マルガレーテとファナ ⑦―あとがき①自分の人生の運転席に座ろう― | Salon.de.Yからの贈りもの〜大事な事は全てお姫様達が教えてくれた。毎日を豊かに生きるコツ

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元ワイン講師であり歴史家。テーブルデコレーションを習いに行った筈が、フランス貴族に伝わる伝統の作法を習う事になったのを機に、お姫様目線で歴史を考察し、現代女性の生きるヒントを綴ったブログ。また宝石や精神性を高め人生の波に乗る生き方を提唱しています。

マルガレーテがサクセスストーリーさながらに、不幸や困難を乗り越えて、個人的な幸せは少なかったけれども実績と敬愛を勝ち取ったのに対し、ファナは精神の闇に潜る事によって過酷な現実から逃避し、内なる世界の住人となったのは、二人の性格の違いが大きいと思います。





確かに、「発狂」と言うと恐ろしく、不幸なイメージが強いですが、私個人の考えとしては、物事の善悪や幸不幸と捉えず、中立的な感覚で見れば、ファナの発狂は、現実逃避であり、肉体的な死を迎える迄、ファナが安らかに生きるには、これしか方法が無かったのではないかと思います。





二人の生涯を振り返ると、前向きで適応力の強いマルガレーテは、戦乱の時代、特に自身の自由など存在しない王家の子にとっては、まさにサバイバル力の強い女性だった事が幸いしたと思います。





それでも、夫ファンの死後、兄フィリップにファナの子供にファンと名付けてくれと懇願したり、父を慕い、生涯父の片腕となり尽くそうとしたり、愛する者の死を恐れて片時も離れずにいると等、理屈より感情が優先する女性特有の脆さも持ち合わせていたと思うのです。




彼女はスペインのイザベラ女王の様に、その脆さや女性特有の執着心など、統治者としては負とされる要素をストイックさと精神力でカバーしてきたのではないかと思います。





勿論、持ち前の明るさや人生を楽しもうとするフランドルの気質も貢献した事でしょう。

しかし、彼女は、自分の人生を生きる覚悟を決めた人だと思います。





覚悟を決めた人は潔いのです。





最終的には、政治の道具として利用される人生を拒否し、最愛の夫との思い出を胸に、総督の地位を得る事で、自らの力で自分の人生を切り開いていったのですから。





一方、ファナの生涯を振り返ると、自分の人生の舵取りをする術が無かった様に見えるのです。





姫伝説では書きませんでしたが、ファナは故郷スペインに里帰りをする途中、フィリップと共にフランスに立ち寄りますが、フランス王に媚びを売るフィリップに対して、フランス王と王妃に毅然とした態度で抵抗を見せる等、スペイン王家の子と言う意識は非常に強かった女性です。





利発な女性だったからこそ、宮廷やスペインから引連れてきた臣下の者達の空気を感じ取り何かしなければと言う思いと、一体何をしたら良いだろうと言う現実の板挟みになっていた事が想像されます。





彼女にもアドバイザー的立場の者も居た事でしょう。スペインの母からの叱咤の手紙も届いていたのです。

彼女に少しの強さがあれば、ルーズで無能な夫など見切りをつけて、力の及ぶ範囲で宮廷を掌握する事も出来たかもしれません。





ファナの母であるイザベラ女王も夫フェルナンドの浮気には何度も煮え湯を飲まされましたが、そこをグッと耐え国や夫を支える事に邁進した。国の安定の為に夫が応戦すれば、資金得る為、身重な身体でもスポンサー探しに奔走する。




この様なしっかり者の女性なだけにフェルナンドも妻には頭が上がらなかったのです。

だからどんなに浮気をしても、それはそれ。


イザベラの事は心から尊敬していたのです。

難しい事ですが、ファナにはその様な考えには及ばなかったようです。





その一因として精神的な弱さや、依頼心の強さもあった事と思います。

しかし、私は、母や姉の存在も影響していると思えるのです。





偉大な母親と母と母が不在の時は代理を務められる程しっかりした姉。

こんな二人がいたら、平凡な少女には何となく「みそっかす」気分が芽生えませんか?





勿論母も姉も、ファナの事は少しも「駄目な子」なんて見ていなかった筈ですが、出来る人の存在は無言の圧力さえ感じると思うのです。





加えて、地理的にもスペインの気候風土は厳しい土地にありながら、敬虔なカトリック国である為に禁欲的です。

スペインはフラメンコで有名ですが、あのフラメンコは内なる抑制の精神的捌け口であるから、あれだけ情熱的で激しいのだと思うです。





ファナの内面にあった思いが、家族や宗教の教えによって内へ内へと抑えられていたところに、フランドルの優雅で奔放的な文化を目の当たりにして戸惑った事は確かです。





加えて多感な時期に絵に描いた様な王子様が現れ、一時の気まぐれで強く愛されれば、ずっと抑圧されていた少女の心の糸は、張り過ぎた弓を引くのを同じだったのではないでしょうか?





ファナの人生は色々な要素によって乗っ取られてしまい、自分の人生を生きると言う覚悟がないまま、翻弄されてしまったのだと思います。





私達の生活でも、親の視点からは良かれと思っても子供にとっては圧力だったりする事があります。

その多くは、子供の頃は気付かなくても大人になってから、親の影を感じたり、独立する事よって解放される事もあるでしょう。





TVや雑誌を見て、そこに紹介されている事が世の中の普通で、それとは違う自分の生活や性格に不安を覚える事もあるでしょう。



Facebookなどを通してイベントが盛り沢山な人やお洒落な生活をしていそうな人達ばかり目にして、自分と比べ自分の生活がつまらなく感じる事もあるでしょう。




でもこれらは、物事の一面だけを切り取られたものです。



情報に踊らされる気持ちも分かりますが、それでは、自分以外の物に自分の人生を乗っ取られてしまったのと同じです。





私達はマルガレーテやファナの様に極端な人生を送る事はありませんが、自分の人生は自分で責任を持つ事。自分の人生を生きる事を謳歌しようと二人の女性は言っている様な気がします。





自分の人生を生きる覚悟を決めるには、潔さが必要とされます。

でも、自分は何がしたいのか、どんな風に生きて行きたいのかが、漠然とでも分かっていれば、不用な情報に振り回せれません。



「自分は自分」と思えるから、他人と自分は違っていて大丈夫ですし、冷静な判断で、巷に溢れている情報など雑音が全てでは無い事が分かるからです。





それに、無駄な情報に振り回されなくても、必要な物は必要な時に自然と集まってくるものなんですよ。

人間の脳はその位優秀に情報収集が出来るのですから。





何度かブログでも申し上げていますが、自分の自生の運転席は絶対に人に明け渡してはいけないんです。




さぁ、皆さんも自分の人生の運転席に座りましょう!