一ヶ月の長期入院が必要と言われた私は、夏休みを利用して手術を行うこととなった。


但し、ひと月前に再受診して、入院に備える準備があると言われたのだが、ボダ子は例によって無視する。


夏休みに入って十日ほど経った頃、入院予定日にイキナリ病院を受診し、入院手術をするために来たと言われれば、病院側も準備なしで大弱りで受け入れるしかない。


本当に一般常識の無いボダ子。


通常、入院する場合は事前予約が必要で、その予約はしていたが、入院に必要な準備のための検査がある。


私の場合も全身のチェックに血液検査等あった。


医師たちも予定があるし、オペだってベッドだって空きはない。


仕方なく私は内科病棟へ入院する事となった。


普通なら入院を拒否されても文句は言えないのだが、何せボダ子は常識の無いネグレクトである。


拒否すれば、「もう手術はしない」と言いかねない。


そうなれば被害を被るのは誰でもない子どもの私だ。


事前の報告にも記載されていたのだろうか、割とすんなりと入院させてくれた。


この時も『なんて非常識な親なんだ…』と思ったものだが、文句を言っては機嫌を損ねてしまうので黙っていた。


ボダ子は私の入院の間、休みをとって付き添うと周囲に入ってあった。


けれど、実際は違っていて、男と度々姿をくらます始末。


私は両足を手術していて、ベッドから抜け出すこともトイレに行くことも風呂にも入れないわけで。


担当医の許可なくベッドから出てはいけない。


ただ、子どもなので身軽だったため、車椅子に移乗することが出来た。


トイレへ行くときは介助が必要だったが、それ以外は何もすることが無い。


暇を持て余すボダ子。


身代わりに次女を置いて、自分は自宅へ帰ったということにして、ボダ子自身は男と共に羽を伸ばした。


私は次女に受験生なので、「別にムリに付き添わなくてもいいよ」と言ったが、次女は自宅にいるより気が休まると言って、大抵はこの次女が付き添っていた。


そう、次女にとっては長女の魔の手から逃れられる唯一の場所。


私の我儘を聞いている方がまだ楽だという。


それほど強く長女は支配していたのである。


そんなある日の昼下がり、三日ほど連絡が取れなくなっていたボダ子が男を連れてやってきた。


この三日間、「仕事に出なきゃならない」と嘘をつき、次女を置いて消えた。


病院側は保護者の承諾が必要な案件があり、連絡を入れたが行方知れず。


本当に仕事へ行ったのかと繰り返し訪ねる看護師と担当医は困り果てていた。


それから三日後、現れたボダ子。


無責任だと看護師は文句を言うが、それを私に言っても仕方がない。


ボダ子とはそういう人間だからだ。


その上、見舞いに来たわけでもない男に向かって、「お父さんと呼びなさい」と命令するボダ子。


流石にブチ切れた私はベッドの上で怒鳴り大暴れした。


それを見た看護師に勘違いされて無理やり安定剤を打たれてしまう。


次女はただ黙って震えてみていた。


その日の夜は一人病院で過ごすことになり、大人は何て汚くてズルいのかと思い知る。


私は別にストレスで癇癪を起こし、気が変になったわけじゃない。


ボダ子が自分の情夫相手に、父親の振りをさせたことに腹を立てただけのこと。


おまけに次女の様子から、男との間で何かしらあった事が伺えた。


あまりにも無神経で身勝手な態度のボダ子。


ハラワタが煮えくり返るとはまさにこのことだと思った。



私は、ボダ子がネグレクトという虐待をしているということ、その事実を初めて知らされた。


言われてみれば、同じ職場で働く寮の大人は、子どもの食事や掃除洗濯も親がしている。


おまけに兄弟姉妹がいれば、ちゃんと家の事をさせつつ、勉強もできるようにしているのに、ボダ子は朝早くから夜遅くまで帰ってこないし、週の半分は帰宅しない。


そう、月のうちの2/3は帰ってこないのだ。


たま~~~に、月に一二度、休みの貧は家にいることもあるが…ほとんど顔を合わせることも無かった。


何か他所の家と違うと感じてはいたが、仕事が忙しくても休みもあれば、食事の支度だってやれないことはない。


ボダ子は旅館の賄いから貰い受けるご飯を持ち帰るが、娘たちの衣食住の管理は母親の仕事だろう。


その上、私は幼い頃は喘息があった。


そして…Drがみつけたネグレクトの痕跡は、私の両足にある多指減指症の未治療の後だった。


コレは通常、2歳までに治療するのが普通で、病院へ通った痕跡が一切なかった。


当然だろう。


何せ両親は逃げ回っていて、私が五歳になるまで戸籍が存在していないのだ。


おまけに産むことを拒否していたボダ子が、どうして治療の為の通院なんかするだろうか。


そんな現実を誰も教えてはくれなかった。




同じ頃、ボダ子は職場の同僚と不倫している。


一回り近く年の離れた年下の男性で、次女と同じクラスの男子生徒の親だった。


この男は社宅住まいで、三交代勤務だったので、泊まりの日があり、ボダ子が帰ってこない日があるのはそのせいだったというわけ。


半分は本当に仕事が忙しいせいだろうが、大抵はこの男との関係があったため。


ある日、その事実を知った私は、ボダ子を尾行した。


寮から少し離れた場所で、男の車を待って乗り込む。


そんなボダ子の姿を数回目撃した。


何度目かの時、私はボダ子にくっついて男の車に乗り込んだ。


ボダ子と男の関係を確かめるため。


なぜ、そんな事をしたのか。


それは、ボダ子の言う「私の青春を返せ」「踏みにじられ自分の自由な時間を返せ」と言った事の意味を知る為だった。


五年生のある日、私は学校でイジメに合い、制服をカッターで裂かれた。


それまでも上履きを盗まれたり、嫌がらせは度々受けていたが、さすがに性質が悪いので教員が動いたのだが、肝心の保護者と連絡がつかないと騒ぎになる。


この日、ボダ子はいつも通り出勤したが、職場には行っておらず、男とどこかへ消えた。


夕方になって、何時も戻らない時間にノコノコ帰ってきたボダ子。


昼間の騒ぎは寮母に報告が行っていた。


そのため、帰ってきたボダ子を捕まえ、寮母の説教が始まった。


私は寮の園庭で遊んでいたが、声を聴きつけて様子を伺う。


どうやらボダ子は寮母にたてつき、反抗的な態度に出ている様子。


ただ、寮母は「何処で何をしていたのか」と、ボダ子に問いただしているに過ぎなかった。


けれど、ボダ子は疾しい事があるため、どうしても白状しない。


仕事へ向かったはずなのに、一日中所在不明では言い訳も無いだろう。


ブチ切れたボダ子が向かったのは私。


園庭に居た私を捕まえ、延々と愚痴り始めた。


しかも理不尽この上ない言葉の数々を投げつける。


オマエなんか生みたくなかったのに、勝手に生まれてきて育ててやったのに、なぜ邪魔ばかりするのだとか、生まれてこなければ苦労させられることも無かったとか、自己中で身勝手な事ばかり三時間あまり言い続けた。


最後には、「中学卒業したら、働いてボダ子を養え」という。


とても無茶苦茶な言い分。


それを泣きもせずに淡々と聞いていた私。


私はこの時、何を思っていたかというと、「この人を親だと思うから哀しむ」「こういう人間だと割り切ってしまえば怒りもわかない」と、そう考えて聴いていた。


いたって冷静に聞き流し、ボダ子の言い分を聞いていた。


それを寮母と次女がそれぞれ別の場所、物陰から聞いていたようで、後日「アンタ、強いね」と言われる。


あの日、脳震盪で訪れた病院で、診察してくれたDrが教えてくれたボダ子のネグレクト。


その事が無かったら、この時も大人な感情で聴いてはなかったと思う。


この日の事がきっかけで、ボダ子に男がいると知った。


どんな男なのか、知りたくて尾行したのだ。




何度かついて行き、様子を伺ってみたが、なんてことはなく、人間としても尊敬できるような人物ではなかったし、ただの浮気男でしかなかった。


また、年上女房で地味な大人しめの女性。


一人息子を大事に育て、ボダ子と同じ職場で働く同僚。


仲居というのは女の職場で、其々がライバル。


男に関しても既婚未婚問わずに競い合うのが女の園。


仕事では足の引っ張り合い、男女間では奪い合うのだという。


何とも浅ましい。


だからボダ子も負けじと競い合ったというわけ。


でも、ボダ子の相手は平気で二股三股をかける。

そんな大人を誰が尊敬するだろうか。


しかもこの男はまだ中三だった次女にも手を出していた。


それを知ったのは私が両足の手術をした六年生の夏休みの事だった。




六年生の夏、私の両足を形成外科で手術することになっていた。


前年のGWの時、脳震盪で受診した時のDrが、ボダ子を説得して手術を受けることになった。


というのも、私は長年ボダ子に騙されていて、手術を受けられないと、一生治せないのだと教えられていた。


そんな物は真っ赤な嘘であり、11年もの間放置されていることの方が驚きで、意思はこのまま放置するのなら虐待で通報すると言ったという。


ボダ子は、長年自分が放置してきた事実を突き付けられ、最初は「やぶ医者!!!」と暴言を吐き続けたが、通報されてはたまらない。


ここにきてようやく重い腰を上げるに至ったのである。


だが、ボダ子の場合、放置していたのは私だけでなかった。


あとから知るのだが、次女は生まれつき左目の視力が悪く、斜視であったのだが、ボダ子は気づかず娘は成人を迎える頃、その影響が出始めるのだ。


この時、次女は勿論だが、ちゃんと子どもたちと向き合っていれば、その後の悲劇は起こらなかっただろう。


ただ、運よく私はDrの目に留まった。


その医師が常識あるまともな医師で、正義感があったおかげで私個人は救われる。


けれど、この行為が長女の中で自分は愛されていない、妹は母まで独り占めにしたと思い込んでいく。


そう、自己愛の長女にとって、末っ子は特別扱いされたと映るのである。






自宅に戻ったボダ子。


それから半年後の4月初旬、再び子供を連れ出して家をでた。


自宅からおよそ30㎞離れた町へ向かった。




そこでの新生活はガラリと変わる。


母子寮という名の福祉施設。


和室六畳に三畳の隣室と粗末なミニキッチンがついた出入り口があるだけ。


この極小の一室が家族五人の居住空間。


何も持たずに家を出てきたので、その日寝るための布団と食器などの日用品を買い出す。


学校は制服のある学校なので、転校手続きをとって転入する。


学用品はとりあえず持ってきたので、制服と体操着などを調達した。


数日後、ボダ子は老舗旅館の仲居の仕事を見つけた。


長女は中二に、次女は中一、三女は五年生に、私は四年生になっていた。




ボダ子は早朝から出勤するので、子どもたちが起床するころにはもういない。


朝食から自分たちで用意しなくてはならず、掃除洗濯に至る家事すべては分担作業になる…はずだった。


だがご存知、自己愛の長女は一切何もしない(出来ない)ので、家事のほとんどは次女がこなさなければならなかった。


だけど、普段から家事をしなかった娘たち。


簡単なものしか作れないし、食費代を管理する長女は自分の食べたい物を買って使ってしまう。


まともな物を食べさせてもらえないし、食事抜きにされる日々が続く。


小学校はまだ給食があるが、中学生は弁当になる。


自分で弁当を作れない長女は、購買部のパンを買って過ごした。


なので、ボダ子が置いて行く食費はそれだけで消えていくため、妹たちの日々の食費まで回ってこない。


おまけに洗濯物も買いだしも、自己愛長女の命じるままに三女が行う。


キチンと三食自炊すれば、弁当も作って持って行けるはず。


でも、そんな計画性も家事能力もない。


そして長女の恐怖支配が始まった。



異を唱えれば、長女の容赦ない暴力が襲ってくる。


お腹が空いても、ご飯を作ってはくれないし…食材も何もない。


耐えかねた私は母の働く旅館へと足を向ける。


仕事の合間に残り御飯でおにぎりを作ってくれるが、ボダ子と一緒に帰宅しなければ、あの自己愛長女に殴られる。


そんなリスクを覚悟して、賄いご飯を分けてもらう。


客が食べ残し、手つかずの揚げ物や刺身を皿に盛りつけ、暗い夜道を10時ごろにボダ子と共に帰るのだが…こんなことを毎晩なんてしてられないし、寮母にみつかっては叱られる。


次女も三女も長女に支配されていて助けてもくれない。


それでもボダ子は長女を一切叱らないし、家を抜け出してボダ子の職場へ行く私を長女は咎めてくる。


でも、そうでもしなければ私達は飢えてしまうだろう。


朝、御飯を炊いて弁当を詰める次女。


その残りを朝食にして、学校へ向かう三女と私。


長女は毎晩、気儘にお菓子を食べ過ぎ、朝食を抜く。


平日の昼食は給食があるからよいが、土日は食べられない事が多い。


これが小学校卒業まで続き、中学生になると日替わりで家事の当番をするようになるが、相変わらず財布を握る長女のせいで、まともな食材が買えない。


月末近くになると、いつもツケで近所のスーパーで買い物をした。


しかもその買い出し担当は大抵は三女か私。


耐えかねて中学に上がると新聞配達を始めた。


次女は高校生になるとバイトを始め、自転車で通学するため、自分で自転車を購入したが、長女はボダ子にねだって新車のバイクを買ってもらいながら乗らず、他人に貸して自分は高いバス代を払って通った。


その定期代を使って、わざわざ隣町へバイトに通う。


それでも一夏ともたずにやめてしまう。


塾に通っても授業について行けない長女。


何時しか長女はボダ子の恥部になっていた。




長女は、母の替りに家を仕切る。


けれど、この人には家事を切り盛りする才覚はなかったので、上手く食事を作って食べるという意識が無かった。


洗濯物も共同の洗濯機を使うので、順番待ちが面倒なため、真冬の凍る寒さの中で、洗い物もしたくない。


そうなると妹に任せてしまう。


押し付けられた次女と三女は、「自分のモノは自分で洗え」といい、末っ子にも同じことを要求した。


寮ではトイレも洗面所もお風呂も共同だったので、当然だが掃除当番日がやってくる。


勿論、これ等の仕事は三女と私が担う。


長女が掃除や洗濯をすることはなかった。


そんなある日、五年生になった私が、GW期間中に脳震盪を起こす。


運悪く救急車は出払っていてこない上に、何時も寮の子どもはイタ電するので来てくれない。


仕方なく寮母に話をつけ、休日診療を受けにタクシーで病院へ向かった。


そう、タクシー代も病院への付き添いも、大人がいなければ受け付けてくれない。


119で訊いた指定病院へ着くと、今度は医者が不在だという。


吐き気と頭痛で待合室の椅子に倒れ込んだ私。


待つこと三時間、緊急オペを済ませたDrが、大学病院から駆け付けた時、頭痛も吐き気も治まっていた。


それでも診察をしてくれるというので、大人しく診察室へ向かうと…Drはボダ子のネグレクトに気づく。


この時、初めて自分がボダ子に虐待をされている事実を知った。

ボダ子を見張るように言付けた長女。



そんな物は自分ですれば良いのに、何故か面倒なことはすべて妹に命じてやらかし、手柄はすべて自分のモノにして横どるのが長女だった


この時の長女もいつも通りに自慢の娘を演じる。



そのために私たち妹を扱き下ろして利用する。



常に引き立て役として妹を使うのが長女で、中でも末っ子の私を一番ダメっぷりを伯父にひけらかす。



その時、ボダ子が長女を自慢する際の引き合いに、末っ子の私を扱き下ろすのが何時もの手段。



伯父はその話をうのみにして、私への辛辣な態度をとるようになった。



伯母だけは冷静に、ボダ子の躾方の問題と批判したが。



そんな中、実子のいない伯父が私たちを引き取ると言い出した。



私にとったら渡りに船で有難い申し出だった。



だけどこの提案に猛反対したのが伯母とボダ子本人である。



まともな教育すら受けられず、生きて行く事さえ困難な状況で、ボダ子を選択する愚かな娘はいないだろう…が、さすがは自己愛の長女は違った。



自分が残りたいがために画策を始める。



ボダ子は長女が選ばれるのは当然だが、万が一にも私達が選ばれた時は…辞退しろと命じた。



『はあああ!?…誰が辞退するか!!!』と思っていたが、次女は長女の逆恨みが怖くてひいてしまうし、三女は三女で「お前は父親に付けよ」と言い、末っ子の私は一人だけ帰れという。



ライバルは長女と三女であり、私は問題外にしてしまう。



つまり、最初からボダ子は長女しか眼中になくて、他はどーでも良いのだ。



残るならボダ子と長女で、あとは施設行きという話だった。



ただ、伯母の中では万が一引き取るなら…次女か私という選択だったという。



その理由は、まだ小学生の内なら躾け方次第で変わるから…というモノで、従順で大人しい次女と、甘えん坊だが育て直しやすい私という選択だった。



此処でも長女に加えて三女はハブられる。



おまけにボダ子曰く、「お前なんかが伯父さんの養女になって、実家の財産引き継ぐなんか許せん!!!」とのたまい、父親の元へ置いてくればよかったと、本人の目の前で言う酷さ。


つーか、お前が子ども四人を引き取って、実家の支援を受けて育てる選択肢はないのか!?


と、当時は思ったよ。


伯父さんは四人とも引き取る気だったようだけど。


だけど、ボダ子と長女の目論見がばれてend。


伯母に嫌われた。


この時、初めて次女が本音を零す。


そう、ボダ子自慢の長女の本性は、決して本人は優秀でも気の付くタイプでもなく、ただ都合の悪い事や面倒なことはすべて第三者にかぶせ、手柄を自分のモノにしているだけの鍍金タイプの優等生だった。


だから残れば三日ともたずに本性がばれる。


実際、この時の滞在は約二ヶ月ほどだったのだけど、最初のうちは上手く猫をかぶっていられたが、一ヶ月が経つ頃には伯母に正体がばれてしまう。


大人の前でだけ良い子の仮面をかぶる長女。


掃除もお使いもお手伝いも何もしない(出来ない)長女の真の姿を伯母に知られた。


ボダ子が如何に娘の躾を怠っているか、その辺りをコンコンと説教されるが、ボダ子はその現実を受け止められない。


伯母の前で失態を犯し、余計な事をべらべらと喋ったのは私だと思い込み、キツイ折檻が始まる。


これがいつものパターンで、習慣化していたため、叱られる理由もわからず、何時もの虐待行為を受け入れるしかなかったのだが、それさえも伯母に見つかり、ボダ子は親代わりの伯父に咎められた。


そう、一ヶ月あまり一緒に居れば、否応なしに実態がばれるモノだ。


だけど、自分にとって都合の悪い事はすべて人のせい。


それが一番の弱者である私に向けられる。


それを庇う者は同じ目に合う。


家で私を庇ってくれるのは父一人だけだった。


ボダ子と自己愛の長女が作り出す恐怖支配の構図の中で、次女と三女は逆らうことが許されず、スパイ行動をさせられる三女は、何時しか憎しみを妹に向けるようになった。


自分に振り向いてくれない父と母。


それは末っ子の存在が邪魔だから…と、そういう意識をボダ子と自己愛の長女に植え付けられる。


悪いのは妹であって自分じゃない。


妹が存在しなければ、両親は自分の味方。


コイツさえ居なかったら…。


それが三女の意識だった。




やがて、行方をくらましたボダ子と娘たちを追って、父が実家へ姿を現す。


それを玄関先の掃除を言いつけられた私が見つけた。


逃げ隠れする理由のない私にとって、迎えに来た父親を素直に受け入れるのが普通の反応だ。


奥の部屋にいた伯母たちに、父親の来訪を告げた。


ボダ子にこっぴどく叱られた私。


何も悪い事などしていないというのに…。


子どもが四人もいて、何時までも逃げ切れるはずがない。


伯父と伯母はその日の夜、ボダ子に子どもにあたるなと言い、話し合って今後の身の振り方を決めるよう諭した。


実家に残って子ども四人を育てると言えば、伯父夫婦は経済的支援もしてくれるだろう。


だけどボダ子の選択は自宅へ戻る…だった。


やり直せるはずも無し、子どもを育てられる筈も無し。


それでも帰るという選択をしたボダ子。


生きて行くあてもないというのに…。



ボダ子は私が小3の時、ようやく子供を連れて実家へ帰る気になった。


二学期が始まる日、かねてからの計画を実行。


学校へ行くふりをして、駅の待合室に籠る。


長女はこの時中学一年で、次女が六年生、三女が四年生になっていた。


各駅停車で大阪へ向う。


途中、ボダ子は乗り間違えたと思い込み、天王寺で降りてしまう。


そして散々彷徨った挙句、夕方近くになって新大阪駅で下車。


寝台に乗るため、夜までの数時間を此処で過ごすが、またもボダ子のミスで寝台に乗れずに各停で福岡へ向かった。


座席に横になり、朝まで夜行列車に揺られて、一路長崎へ向かうが、この時、長女の命令でボダ子に張り付くよう命じられた。


理由は、ボダ子の様子が変で、私達を置き去りにして自殺するかもしれないという。


だからと言って、目的地に着くまではさすがのボダ子も行動しないだろう。


そして翌日、何度目かの乗り換えを得て、お昼近くになって長崎へ着いた。


ボダ子は二十年ぶりの実家で、記憶にある自宅まで二時間余り歩かされた。


前日からの逃避行でくたくたである。


おまけに実家だった家屋には赤の他人が住んでいた。


焦るボダ子。


そこへ偶然通りかかったボダ子の幼馴染みにより、実家から数百メートル登った先に新築された実家があるという。


残暑厳しい九月初旬。


マジで辛かった逃避行もようやく終わりを見せた。




実家に戻って開口一番、伯父である実兄に泣き崩れるように叱られる。


ボダ子にとっては自慢の兄。


だけど、伯父は伯父で暗闇を内に秘めていた。


この家の主だった父親との確執。


いろいろあって、許嫁ではなく教会の紹介で出会った女性と結婚。


バツイチで子どももいた女性との結婚は、当時は周囲から相当反発があったらしい。


伯父は跡継ぎとして教育を受けた人で、語学や帝王学などを学んだらしい。


それなのに反発して地元の大手企業に就職。


生涯サラリーマンとして人生を終えた人だが、敬虔なクリスチャンでもあった。


疑問がいくつかあるが、それはひとまず置いておき、そんな伯父は妹想いで必死にボダ子の行方を追ったという。


その事に対して伯母はボダ子を憎み嫌う。

確かにボダ子の場合、構えば構うほど悲劇のヒロイン化するので始末に悪い。


また、自分の行いが悪いとは思っておらず、身の程知らずで周囲に多大な迷惑ばかりかける。


その上、自己を正当化する嘘を重ねるので、なお始末に悪い。


伯母が子連れで嫁に来た当初、妹はまだ幼く母が必要な年頃で、娘と姉妹のような妹たちの母親代わりになったという。


そう、叔母は姉さん女房で、伯父よりも年上。


伯母から見れば、ボダ子の妹たちとは親子ほどの年齢差がある。


おまけに母親を知らずに育っているので、とくにボダ子のすぐ下の妹は懐いたらしい。


一方、ボダ子は理想の兄嫁ではないので、伯母に対して反抗的だったが、女としても人生経験が違い過ぎて敵わなかったよう。


そんな実家へ、子連れでは帰り難かった。


だから長女を連れて逃避行をした。


この事実を知るため、私は高校の時に単身で伯父の家を訪ねている。


ボダ子がやらかしたミスと嘘を知るために…。