私達が目にするマリア・テレジアの肖像画の多くは、中年以降のもの。
女帝として貫禄たっぷりで、でっぷりと太った「肝っ玉母さん」と言った様子。
しかし、その肖像画からは想像し難いですが、10代・20代の頃の彼女は、ほっそりとした美人さん。
10代の頃のマリア・テレジア
中年の頃の貫禄たっぷりのマリア・テレジア
・・・・なんだか、before afterじゃないけれど・・・・
ハプスブルク家きっての才媛と言われ、女帝としての偉業を聞くと、生真面目な優等生と思われがちですが、若い頃のテレーゼはダンスが好きで、一晩中、踊り明かす事、度々。
23歳で即位したてのテレーゼは、良き君主になろうと、御意見番タウロカに「気付いた事があったら何でも言って頂戴」と言い、その殆どに耳を傾けましたが、大好きなダンスと乗馬だけは別。
「大公女様はダンスと乗馬に熱中し過ぎます。お身体の事を考えて、睡眠時間をお取りになりませんと・・・・」と言われても、シラーっと聞こえない振り。
こうなると、お互い持久戦で、テレーゼが態度を改める迄、タウロカは一切の忠告をしなかったそうです。
「貴方の言う事はちゃんと聞いているわ。言う通りにするには、もう少し時間が必要だけど、これからも私に忠言して下さいね」と、お楽しみを早々に切り上げる事は、才色兼備の女王でも、かなりの努力が必要だった様です。
さて、冬のウィーンはお楽しみが、いっぱい。
1月から2月中旬の謝肉祭の時期は、舞踏会が目白押し。
四旬節前のこの時期は、どこもかしこもお祭り騒ぎです。
現代でも、冬のウィーンはダンスパーティーが盛んだそうです。
例えば、お菓子職人の組合主催のダンスパーティーとか。
TVや写真でみる、オペラ座のデビュッタントだけではなく、社交ダンスが本当に身近なお国なんですね。
国民との距離を出来るだけ小さくしようとしたテレーゼは、きちんとした服装なら王宮主催のダンスパーティーに入れる様にしたり、テレーゼ自身も忙しい公務の合間を縫って、舞踏会に参加していたんです。
さて、ハプスブルク家のダンスパーティーで必ず供されたのが、ファッシング・クラプフェン。
関田淳子著のプリンセスの宮廷菓子と言う本によると「マリア・テレジアは謝肉祭のお祭り騒ぎ嫌い、代りに宮廷舞踏会を開催し、その際に振舞われた」との事。
ファッシングとは謝肉祭の事で、クラプフェンは揚げ菓子の事。
元々は、中世の時代にチェリ・クラプフと言う女性が考案した、マーマレードを詰めた揚げ菓子「チリー・クーゲルン」が元になっているそうです。(前著書参考)
ドーナツの様な揚げ菓子で、中にアンズのジャムが入っているお菓子です。
※カスタードクリームが入っている場合もあるそうです。
そして、このクラプフェンはハプスブルク家の伝統のお菓子として、歴代の皇帝・大公や大公女達にも愛されてきました。
因みに、フランス革命後のハプスブルク家の皇帝、フェルディナントは、近親婚の犠牲者として、頻繁に癲癇発作を起こすと言う障害を持っていましたが、その妹マリア・アンナも重い精神障害を持っており、生涯を座敷牢で過しました。
この兄妹もデザートが大好きで、甘いケーキ等を食べる事が生甲斐だったそうです。
彼女達のお気に入りのお菓子の中には、クラプフェンも入っていたそうです。
ウィーンでは1月から2月中旬にかけて店頭に並びます。
子供のおやつの様な素朴なお菓子が、お城の舞踏会で食べられていたとは、ちょっと意外です。
※日本でもツッカベカライ・カヤヌマさんで購入出来ます。時期がありますので、ご注意下さいませ。