さて、病弱な娘の命を懸けて、父のいる本州最南端の街へやってきたボダ子。
長女は4歳になっていた。
当時、飯場暮らしであったが、父は人夫性質の雇い主で親方。
その妻と娘であったので、飯場では女主だった。
娘たちは人夫とその家族から可愛がられ、束の間の平和な日々を送る。
けれど、順調に仕事を拡大させていった父の元で、経理担当していた人間が資金を持ち逃げしてしまう。
一気に借金を抱え、知人に助けられて生き延びた。
それからが生き地獄の始まり。
長女の小学校入学さえ忘れ、借金返済の日々。
末っ子の私は三歳になっていた。
覚えているのは薄暗い家屋の中で、階段の下の部屋にいたこと。
そして家主の魚屋の家に預けられ、柱に紐で結わえられていた。
日中、長女と次女は小学校へ通い、三女は幼稚園へ行く。
そんな日々の中、2DKの町営住宅へ引っ越す。
庭先に小屋を建て、風呂場を作る。
たまに父が帰ってくるが、殆どが母と娘の五人で暮らす。
母は病弱な私を抱え、内職と農家の手伝いで生計を立てた。
ボタ子に手を引かれ、弁当を持って梅農家へ手伝いに通った日々を覚えている。
そんなある日、五歳になった春、一人の大学生が我が家を訪ねてきた。
その青年は両親の知り合いだと言った。
庭先で遊ぶ私に声をかけ、家の事を訪ねてきた。
だけど、何故だか途中で興奮して…酷く罵倒し始めた青年。
私は驚いて泣き出した。
我に返った青年は、来た道を駈け出して戻って行く。
その青年が去った日の夕方、父が同じ道を通って帰ってきた。
昼間あった出来事を両親に話すと、父は黙ってしまう。
ボダ子曰く、その青年は異母兄だという。
父に会いにやってきたのだろうと言ったが、後に再会した時、異母兄は留学のためのパスポート申請時に私たちの存在を知り、様子を見に立ち寄ったと語った。
その前年には、異母姉が結婚していた。
彼等は、結婚式に父を招待したが…行かなかった。
そして訊ねてきた日、私は喘息の発作を起こした次の日で、まだ一人で座るほど体力が回復しておらず、父の膝の上に座って過ごしていた。
それなのにボダ子と長女は甘ったれていると言い、私を異母姉の攻撃の矛先に仕向ける。
お陰でまた発作をぶり返し寝込んでしまう。
この頃の私は喘息の発作を度々繰り返し、何度も死にそうな目に遭っているが、病院へは連れて行ってもらえなかった。
ボダ子は「運が悪かったと思い、怨むな」としか言わなかった。
そう、私はいつ死んでもおかしくなかったのである。
そんな中でも長女は塾通いしている。
医者は、すぐに入院治療しなければ、命の保障はないと言っているのに…。
やがて成長と共に発作は治まって行った。
一方、三女は小学生になってもおねしょが治らない。
彼女は偏食も酷くて、肉類も牛乳も一切飲めない。
とくにボダ子は三女に対して冷たかった。
大抵、三女は私と一緒か、一人放置されることが多く、次女が構ってフォローしていた。
ボダ子が構うのは長女のみ。
あとは父がうるさく言うので、生かさず殺さず適度に構うのが私。
長男を死なせているため、特に子供への扱いに口うるさい父。
病弱な私を放置するボダ子に、父は何時も厳しく言っていた。
そんな父も三女には扱い兼ねていた。
自分の留守中に生まれていた娘。
それが父には納得いかなかったのである。
ボダ子もちゃんと父に妊娠を知らせていれば違ったはずだが、鈍感で自己中心的なため、産み月になるまで妊娠に気づかなかったというのだ。
長女を生んでから毎年子どもを産んでいる。
居所を知られないように逃げていたので、検診に一度も行っておらず、出産するまで病院へ行っていないのだという。
それが原因だとしても、自分の子どもをはぶる親がいるだろうか。
私が病弱だったのも、ボダ子が自殺未遂を繰り返し、腹の子を流産させようと何度も目論んだ結果である。
それなのに、五年生になった私に向かって「お前が生まれてこなければ、人生をやり直せたのに…お前のせいで台無しだ」と言い放った。
ボダ子の現実逃避と責任転換だ。
この無責任で身勝手な愚痴を、延々三時間半も聞かされ続けた私は、物凄く醒めた感情しかなかったのを覚えている。
中学卒業したら働いて育てた恩を返せだの、人生を踏み台にした罰を受けろだの、母親である自覚がボダ子には全くない。
このような愚痴や本音をこの先、数回にわたって聞かされるのである。
そう、私はアダルトチルドレンだ。
このボダ子に虐待されて育つ。
そしてこの母以上のモンスターが長女である。
