ハンガリー独立の陰に咲いた小さな恋① | Salon.de.Yからの贈りもの〜大事な事は全てお姫様達が教えてくれた。毎日を豊かに生きるコツ

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元ワイン講師であり歴史家。テーブルデコレーションを習いに行った筈が、フランス貴族に伝わる伝統の作法を習う事になったのを機に、お姫様目線で歴史を考察し、現代女性の生きるヒントを綴ったブログ。また宝石や精神性を高め人生の波に乗る生き方を提唱しています。

ハンガリーの独立を後押ししたエリザベート。

ハンガリーには彼女の息吹を感じられる名所が沢山あります。


メディアでは姑ゾフィーへの対抗心からゾフィーが嫌いな物は全て好んだと紹介されます。

しかし、一国の独立をそもそも「嫁vs姑」のスキャンダルでまとめようとする事が浅はかです。


私はシシィはそんなお馬鹿な女性ではなく、もっと複雑な背景があると思います。


シシィの結婚が決まると、シシィが歴史に関する知識が乏しく、宮廷で必須とされるフランス語が話せない事に、宮廷では不満を感じていました。


そこで、父マクシミリアンは沢山の教師を雇い、特に歴史教育に重点が置かれる事になりました。


シシィのお妃教育の担当となったのが、ハンガリー出身のマイラット伯爵。


彼はメッテルニヒを支持しつつも、祖国ハンガリーの人々をウィーン政府が抑圧し苦しめてきた歴史を、シシィに繰り返し聞かせたのでした。


マイラット伯爵の話し方は非常に魅力的で、授業が夜遅くまで延長しても決して退屈する事はなく、シシィにとっては楽しい時間だった様で、シシィの勧めで兄弟達も授業を聞きに来ていたと言います。


熱血教師マイラット伯爵は、別に他意も無く、長い帝国の歴史の一部としてハンガリーとの関係性を教示しただけの事だったのでしょう。


しかし若いシシィの心にハンガリーへの熱狂的な愛情が芽生えたのです。


ハンガリーは大地主の貴族が多く、帝国の支配下にある国の中では財政潤沢な為、ハプスブルク家の支配を嫌い、古くから独立を訴えていました。




気性が荒い騎馬民族のハンガリーとオーストリア宮廷の関係は思わしくなく、宮廷はボヘミア貴族との友好関係を重視していました。


そこへシシィが嫁いできて一遍。




シシィはボヘミア貴族から自分がないがしろにされていると感じ、ボヘミアに関する全てのものに激しい嫌悪感を感じていました。



一方、ハンガリーの貴族達はシシィに対して好意的で、いつも暖かく迎えてくれていたのです。



シシィは広い平原を馬で疾走するハンガリーの民族に憧れを抱いたのです。


もともとシシィは自由を愛する人です。

一つの国が支配し、他の民族の精神や宗教の自由を拘束する事に反対していました。


フランスから始まった革命がオーストリアにも飛び火し、独立運動の波が押し寄せる中、シシィは共和制を支持し、これからは民主主義の元に夫々の民族が独立して共存して行くと言う考え方を持っていたのです。


男性優位の社会では、女性は能力が低く、半人前と軽視され「可愛いお馬鹿さん」が求められる社会の中で、シシィは女性の能力を評価し、自由に解放されるべきと考えていました。プンプン




自分の考えがマイノリティーである事を自覚していたシシィは絶大なる権力の中で圧制される小民族の立場に自分を重ね合わせたのです。


勿論、帝国主義の宮廷でシシィの意見など取り上げられる筈はありません。




自分は相変わらずアテにされていない。しょぼん


巨大なハプスブルク帝国vsエリザベート


シシィはいつしか、婚家ハプスブルクと敵対していたのです。

そのハプスブルクの象徴がゾフィーだったのではないでしょうか?


誰からもアテにされない宮廷とは違って、ハンガリーの貴族達はエリザベートを頼みの綱として頼ってくれる。

理不尽な圧制から救ってあげたい、シシィがその様な思いに駆られたのも無理もない事です。


シシィは貴族でもないハンガリーの女性を側近に加え、ハンガリー語をほぼ完ぺきにマスターしたのでした。

シシィが外国語を苦手としてきた事を知っている人達は驚愕の色を隠せませんでした。ニコニコ


・・・・to be continued