ザッハー・トルテに並んでオーストリアの三大ケーキの1つと言われるのが、リンツ生まれのリンツァートルテ(Linzertorte)です。
格子模様が特徴の、ラズベリージャムがサンドされた、シナモンの香りがする、サックリとした甘酸っぱいケーキ。
身近なお店では、メゾン・カイザーでも確か季節限定で販売されていたと思います。
写真は私の作ったリンツァートルテですが、バターと小麦とアーモンドパウダーが同量の、シンプルながら贅沢なお菓子です。
ハプスブルク家のレシピは、シナモンとクローブが加えられています。
↑縁と格子部分は絞り袋に生地を入れて絞るのですが、焼きあがった時に少し広がってしまったのが残念。
オーストリアは場所柄、東洋(イスラム)との交易が盛んでしたから、スパイスが容易に手に入ったのでしょう。
シナモンの香りのするお菓子ですが、ハプスブルク宮廷に入って、クローブ等も加わり、更に滋養に満ちたお菓子となった様です。
さて、ご当地リンツではかなり古くから親しまれている歴史の古いお菓子ですが、ハプスブルク家の食卓に登場したのは、17世紀に入ってから。
皇帝レオポルト1世の時代から実質上最後の皇帝となるフランツ・ヨーゼフの時代まで、ハプスブルク家の皇帝や公女達に愛されたお菓子です。
実は、このレオポルト帝は、最初は聖職者になる様に育てられていました。
ところが、兄が急逝によって、還俗する形で皇帝に即位した為、学問に関しては非常に優秀で、特に音楽に関しては音楽史に残るオペラを作曲するなど芸術に才能を発揮したのですが、優柔不断で指導者としての才能には欠けていた様です。
何せ、オーストリアは東洋へ続くヨーロッパの東の端。
絶えずオスマントルコからの脅威に悩まされていたのですが、敵が攻めて来ると、ウィーンの市民を置いて、荷物と纏めては廷臣達とサッサと逃出してしまう様な、大分頼りない王様でした。
その為、残されたウィーンっ子達は城門を固く閉ざして、敵からの攻撃を守らなくてはならなかったのです。
さて、君主としては良いところ無しのレオポルト1世ですが、彼の最大の功績は、オイゲン公をハプスブルク軍下に迎えた事。
敵国フランスのルイ14世の遠縁に当たるオイゲン公が仕官したいと申し出た時、廷臣達の猛反対を押し切って伺候させたレオポルトの判断は、オーストリアを向かう所敵無しの強い国家として整えたのです。
次回は、ハプスブルク家に縁の深いブルク劇場の名前の付いたリンツァートルテをご紹介します。
・・・・to be continued