昨日の午前中に行ってきました。

朝一なので、リハ室の人影もまばらです。

担当はアラフォーOTさんで、いつもの可動域の調整と疼痛のマッサージを兼ねたリハ開始。

ココは診察もだけど、リハビリもとても丁寧。

タップリ時間をかけて行います。

およそ40分ほどかけて行ってくれる。

まあその分、単位数も2倍ですが…

リハ中、リハ担当医が話しかけてきました。

どうやら右腕だけでなく背中も左上半身も筋肉が硬くなっている様子。

これでは可動域が落ちても無理はないと…痛みに耐えられる身体にしていかないとダメということになり、継続決定。

また、右わき下数センチのところに異常に痛い場所発見。

そう言えば、この場所は以前のリハの時もハリというかトリガーポイントというべき場所があって、しばらくぶりに押されて思い出した。

たぶん、広背筋と大胸筋が重なり合う場所で、腋窩が関係しているかも…

まあ早い話が、右腕の神経麻痺に頸椎症性神経根症が重なり合って、相乗効果で痛みを引き起こし、筋力低下を招いていると思われる。

そこに黄色靭帯プラス脊柱管狭窄症と…身体が拘縮する要素満載ということだな。

まあリハでも整形での話をチョコチョコ聞かれるので、少しは話をするけれど、あまり言いたくはなくて…適当に語尾を濁す。

それでも、やっぱり整形の対応は不思議な(矛盾が多い)ようで、突っ込まれても答えに困ることも多い。

例えば怪我した時の様子は話せても、神経損傷は術後に…としか言えず、また4年経過した今も抜釘していない理由も答えに困るわけで、偽関節?と思われたものが実は接着ミスによるもので、骨の再生が遅れた理由とか体質のせいにされていたり、骨密度を別の病院で計測したところ正常値であったことなど、話し始めるとキリがないので「…さあ?」と分からないふりをする。

すると、その後ペインの受診で、Drが必死で「気にするな」と気持ちの切り替えを促すよう励ましてくれるが…不器用なようで、何を言いたいかわからなくなる。

そんな調子なのだけど、整形でどれだけモラハラやパワハラに合い、ドクハラセクハラされたか、話す気分でもないので笑ってごまかす。

でも、たぶん…抜釘は医大病院になるかもしれない。

ひどい目にあった事実は理解されていると思うので、再び整形で抜釘しろとは言わないと思う。

爪の先ほども信用していない病院での手術なんて、死ねというのと同じ意味だ。

そんなことするくらいならこのままでもいい。

RSD/反射性交感神経性ジストロフィーであれば、通常以上に手術の負担があるわけで、それを無視してケアを行えば…・再び激痛に襲われてしまう。

賠償科学のレポートを読めば、そこかしこに悪意ある不公平な記述に辟易してしまう。

整形で受けたモラハラは、彼らの無知ゆえの...orz

結局、彼ら医療従事者は知識でのみ知り得た情報をもとに、すべてをソコに当てはめて間違った対応に従事してしまう。

別の見方(心理学レポート)を読めば、それがいかに愚かな行いであるか、知ることができたはず。

けれど、そんな都合の悪い情報は切り捨てられるのだ。

つまらぬ争いに時間を割いて、残された貴重な人生を無駄にできないと悟った。

まずは体調を整え社会復帰。

それだけ考えよう...







昨日、某テレビ局のトーク番組で、女優の秋野暢子がマラソンの継続の仕方を話していました。

最初は歩くことから始めたと、とにかく距離を歩くことから始めて、途中歩いたり走ったりしているうちにフルマラソン完走できるまでになったと、そう話していました。

独身時代、よく近所の砂浜を友人を誘って3人で歩きました。

一人だと続けられないウォーキングも、友人と約束していたら止められず、結構続きました。

目的は運動不足解消でしたが、友人のうちの一人は食欲不振で困っていたところ、ウォーキングを一緒に始めるようになって食欲が出たと言っていました。

また、別の友人は、ストレスで体調を崩していたのですが、一緒に歩くようになってストレス発散になったと言い、風邪をひかなくなったと喜んでいました。

そんなわけで、割と続いていたのですが…

あれから15年、かなり太ってしまった私ですが、また始めようと思います。

先日、国会図書館まで行ってきた日、体力がない事に気が滅入りました。

体調は(痛みは相変わらずあるけれど)このところ良いので、遠出も出来たことで少し運動をしていこうと思います。

朝早起きは昔から得意なので、まずは5時起きで30分ウォーキングから...

うっすら汗をかきちょうど良いのですが、いかんせん運動不足で腰が痛くなりました。

無理をせず、まずは継続から…そう思っています。

慣れてきたら少しずつ時間を延ばして、目標は1時間のウォーキングができるようになりたいと思います。



これは私が信仰していたとある宗教団体が、過去に合った実話なのですが、初代が他界して二代目継承時にトラブルがあり、分裂してしまったというもので、そのころちょうど中学生だった私は、大人たちの思惑に振り回されて、正しい情報もないまま、その後数年にわたり混乱する教団内にとどまり考えた結果、(無関係だが)オウムの麻原逮捕を見ていて脱会へと一気に動き、20年に渡る信仰を捨てた過去の話。

この教団は10歳から入信ができ、10~15歳までを少年部と呼び16歳以上の学生を青年部、18歳以上の社会人を成人部という青少年の組織化を行ていて、教団での教育システムがあり、一般信者との区別化を行っている。

さらにこの教育システムの上に位置づけされているのが、教団の宣教師ともいう教祖の弟子である導士という役職へ進む教育システムがあり、18歳以上の青少年は、所属する道場の道場長の推薦と指導部の面接を得て、志願という形で訓練部へと進み教育課程を消化する。

また、この訓練部への志願には、一般信者からの推薦もあり、現在は独身であることが条件で進むことができるルートもあるのだが、これはほぼまれなケースであり、ほとんどは青年部組織からの進級という形が多い。

私はこの教団の過去について、ずっと悩みながら20年間信仰していた。

初代が数名の側近者とともに戦後間もなく立教し、教団が大きくなる過程でこの教育システムの基礎を築いた。

やがて、初代がこの世を去る時に継承者問題が起きる。それが●●裁判と呼ばれるものである。

初代は二代に側近の関口を指名していたが、養女であった甲子女史を代表役員(後継者)として登録してしまったことから問題が起きた。

この時、教団は関口派と甲子派に分裂し、関口側は不服申し立ての提訴を行い、数年にわたり裁判でもめた。

裁判所はこの紛争に、甲子側の役員停止(事実上の敗訴)処分を行い終止符を打つ。

そして教団は二分化され、甲子側は教団名及びシンボルマークを変更して施設の一部を没収され、関口派に返還することとなる。

が、これらの事実を伏せたまま伝えられたのが甲子側の新派で私のいた教団。

だが、この数年間にわたる紛争中に、教団内のいわゆる過激派と呼ばれる一派が各地で紛争を起こした。

彼らは、歴史上その名を知られる学生運動家の残党とも言われていて、破壊活動を各地で起こしており、一説ではこの紛争中に死亡者も出たと言われている。

が、真実は闇の中に葬られ、現在の信者の大多数はこの闇の歴史を知らない。

当時、小学生から中学生になったばかりの私に、こんな重い話題に白黒つけられる筈もなく、自分を見失わず保つことで精一杯だった。

まあこんな教団なので、表に出せない話題は山とあり、それらを横目で見ながら自分の役割を熟して数年間を過ごしたわけだけど、真実を知らされずに教団の教えを盲目的に遂行するわけでもなく、ただ流れをジッと見て過ごして大人になった。

大人になってから入信する人と違って、私は違うものの見方をしていた。また、親に言われて流されて言われるままに入信した彼らとも立ち位置が違ったので、割と自由気ままに動いていた。

そんなわけで、一連の事件を大人になってから公立図書館で調べ、真実を知った。

それぞれの教団を擁護するものあり、非難するものあり…と様々だったが、より真実に近い公平な記事を見つけて、私は物事の真実とは自分の目と耳で確かめるものと知る。

中にいては気づくことのない事実、外にいてはわからない事情、他人の価値観や噂話、それらはどれも真実ではあるけれど答えではない。

自分の求める答えを知るため、それらすべての情報を集める。

そんな習性がついてしまった。

RSDの問題も、結局はこれとよく似た問題だったりする。

RSDとPTSDの関連性という記事を読んで、医療従事者側の偏見を生む土壌になっていると感じた。

私は患者である以上、当事者だけれど、元々は医療従事者でもある。

この問題に限らず、この手の偏見には社会的問題が背景にあり、溝が生まれる。

訴訟問題の記事を読めば、どうして患者が敗訴するのか、その理由も良くわかる。

私は提訴する気は始めからないし、そんなことを言った試もなく、ただ診察拒否された理由が知りたかった。

なのに、更年期だのヒステリーだの、自分が悪いと身に覚えのない誹謗中傷を受ける理由が知りたかった。

が、調べてその理由を知った。

もとより他人ごとに無関心な私であり、揉め事に首を突っ込む気はない。

まあこの程度か…が正直な感想である。

特権階級の人種とは、プライドを保つため…と言えば分りやすい。

私は一般庶民なので、そういうものに興味はない。

まあ、しいて言うなら、勝手に人を精神疾患者に仕立てるな(怒)かなw

医者がつくる病気…まさにその一言に尽きる。





何を調べたかというと、当然だがRSDとOYLについてだ。

まず、RSDについての資料は大量にあり、選別する方が時間がかかった。

それに比べてOYLの資料は限定される。

まとめて閲覧できる数量にも限りがあり、OYLは2冊にとどまった。

資料を閲覧室で目を通す。

特に目を引いたものは、賠償医学という名の本にでてくる「PTSDと反射性交感神経性ジストロフィーの関連性について」の記事だった。

今から20年前、医学界でRSDについてはほとんど知られておらず、患者は放置されていたという。

そして10年前ごろになると、今度は間違った認識が広まって誤解を生んだと...

現代においては、その難治性ゆえに嫌がられ放置されてしまうのだと…

患者自身が自ら病院探しに奔走させられる背景に、RSDによる訴訟問題が多数あり、それ故に罹患した患者を治療放棄する病院が増えてしまっているということ。

そこに、10数年前に起きたオウム事件(地下鉄サリン)がある。

あの事件から広く世間で知られるようになったPTSDという疾患があるが、RSDの患者の中でそのPTSDに罹患している患者が多くいることがわかったと。

RSDの難治性をややこしくしている背景に、医療従事者の誤解と社会的偏見があり、患者をPTSDにしてしまうともあった。

しかし、一般的に精神科医でもPTSDについての診断治療は難しく、それ故に医療従事者側の対応が患者を追い詰めてしまうのだという内容のモノが掲載されていた。

また、RSDの治療に関して、医療従事者側の忍耐力も試され重要とあり、双方の協力がなければ治療の成果が期待できないモノであるとも書かれていた。

つまり、病院側のキャパシティも問われる重篤な疾患であるといえる。

まあ、時間がなくてそこまでしか読み進められなかったわけだけど、治療する側のキャパシティ次第で左右されるとてもデリケートな疾病だったのだ。

私の通った整形は開院してまだ10年、院長も私と一つしか違わない。

難治性疾患への対応マニュアルがないのも無理ないのかもしれない。

また、行く先々の病院で誤解されて偏見持たれる理由がココにあったことも知った。

病院のたらい回しや診察してもらえず治療も放置された理由もココにあったわけだ。

やはり改めるべきは医療従事者側ということになる。

が、それを受け止めるだけのキャパシティが病院にはない。

そこにこの問題を難しくしているのだけれど、治療へのアプローチについても以前の整形は年若いPT(現在29歳)に依存し過ぎていた。

リハビリについても調べてみた。

この続きは、また後ほど…






昨年は、前半から体調を崩してほとんど寝て過ごしたので、ほぼ1年ぶりの遠出?となった。

車で移動できる範囲には出かけるが、基本一般道しか使わないので、都内23区内に出かけるのは2年近く行っていなかった。

子どもを産んでからというもの、自由に動き回ることも外出する事も出来なかったので、引きこもりがちでいつの間にか行動範囲も狭くなっている。

十代(中学生)の頃から、思い立ったらどこへでも時刻表片手に出かけていく。

行ったことのない場所でも、住所片手に地下鉄でも何でも使って出掛けた。

それこそ自転車で国内一周とかしてみたいタイプの方で、身内の反対がなければやっていたと思う。

そんな私も、実は飛行機だけは成人するまで乗れなかった。

今は平気だが、おかげでいまだに海外旅行の経験がない。

まあ誰にでも苦手なものはあるということで...orz(藁)

で、大阪の環状線や地下鉄は乗り慣れていて、どの出口が目的地に一番近くて乗りかえしやすいかを知っているので、その車両に乗るのが関西人の習性。

そんなわけで、有楽町線の永田町駅も同じ理由で先頭車両に乗った。

無意識で取った行動だけど、つい思い出して一人ほくそ笑んだ。

地下鉄なんて、ここ10年はほとんど乗らないのに…私ってば関西人w

そんな風に思って笑った。

歩行もゆっくりしか歩けないけれど、なぜか昨日はスタスタ歩く自分に驚いてしまった。

ホンの3ヶ月前は、歩くことに不安があったわけで、階段の上り下りが怖かった。

通院を整形からペインに替えて3ヶ月…しっかり歩いている自分がいる。

病院を変えて本当に良かったと思う。

あと、ここの所自主トレで筋力アップのアンクルウエイトも効いているのかもしれない。

けれど、やっぱり外出の刺激に右腕は耐えられないようで、図書館を出るころにはすでに痛み始めて…帰りの電車の中では痛みまくり...orz

今朝は浮腫みが出ている。

もうこれの繰り返しで、本当に辛くて困るのだ。

ついでに、今日は臀部から脹脛にかけて軽い筋肉痛がある。

マジ運動不足だな...(涙)