焦らない事も才能です① | Salon.de.Yからの贈りもの〜大事な事は全てお姫様達が教えてくれた。毎日を豊かに生きるコツ

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元ワイン講師であり歴史家。テーブルデコレーションを習いに行った筈が、フランス貴族に伝わる伝統の作法を習う事になったのを機に、お姫様目線で歴史を考察し、現代女性の生きるヒントを綴ったブログ。また宝石や精神性を高め人生の波に乗る生き方を提唱しています。

スポーツや勉強・仕事等、目標を決めたら、早く結果を出したいものです。

特に起業など何かを始められた方なら、尚更です。


とは言え、中々最初は上手く行かないもので、課題は盛り沢山。

簡単に成功するとは思わなくても、道のりはまだまだ険しいと思うと、心が折れそうになりますよね。


私は、せっかちな性格なので、ついつい投げ出したくなってしまいますプンプン

実際、途中で「やーめた!」と手放した物が幾つあるやら・・・・。



その度に、偉業を成し遂げる様な人は、頭が良くて、人脈も実力もあって、ついでに運も良くて、何をやってもスムーズに物事が運ぶのだろうなぁと思っていました。


でもね、のんびりと構える事も才能のうちだって事、知ってました?


しつこい位登場する、私が愛して止まないマリア・テレジア。


父帝カール6世が逝去して、若干23歳の若さでテレーゼが即位した僅か2ヶ月後に、プロイセン王のフリードリヒは豊穣な土地シュレージエンを占拠してきました。


皇帝崩御から2ヶ月ですから、テレーゼにお悔やみの手紙を書くかたわら軍隊の準備をし、虎視眈々と領土拡大を狙っていたのでしょう。


シュレージエンを渡せば、ヨーロッパ諸国からオーストリアを守ってやる。

ジュレージエンと交換で守ってやるのだから、決して悪い条件じゃないだろうと、恩着せがましい事を言いながら、事実上、宣戦布告をしてきたのです。


夫フランツを含む、テレーゼ以外の重臣達は「シュレージエン程度で済むなら安いものさ」と思っていたのですが、テレーゼだけは「ここでシュレージエンを渡したら、オーストリアの領地はシュレージエンを手始めにどんどん削られてしまう」と考えたのです。


悲しい事に、テレーゼの予想は当たっていました。

敵対しているフランスとその同盟国は当然の事、オーストリアと同盟を結んでいる英国でさえ、テレーゼに助言を与える振りをしながら、プロイセンに続けと言わんばかりに、どの領地を戴こうかと狙っていたんです。


身内である重臣達さえ、誰もテレーゼを助けようとする人はいません。



もう直ぐ、第4子が生まれようとする身重のテレーゼは四面楚歌でした。

しかも、国庫も空っぽ、軍隊も整っていなかったのですから、絶体絶命。



テレーゼはどんなに心細かった事でしょう。


何か良い方法はないかしら…。


そこでテレーゼは閃きました。

「私、ハンガリー女王なのに戴冠式を済ませていなかったわ!!


テレーゼはハプスブルクの支配に憎悪を燃やすハンガリー貴族に助けを求める事を思いついたのです。


ハプスブルク家はハンガリー王も兼ねていたのですが、気性の激しい騎馬民族のハンガリー貴族は、長年に亘るハプスブルク家の支配に強い反感を抱いていました。

しかし、広大な荘園領主であるハンガリー貴族から上る収益と、ツワモノぞろいのハンガリーの軍隊に頼るしか方法は無かったのです。


そして・・・・。


この時、運良く、生まれた赤子は男の子。

60年振りの男子誕生ですニコニコ


テレーゼが女だから継承者として認めないと言うのなら、これで継承者は生まれたわ!


テレーゼは出産を済ませると、騎馬を得意とするハンガリー貴族に敬意を表する為、乗馬の練習を再開し、ハンガリーの王宮に乗り込んだのです馬


ハプスブルク家に強い怨嗟を持つハンガリー貴族達も、颯爽と馬にまたがった美しい女王を目にすると、テレーゼに憧憬の気持を抱き「女王様万歳」と熱狂的な歓迎をしたのです。


しかし、いざ議会が開催され、ハプスブルクへの協力を願い出ると態度は一変。



オーストリアへの協力は中々受入れて貰えませんでした。


議会も数日を過ぎた頃、テレーゼは涙ながらに、どうか助けて欲しいと心情を吐露すると、頑なだったハンガリー貴族の議員達も、テレーゼの要請を受け入れる事を承諾したのです。


しかし、大変なのは、これから。


テレーゼの要求事項を飲む代わりに、自治権やら税収の免除やら議会との交渉が中々進まず、テレーゼが軍隊と軍資金を勝ち取るまで半年も費やしたのです。


・・・・to be continued