ヴァレンタインデーに向けてショコラの案内が手元に届き始めました。
今は、敢えてヴァレンタインデーに告白をする人は、余りいない様ですが、ホットなヴァレンタインデーを過す人も、募集中の人も、一度や二度は失恋をした経験があるものです。
そう、あの「失恋」と言う2文字・・・・人生で、二度と見たくないものです。
辛いとか悲しいと言うより、心に空洞が出来ちゃった様な感じ。
それは、愛を与える相手がいなくなってしまったからです。
好きな人から愛し、愛されたいと思うのは、誰もが思う感情です。
愛されたいと願いながら、愛する事の方が喜びが大きいから苦しいんです。
今迄、とめどなく溢れていた愛が、突然行き場がなくなってしまう。
だから「私、どうしたら良いの?」と戸惑ってしまうんですよね。
ずっと、ずっと前、迷った末に気持ちを伝えようとした矢先に、好きだった人が結婚する事を知った事があります。
向こうも満更ではなかった事様子だったので、期待し過ぎてしまったのでしょうね。
その時、「自分は選ばれなかったんだ」って思いました。
私は、お相手の女性より劣っていたんだ、と思ったら、自分の欠点ばかりに目が行ってしまいました。
街で、自分の2倍近くもある様な子(ちょっとオーバー?)が、彼氏と手を繋いでいるのを見ると倒れそうになる(失礼)・・・・これじゃ、完全に、性格も悪くなってましたね。
もう、2年位、どんなに楽しそうなお誘いもNo!
引籠ってました。どーせ、選ばれない女よ!って。(笑)
長い痛手から立ち直って、ある時、江原啓之さんの本を読んだら、「運命の人はいない」とありました。
長い人生で会う人は沢山います。
運よく、最初に出会ったA君と上手くいけば、次に合う筈だったB君との可能性がなくなるだけ。A君がダメだったら、次に会うB君に可能性が移ると言う様に、B君がダメだったら、C君・・・と可能性が次の人に映るだけ。だと・・・。
渦中にいる時は、「もう出会いなんてない」と思いがちですが、好きになれるか否かは別として、確かに、出会いは幾らでもあります。
それは、人脈が華やかだったり、大きな会社にいる人の話でしょ?と思いますか?
いいえ、極端な事を言えば、家にいたって、山の中にいたって出会いはあります。
だって、ある日イケメンな宅急便のお兄さんが来て、それが運命の相手かもしれないし、偶然入ったコンビニで出会うかもしれないでしょ?
無理に自分が好きになった人を忘れなくても良いんです。
ある期間、自分が誰かに愛を注いだ事、辛くなる程愛を分け与えようとした自分に誇りを持って下さい。
あれから随分時が流れて、今なら、ご縁だったと思えます。
そして、辛い時期があったから今の自分がいます。
今の自分だからこそ、出逢えた人もいる筈です。
次の誰かに出会う為の通過点だっただけです。
誰に向けて良いか分からなくなった愛を、暫く自分に向けてみて下さい。
無理に次の人を探さなくて良いんです。
ましてや、自分を卑下しないで下さい。
自分の為に、自分に優しく。
好きなコンサートに行っても良いし、買い物でもいい。
楽しいと思える時間を大切に・・・・すると、楽しいオーラに引かれるのか、不思議と人が集まるものですよ。