲン公はウィーンをトルコ包囲から救ったハプスブルク家の救世主。
軍人としての才能もさることながら、自分の手柄より敵を倒す為には、自分は引いて仲間に手柄を譲る様な名元帥でした。
ロートリンゲン公の祖国ロレーヌ(又はロートリンゲン)公国は、戦争の度にフランス領になったり、ドイツ領になる程小さな国。
テレーゼとフランツのご縁は、遠縁関係でもありましたが、ロートリンゲン公が皇帝軍の名将であった事に端を発しています。
王侯の御曹司達は、お披露目を兼ねて、宮廷に武者修行の旅に出るのが習わし。
テレーゼの父皇帝カール6世とフランツの父とは旧知の中と言う事もあり、ロートリンゲン家(ロレーヌ公家)の貴公子の最後の仕上げの場として、ハプスブルク家に伺候する約束がされていました。
でも、この時、伺候が決まっていたのはフランツではなく、お兄さんのクレメンス。
となると、後にテレーゼのお相手になるのは、クレメンスだったかもしれないのです。
ところが、ウィーンへ発つ直前に、クレメンスは天然痘に罹り、将来を嘱望されつつ急逝。
ハプスブルク伺候は、一旦、白紙になったのです。
そして数年後、フランツが14歳になった時に、「弟の方でも構いませんか?」という具合にオーストリア留学が決まり、ここに運命の出会いが誕生したのです。
マリア・テレジアとフランツ一家。16人の子供に恵まれアットホームな家庭だったそうです。
・・・・to be continued