ウィーンの代表亭なお菓子アプフェルシュトゥルーデル。
オーストリア版アップルパイです。
新聞紙の文字が透けて見える位に薄く伸ばした生地を、何層にも巻き上げてオーブンで焼いたもの。
実は、トルコのお菓子がウィーン包囲の時に伝わり、宮廷で洗練されたお菓子に変化していったのです。
フィリング(詰め物)をチェリーにすれば、キルシェン・シュトゥルーデル。他にもお肉や野菜にすれば、前妻やメインのお料理にも使われます。
女帝時代はお砂糖が高価でしたので、現代の味に比べて甘さは控えめだったそうです。
普通のアップルパイに比べて、生地自体もあっさりとしており、加えてリンゴの酸味とスパイスの風味に、いくらでも食べられそうなお菓子です。
ケーキ屋さんやカフェ、観光地の軽食売り場など、どこでも食べられる美味しいお菓子ですが、私は、生地がパリっとした、温かいアプフェルシュトゥルーデルにバニラアイスを添えて頂くのが一番好きです。
他にもファッシング・クラプフェンと言う、中にアンズのジャムが入った揚げ菓子も定番です。
いわゆる、揚げドーナツの様なお菓子ですが、この素朴なお菓子はマリア・テレジアの時代に宮廷舞踏会で参加者全員に振舞われたと言われている、宮廷舞踏会には欠かせないお菓子でした。
以前、自宅近くのドイツパンの美味しいパン屋さんで、ゴルフボール大でジャムの替りにオレンジピールやレモンピール、レーズンを混ぜたクラプフェンを出していましたが、素朴ながら生地自体がリッチな味わいで、後を引く美味しさです。
他にもチロル地方の地の利を生かしたミルクやチーズを使ったお菓子や元帥オイゲン公の故郷サヴォイアのビスキュイ(コーンスターチを使ったサックリとしたビスキュイ)など。
マリア・テレジアの時代になると、フランス人の旦那さんフランツの影響もあって、お菓子もより洗練され、その種類も一気に増えました。
この様にお菓子1つをとっても、ウィーンの文化は色々な国の影響を受けて今日に至っています。
ですから同じドイツ圏にありながら、質実剛健のドイツのお菓子に比べて、オーストリア菓子はどこか洒落ています。
さて働くお母さんの先駆けであるマリア・テレジア。
夏は5時に起きて、夜遅くまで執務です。膨大な書類を承認したり、戦争の作戦会議をし、その合間を縫って外国の大使と謁見する等。それだけでも大変なのに、女性であるテレーゼは子育てもしなくてはいけません。
勿論、養育係はいましたけど、子供の教育方針などを決めて、指示をするのはテレーゼ。
子供達一人一人に気を配り、誰かが病気にでもなれば、時間が許す限り付添っていたそうです。
そんな女帝ですから、ゆっくりとティータイムを取る事に憧れていたました。
いつも、書類が山と積まれた執務机で慌ただしくコーヒーを飲むのが関の山ですから。
そこで・・・。
シェーンブルン宮殿の正面に広がる小高い丘の上に、グロリエッテと呼ばれるバロック様式の回廊式東屋があるのですが、その近くにある小グロリエッテと言う小さな館で、時々ティータイムを取る事にしたのです。
小グロリエッテで皇帝夫妻は一緒に朝食を摂ったり、ティータイムを楽しめる、ちょっとした隠れ家です。
現在は立ち入り禁止となり、ウィーンっ子でさえ見過ごしてしまう様ですが・・・。
テレーゼはグロリエッテから一望出来るウィーンの眺めが大好きでした。
眼下にシェーンブルン宮殿を見下ろし、遥か無効に見えるウィーンの森に抱かれる様に広がるウィーン市内は絶景です。
女帝はこの眺めを見る度「私のウィーン」との想いを強くした事でしょう。
女帝はグロリエッテの下に小さな厨房を作らせ、そこからコーヒーを運ばせてはグロリエッテのテラスでのティータイムを楽しんだそうです。
このグロリエッテのテラスが現在カフェになっていて、観光客も女帝と同じ風景を見ながらお茶を楽しむ事が出来ます。
小高い丘とは言え、グロリエッテに行く斜面は、登るのは大変。
私もやっとの思いでグロリエッテに辿り着いた思い出がありますが、テラスから見えるパノラマは本当に素敵で、いつまでも留まりたい程です。
洪水の様に押し寄せる難題を乗り切り、16人の子供達を育て上げたテレーゼ。
上手く行かない日や、もうひと頑張りしなくてはならない時、オリオ・スープと共に甘いお菓子達はテレーゼの活力でした。
私達と同じ様に、甘いお菓子は、頑張る自分へのご褒美だったのかもしれません。
※写真はお菓子教室で作ったアプフェルシュトゥルーデル
馬蹄形に折り曲げて、オーブンで焼きます。