いまやエル・システマは大成功して、ザルツブルク音楽祭など世界的に有名な音楽祭から招待されたり、エル・システマの卒業生は世界の第一線で活躍をしているんです。
世界中から取材が入ったり、ドミンゴなど有名な音楽家とジョイントするなど、引っ張りだこ。
また特筆すべき事は、ろうあ者が白い手袋をはめて手話で歌うホワイト・ハンド・コーラスです。
実は大使夫人は、阪神の大震災を経験している事もあり、3.11の被災地、いわき市の子供達にエル・システマの活動をしているのですが、それと並行して、ホワイト・ハンド・コーラスを日本の耳の不自由な人達に楽しんで貰おうと、プロジェクト計画を立てたそうです。
その時「可哀想だからやめて下さい」と言われたのだそうです。
この子達は耳が聞こえないのに、音楽なんて可哀想ですと言うのが反対の理由だったのです。
しかし、ベネズエラのエル・システマの耳の不自由な人達は、耳は聞こえないけれど全身で音楽を表現する事に、とてつもない喜びを感じているのだそうです。
彼らに言わせると「音楽のない世界なんて、もう考えられない!」のだそうです
耳の不自由な人達ばかりでなく、エルシステマのオーケストラの人達も、全身で音楽を表現する。音楽を楽しんでいます。
音が聞こえなくても、違う方法でメロディーを楽しむ。音を感じる事が出来る話に、皆、目頭が熱くなりました。
「こうでなければ無理」
私達は、習慣が常識になってしまい、頭から無理と決めてしまいがちです。
それが、どれだけの可能性を奪っている事か!!
映像でエル・システマの素晴しさを見せて頂きましたが、技術の素晴しさに加えて、皆が一人一人輝いている、音楽を心から楽しんでいる事が、音楽本来の素晴しである事に築かされました。
最後に、大使夫人が長崎の原爆資料館に行ったときの話をして下さいました。
被爆し、目にはめ込まれたガラスが解け、目が空洞になったマリア像が余りにもショックで直視出来なかったそうです。
その後、原爆博物館で、被爆した樫の木を見たのだそうです。
その樫の木は、木の真ん中に無数のガラスの破片が刺さっていたのだそうです。
原爆を落とされた時、この樫の木はまだ、細い若木で、爆風で粉々になったガラスが、樫の木に刺さったのです。
それでも、その樫の木は成長して、毎年年輪が出来、60年経って切り倒された時、真ん中に爆風で飛ばされたガラスが刺さって、それでもなお、成長した事が発覚したのだそうです。
大使夫人であると同時にオペラ歌手でもあるあるエリカ・コロンさんは、この被爆した樫の木とマリア像の思い出を、お父様が作曲した「アヴェ・マリア」と言う歌に託して歌って下さいました。
大使夫人は、この歌を、いつも心の大事なところにしまってあるのだそうです。
「アヴェ・マリア」は色々な作曲家が曲を作っていますし、多くの歌手が歌っています。
アヴェ・マリアは悲しみを洗い流す癒しの歌と言う印象があったのですが、今回大使夫人の歌声を聞いて、癒しと言うより、悲しみや苦しみが全て去ったあとの幸福感の様な物を感じました。
マリア様の愛って、静か~な、幸福感。何の理由もなく、ただただ幸せ、と思える様な・・・上手く表現出来ないのですが、それが天国の愛なのかな?と言う感じがしました。
多分、大使夫人の愛の波動が高いのでしょうね。
歌う前に、「音楽家と言われるとシャキッとしなくてはと思うし、家では子供達にガミガミ言っちゃうし、でも、大使夫人と言われるとお澄まししなくちゃいけないし・・・・」と、はにかんでおっしゃられる可愛らしい方でした。
最初、ベネズエラ大使夫人と聞いて、ラテン系美女でスペイン語でお話されるのかしら?と構えていたところ、日本語がとても流暢で、清楚な雰囲気の素敵な方でした。
※ベネズエラのコーヒーはとても美味しいのですが、生産量が少なく輸出量が余り無いのだそうです。
日本では大使館だけで飲めるのだそうで、ベネズエラ大使館のコーヒーをお持ちくださいました。ケーキ「オペラ」と共に。
※コーヒーの写真を撮り忘れた事に気付いたのは、ケーキを食べ終わった後。コーヒーだけの写真を撮りましたが、見た目は普通のブラックコーヒーなのでupは断念。
周囲から「コーヒーの写真を撮っても香りは残らないわよ」と笑われました・・・確かに