スポーツや勉強・仕事等、目標を決めたら、早く結果を出したいものです。
特に起業など何かを始められた方なら、尚更です。
とは言え、中々最初は上手く行かないもので、課題は盛り沢山。
簡単に成功するとは思わなくても、道のりはまだまだ険しいと思うと、心が折れそうになりますよね。
私は、せっかちな性格なので、ついつい投げ出したくなってしまいます。
実際、途中で「やーめた!」と手放した物が幾つあるやら・・・・。
その度に、偉業を成し遂げる様な人は、頭が良くて、人脈も実力もあって、ついでに運も良くて、何をやってもスムーズに物事が運ぶのだろうなぁと思っていました。
でもね、のんびりと構える事も才能のうちだって事、知ってました?
しつこい位登場する、私が愛して止まないマリア・テレジア。
父帝カール6世が逝去して、若干23歳の若さでテレーゼが即位した僅か2ヶ月後に、プロイセン王のフリードリヒは豊穣な土地シュレージエンを占拠してきました。
皇帝崩御から2ヶ月ですから、テレーゼにお悔やみの手紙を書くかたわら軍隊の準備をし、虎視眈々と領土拡大を狙っていたのでしょう。
シュレージエンを渡せば、ヨーロッパ諸国からオーストリアを守ってやる。
ジュレージエンと交換で守ってやるのだから、決して悪い条件じゃないだろうと、恩着せがましい事を言いながら、事実上、宣戦布告をしてきたのです。
夫フランツを含む、テレーゼ以外の重臣達は「シュレージエン程度で済むなら安いものさ」と思っていたのですが、テレーゼだけは「ここでシュレージエンを渡したら、オーストリアの領地はシュレージエンを手始めにどんどん削られてしまう」と考えたのです。
悲しい事に、テレーゼの予想は当たっていました。
敵対しているフランスとその同盟国は当然の事、オーストリアと同盟を結んでいる英国でさえ、テレーゼに助言を与える振りをしながら、プロイセンに続けと言わんばかりに、どの領地を戴こうかと狙っていたんです。
身内である重臣達さえ、誰もテレーゼを助けようとする人はいません。
もう直ぐ、第4子が生まれようとする身重のテレーゼは四面楚歌でした。
しかも、国庫も空っぽ、軍隊も整っていなかったのですから、絶体絶命。
テレーゼはどんなに心細かった事でしょう。
何か良い方法はないかしら…。
そこでテレーゼは閃きました。
「私、ハンガリー女王なのに戴冠式を済ませていなかったわ!!」
テレーゼはハプスブルクの支配に憎悪を燃やすハンガリー貴族に助けを求める事を思いついたのです。
ハプスブルク家はハンガリー王も兼ねていたのですが、気性の激しい騎馬民族のハンガリー貴族は、長年に亘るハプスブルク家の支配に強い反感を抱いていました。
しかし、広大な荘園領主であるハンガリー貴族から上る収益と、ツワモノぞろいのハンガリーの軍隊に頼るしか方法は無かったのです。
そして・・・・。
この時、運良く、生まれた赤子は男の子。
60年振りの男子誕生です。
テレーゼが女だから継承者として認めないと言うのなら、これで継承者は生まれたわ!
テレーゼは出産を済ませると、騎馬を得意とするハンガリー貴族に敬意を表する為、乗馬の練習を再開し、ハンガリーの王宮に乗り込んだのです。
ハプスブルク家に強い怨嗟を持つハンガリー貴族達も、颯爽と馬にまたがった美しい女王を目にすると、テレーゼに憧憬の気持を抱き「女王様万歳」と熱狂的な歓迎をしたのです。
しかし、いざ議会が開催され、ハプスブルクへの協力を願い出ると態度は一変。
オーストリアへの協力は中々受入れて貰えませんでした。
議会も数日を過ぎた頃、テレーゼは涙ながらに、どうか助けて欲しいと心情を吐露すると、頑なだったハンガリー貴族の議員達も、テレーゼの要請を受け入れる事を承諾したのです。
しかし、大変なのは、これから。
テレーゼの要求事項を飲む代わりに、自治権やら税収の免除やら議会との交渉が中々進まず、テレーゼが軍隊と軍資金を勝ち取るまで半年も費やしたのです。
・・・・to be continued