さて、T司側の言い分はなんだったのか、と考えた。
保険屋の上司からの情報しかわからないんだけど、早い話が彼ら在日でも、反日教育を受けた場合、日本人を見下すらしい。
ましてT司の家は、特にそれが祖父母からの影響で強かったという。
その祖父母も(特に男性側)は、すでに高校生の頃には祖父父共に亡くなっていた。
祖母も高1の時に亡くなっている。
両親はどちらも在日2世同士と聞いていて、創価には祖父母の時代から入信しているので、反日感情も半端じゃないらしいのだ。
だから?と思うけど、どんなに仲良くても住所も電話番号も教えてくれず、いつもS司君(幼馴染)やT久経由でしか連絡が取れなかった。
たぶん、S司君も同じ在日なんだけど、帰化して日本国籍だったと後で知った。
T司の家も教えてくれたので知っていたけど、家に呼ばれたことがないのに、逆に私の家には遊びに来ている。
つまり、私のことは話してあって、あの子達は知っているわけ。
でも、T司たち兄弟は三世になるので、その反日感情がどこまであったのか、よくわからないけれど、少なくとも私は避けられてはいない。
その証拠?に、家の中には入れてくれなかったけれど、家の前まで連れて行ってくれたから。
そこにこだわりと抵抗を感じていたので、無理に上り込んだりしなかった。
で、なぜか数日後にS司くんちに連れて行かれた。
私には「暇ならS司んちに付き合ってよ」と言ったのに、一緒にいたK生には「きたかっったら来れば!?」と言う言い方していた。
K生は、言い方にムカついていたけれど、私が行きたいというと思ったらしく「行くよ」とムクレっ面で言った。
それがT司には精一杯だったんだと思う。
だから、私の卒業に抵抗したんだと思うけど…
「卒業させない」というT司に「現実を受け入れて大人になれ」という私…平行線のまま、何度もぶつかった。
「M川の時は、みんな(私も含めて)アッサリ見送ったのに」という私に対して、「私は違う」といって聞き入れない。
さんざん抵抗されて…冷たく突き放すしかなかった。
あの日、恨めしそうに私を睨んで「裏切り者…」とつぶやいたあの子が忘れられない。
可哀そうだと思ったが、いつまでも馴れ合ったまま、子供でいるわけにいかなかった。
別れは必ず来ると、準備ができていなかったのはどうしてなのか…
夏休みが終わって、体育祭の準備と並行して本格的な就職活動に入っていた。
彼らの前で、履歴書書いたり面接日の日程をS野に報告している。
そんな私を見て、あの子たちの抵抗が始まった。
学園祭の時、すでにクラスで1番最初に就職先が決まっていた私に、部活でそのことで何度ももめて喧嘩になった。
私の活動は「これが最後」と言っても、彼らは聞き入れない。
私は卒業試験の真っただ中にいて、正直邪魔されイラついた。
けれど、私は構わず試験が終わると自動車学校に行くことを決め、学園祭後から通うことにした。
部活には一切顔ださず、自動車学校に通ていたある日、S野に呼び出されて「逃げるな、たまには顔を出してやれ」と。
逃げてるわけではなくて、避けていた?(一緒か(笑))だけで、自動車学校もあっさり卒検まで1ヶ月で行ってしまった。
で、暇になった私は冬休み直前のある日、顔を出すことにした。
当然、彼らは私の存在を無視するので、面白くないし不愉快なので途中で「帰るわ」と言って部屋を出た。
私はまさか後追いされると思わなかったので、後を追いかけてきたT司に「卒業なんか、辞めちまえ」と背中越しに怒鳴られ驚く。
私は階段を駆け下りるとき、踊り場でチラッと振り返り、泣きそうなT司の姿が目に入ったけれど、何も言わずにその場を後にするしかなかった。
でも、仕方がなかった、馴れ合いを続けていくのはお互いのためにならないと思ったので。
それでも私は、心の中で後ろ髪を思いっきりひかれていた。
そして、数日後にS野の準備室に再び呼ばれた時、この時のことだと思い気が重いまま部屋に入った。
その時、あの子たちが部屋にいて「1年ダブって…」とごねられたのだ。
さすがに我慢ならず、人の気も知らないでわがまま言う彼らに「大人になれ」と、マジ切れしたっけ...orz
冷たく突き放すしか、振り切る方法が思い浮かばず、結果、T司が恨めしそうに…
だから、憎まれて当然なんだけど、その後のT司の狂気までは想像つかなかったわ。
ただ、T司が他の学校の女子を孕ませて中絶させたり、私と特別な約束もないまま勝手に結婚話を勧めたり...orz
そんな行動に出るとは思わなかった。
S野が何より怖れたのは、私がT司に会いに行けば…あの子に傷つけられることだったようだ。
心も体も傷つくと思ったようで、会わせなかったと。
それについては、保険屋の上司も同じ意見。
傷つくのは私なので、絶対に会いに行くなと言ったらしい。
その結果、T司が発病したのであって、「お前のせいじゃない」という理由はそこにあるらしい。
どうしてわかってくれなかったのだろうか!?
卒業しても私が消えていなくなるわけじゃない。
遠く離れても、年に1~2回(盆と正月)には帰省する。
それじゃダメだったのか!?
でも、ダメな理由を聞いても、T司は応えてはくれなかったけどね...
どっちにしても、1年後には彼等も卒業して、それぞれの道を行く。
1年早いか遅いかだけのこと。
そう話しても平行線だった。
保険屋の上司は、「それが在日や同和なんだよ」と言った。
彼らの家族や身内に対する執着は強い。
そんな感覚だったのだろうと上司は言っていた。
家族の縁が薄い私にはわからない感覚だとも言われた。
そうなのかもしれないけれど、私の人生は私のもので私が決めること。
家族がいてもいなくてもそれは変わらないと思う。
ただ、相談したり協力者がいるかいないかの違い。
それは大きいことだと思うが、私にはないものねだりだ。
そんな話を保険屋の上司とした。
上司は身内(親兄弟が多い)大家族の寺の三男坊で、実家を継ぐかどうかは自由。
だけど、家族の多い煩わしさは一番よく知っている人。
だから私のことを心配して、T司の行く末を調べてくれたようだ。
最後に「何もお前は間違ったことはしていないから、何も心配することはない」と。
「ただ、それが彼等には通じないだけのこと」と言っていた。
それを価値観の違いというのだと。
「いずれ別れが来る関係だったので、卒業を機に別れの選択をしたのは正しかった」とも言ってくれた。
ま、気休めでも言ってもらえて、気持ちがいくらか救われたけれども…
つまり、T司は私を赦しはしないだろうということだけわかったかな。




T司には癲癇の持病があったと聞いている。
幼稚園ぐらいの頃、発作があったと。
でも、それ以降は何も起きていないと
出会った頃に、そんな話を本人から聞いたことがあった。
二十歳の時、H美が統合失調症(当時は精神分裂症といった)になってしまった。
彼女の入信は、高校生の頃に私が勧めたものなので、それ以降付き合いがあって、統失になった間接的な理由も宗教がらみ。
そんなわけで、私は実家に戻ってH美の面倒を彼女が入院するまでの1年間見たのだ
警察に呼び出されたり、職場に裸体で現れたり…周囲に迷惑かけつつも、理解ある職場のおかげで継続できた。
この時、統失についていろいろ知ったんだけど、あとで癲癇患者の80パーセントが統合失調症を併発するという。
私は、まだT司の消息は知らされていない時なので、癲癇と統失の関連性に気付いていなかった。
ココから数年後の保険屋時代、上司によりもたらされた情報から、T司が統合失調症になったことを知った。
そのきっかけが私の卒業による別れだったこと。
なぜ、誰もが引き留めたのか、その理由が癲癇と統合失調症に合ったことを、私は後に知ることになる。
また、在日特有の火病についても、保険時代の上司より知らされた。
これが彼らの言う「お前のせいではない」「会いに行くな」と言った本当の訳だ。
最後にS野が電話で「もうT司はお前の知っているT司じゃない」と言ったセリフの意味を、すべてを理解したのもこの時。
何年も心に重く引っかかっていたことの本当の理由を、10年近くたった時に知った。
悲しくて切なかった。
たぶん、私がヘルパーを目指した本当の訳はコレ。
実際に、ヘルパーになって最初に精神科病棟に勤務した。
でも、本当のところ、私はどうすれば彼らの力になれるか、今もってわからない。
メサイヤコンプレックス…と言われてしまうかもしれないが、私はどちら(T司とH美)にも責任を感じている。
「お前が責任を感じることはない」そう保険屋の上司は言ったけれど、私は今も心に重くのしかかっているのだ。
私が彼らのことを忘れてしまうことは…たぶん一生ない。
それは、どちらも私にとって、高校時代の大切な友人だからだ。

あれはどれぐらい経った時のことだったのか…
卒業して半年ぐらい経った頃、ようやく京都の生活にも慣れ、友人ができ始めて生活が落ち着いた時だったと思う。
初めての一人暮らし、馴染めない環境に戸惑い、会社勤めはアルバイトとは違うと骨身にしみた。
孤独のなか、唯一自分を保てる手段が…●●だったので、道場通いを続けるも最初は誰も口を利いて貰えなかった。
それでも黙々と通っていたある日、いつも気にかけてくれる隊長のN井さんから音楽隊への誘いをもらった。
私への依頼は、中高生の面倒を見つつ、音楽隊のメンバーとして経験を活かして参加して欲しいだった。
それがきっかけで、主幹道場の隊員としての立場から、各拠点への連絡係をしたり、音楽祭参加の練習を組んだりととても忙しく動く。
そうやって半年が過ぎ、気がつくとしっかりと自分の居場所ができていた。
自分はこの街でやっていくんだ…そう決めていたので、自分の居場所ができたことに嬉しく思っていた。
そんなある日、実家へ帰る暇などなくて、卒業時の寂しい別れの事など忘れかけていた時、珍しく母から電話が鳴った。
その内容はとても不可思議で、どうやら私の知らぬ間に、知らぬ所で結婚話が進んでいるらしかった。
心当たりはないのかと尋ねられ、まさかと思いつつ『そんなことする!?』と信じられなかったので、S野(先生)に電話した。
S野はS野で、その件で私に確かめたいと思っていたらしく…私のほうが『相手は誰!?』だった。
名前を聞いてビックリ…なんと相手はあのT司だったのだ。
実はS野自身も信じていなかったようで、事の顛末について詳しくは聞けなかったが、T司の妄想と思い込みによるものと判明。
なぜ、あの子がそんなことをしたのか、今もわからないままだけど、実際に結婚式の準備が整っていたらしい。
…って、当人の意思を無視して進めるなっつーの(怒)
それに、S野(専用の部屋があった)の準備室で、T司たちとけんか別れしたのは卒業式の数週間前の話。
内容は、私の『もう一年ダブれ(留年しろ)』と言ったもので、卒業も就職先も決まっていた私に、なんつー無茶な話なのか。
彼等が、私と離れ難く思ってくれるのは嬉しいし、それは私も同じ気持ちだったが、2年(2回目)の留年は事実上無理。
1回目の時は、やむに已まれぬ家庭の事情があり、退学か留年かで揺れた。
が、自分の意思で留まった。
そんな葛藤があったことは、この子たちは知らない。
S野(教員特権?)だけが知る真実で、詳しい話はしていなかった。
また、運悪くこの頃の私は、姉たちが全員実家にリターンしており、もはや私の居場所はなく、出て行かざるを得ない状況。
実際、母は自分だけさっさと社宅を借りて避難しており、私も長女の暴力的支配から一刻も逃れたかった。
そんな話をして、「子供の我儘には付き合えない」と、わざと彼等を突き放したのだ。
いつまでも子供のように馴れ合っていてはいけないと思ったから...
あとで、この時のことをチモは「自分だけさっさと俺達をおいて、大人の階段登って行こうとするから」と言われてしまう。
仕方がない、本当ならとうに卒業していたものを…1年残留していたのだから。
残留した私に、M川は「自分だけズルい」と粘着された。
ズルいとかの問題ではないんだが...orz(本当にKYな奴)
なので、孤独な卒業式だったんだけど…
だから、この日を境に誰とも連絡を取っていないわけで、唯一、K生(同級生)とだけ連絡していた。
彼女(K生)も実家を離れて、大阪の親戚の家から専門学校に通っていた。
そんな中で、どうして結婚話が進行したのか…今もって不明。
あとで、S野が電話で報告をくれた。
「T司は病気なんだ…心の病になった」と。
「お前のせいではないので気にするな」と言われたが、「間違っても見舞いに行ったり会いに行くなよ」とクギを刺された。
で、これ以降、S野とも音信不通になった。
数年後、この時のT司の話が保険屋の上司に聞かされる。
T司は自殺未遂を起こし入院、治療しながら復学後は創価大学へ進学したと。
私は何も知らなかったし、誰に聞いても教えてもらえなかった。
そりゃ、そんな状態だなんて…私に話せるはずもなく...orz
で、やっぱり上司にも「お前のせいではないから、会いに行くな」と念を押されたわけで。
『念を押されなくても、今更どの面下げて会いに行ける!?』と思った。
だけど、みんなの思いやりに…感謝でした。
でも、知っていたら…私はきっと会いに行っていたと思う。
みんなが私を引き留める理由、たぶん私が自分を犠牲にしても…って、なってたからだ。
それはきっと、周囲を巻き込んで不幸にしてしまうこと。
自己犠牲では、T司は救えない。
だから、S野は自分が悪者になって、私をかばい、T司を救う道を探った。
誰もが私のように強くはないと、S野にも上司にも言われたが、私は別に強くはない。
上司にも、「お前の気持ちを知っていて、先生(S野)は矢面に立ってくれた」といわれた。
まあ、強くはないけど…信頼してくれていると思うし、裏切りたくはないから立ち直ったけどね。
唯一、後悔することがあったとしたら…T司のそばにいてやれなかった自分の弱さかな。
頑なに拒否するT司の態度の裏側で、同じだけ私を想う気持ちがあったとわからなかったから…
私の卒業は、T司にとって『措いて行かれた』寂しさだったのかもしれない。









また、●●整形外科病院に受診することになった。
そう、介護保険の申請のためだ。
さて、そんなこんなで忘れかけていた記憶がよみがえる。
高校の頃、私はT司が好きだった。
断片的な記憶の中で、最初の頃に彼は自分の本名である韓国名を何気に名乗っている。
そうだ、彼の名は●口(辛=シン)●司(●シ)と。
祖父母がコリアンで、両親は二世だという話をしている。
けれど、私は彼をそんな風には一度も見なかった。
なので、すぐにそんな話は忘れてしまったのだけど…
やがて仲良く過ごしていくうちに、私は彼の事が気になっていく。
T司は、いつも近くにいて、振り向くとそばにいる感じ。
近づくと冷たくはねのけるくせに、でもつかず離れずの距離にいた。
我儘を言うと聞いてくれるし、なぜかいつもそばにいてくれた。
ある時、野球部の応援の帰り、ポカリを渡されたのだけど、飲み慣れなくて嫌だとわがままを言ってごねた。
そんな私に「一口飲んでダメなら、俺が代わりのものをもらってきてやるから飲め」と私に言ったことがあった。
ムクレっ面しながら飲んでみて…死ぬほどのどが渇いていたので、ゴクゴク飲んでしまったわけで(苦笑)
するとT司は笑って「飲んでみたら意外といけるだろ!?」と。
そんなさりげない優しさや触れ合いがいくつかあって…夏休みのある日、私のバイト先へ何の前触れもなく遊びに来たのだ。
T久たちと現れたT司にビックリしたが、心を開き始めたことがうれしかった。
でも、ただ私のほうを見つめているだけで、私が近づくと逃げるように帰ってしまったのだ。
いつもこんな調子で…なのに気になる。
私は、たぶん彼に近い存在だったのだろうと感じていた。
生まれや育ちは自分にはどうすることもできないものなのに、それで差別やいじめにあってしまう。
結婚さえも自分の自由意志にはならず、相手次第で幸不幸が決まってしまうのだ。
それが私と彼の持つ他人には理解されない運命だった。
だけど、必要以上距離を縮めてこないT司、そこに合った壁は…民族の壁。
三世の彼は、日本で生まれ日本語しか話せない。
限りなく日本人なのに日本国籍を持たない。
そして、反日教育を受けて育った。(朝鮮学校はなかったが、朝銀はあった)
そのこだわりが私たちの間の距離だった。
私の相棒のK生のことを、連れて歩くようになった時、T司は珍しく私の行動に意見した。
まあ、S野(先生)までもが反対だったのだけど…私はみんなを説得してしまった。
K生の毒が私を犯すと考えていたようで、私が私でなくなってしまうことを恐れたようだった。
けれど、私は『逆もある』と主張し、K生をかばった。
「利用される」とT司をはじめ、みんなは私を心配して反対したが…結局、私がK生を巻き込んでいった。
あとで知ったが、K生は『(私を)汚すな』とS野に約束させられたのだそうだ。
まあ、結果的に私の我儘をS野が受け入れ、それをT司やT久が受け入れ、「(私を)傷つけることは許さない」とK生は念を押されたらしい。(どんだけ過保護!?(苦笑))
でも、K生はその後数年間守り続けたわけで、私は彼らにとても大事にされていたよう。
数年後になるが、同和のT本(チモ)に再会した時、サークルに集っていたメンバーは、みんな私で繋がっていたというのだ。
そもそも私はH岸という社会科主任教諭(元長女の担任だった)から頼まれ(入試から目をつけられていたらしい)、サークルを手伝う臨時部員として参加していた。
そこに、ブラバン部員だった私のもとへ、正規顧問に名乗りを上げたS野が加わり、ブラバンと兼任する私とK崎(留年組の2年)、1年のT久に加えてT司、テニス部1年のT本、弓道部1年のタナケン(T中)、とメンツがそろったのだ。
が、ミーハーな野球部のお荷物マネージャーのM川(3年)がいて、まとまりのない不揃いなメンバーをつないでいたのが私の存在だと、のちにチモに言われる。
つまり、私を除いたメンバー全員が同和関係者なのだ。
彼ら1年組は、お互い(事情)を知っていたようで、私の存在が最初(M川より)不明と思っていたらしい。
が、…理由(親が被爆者のため被爆者二世)だと告げると納得し、そうなるとM川の存在が…になるわけで。
彼女曰く「私のことを)担任から頼まれた」と言い、私に付きまとっていたらしいが…実際は私が頼まれていた...orz
一方、私は私で本当はM川の存在を『コイツうざい』と思っていたが、金持ちの彼女は金と物で私をつなぎとめる。
おまけに野球部の(お荷物でも)マネージャーなので、本来の部活であるブラバンの活動(野球部の応援)と関係があるため、露骨に無視もできない。
が、こいつ(M川)は基本、私の素性を知って常に見下していた。
でも、私の周囲にいるT久たちとの仲を羨ましがり、マネージャーの仕事をほったらかしてサークルに来ていた。
仕事(部活)もせず、邪魔して(下らんお喋り)ばかりのM川にみんなキレ気味...orz
そんなメンバーに、「あいつは先に卒業するから、それ(学園祭)までの我慢」と言い聞かせ、私に付き合ってもらった。
が、こいつは調子に乗って、卒業まででしゃばるわ、卒業しても(短大へ進学したので)頻繁に顔を出すわで…本当KY全開だった。
そして、K生が仲間入りしたのは、学園祭準備で遅くなった日のことだった。
真っ暗な教室にかばんを取りに戻るのが怖かったので、T司たちに廊下で待っててもらった。
すると暗闇の中で一人すすり泣くK生がいて…ビビッて我を忘れてしまった。
が、こんな暗がりに一人置いても帰れず…その日から私と行動を共に行動するようになったのだ。
そんな私をいつも心配して見守っていたのがT司とS野で…二人が特に反対したらしい。
だけど、なぜか私の我儘に甘い二人(笑)
そして何気にみんなそれぞれ進級進学していった。
で、いつものようにT司たちと遊んでいた夏のある日、肝試しで恐怖で動けなくなった私の手を引いて助けてくれたのだ。
そして、そのまま自分の自転車の後ろに乗せて走っていた…が、次の瞬間、我に返ったかのように突き放される。
また、いつものパターンだ。
悲しくなった私は、T司に理由を尋ねるが、答えようとしない。
いつも理由を聞くと貝のように口を閉ざす…さすがにこの時は詰め寄った。
それでも答えず、黙って私のそばに居続ける。
この頃になると、さすがにみんなは気づいていたらしい。
T司の気持ち、私の気持ち...
体育祭が終わったある日、衣替え間近の頃、T司の幼馴染のS司くんちへ行った。
そう、中間テストの勉強もせずに、近くの河原で遊んでしまったのだ。
そして、S司くんちで麻雀したりして時間をつぶす。
ルールなんか分からない私の隣で、T司が黙って教えてくれる。
何かにイラついている様子がわかるのだけど、訪ねてもいつもの通りで何も言ってくれない。
それでも帰ろう(帰そう?)としない。
夜になり、結局夕飯をS司くんちで食べてしまった。
私は、重い腰を上げてやっとの思いで「帰ろう」と声をかけ、駅まで一緒に帰った。
しびれを切らした私は、S司君とK生に付き合ってもらってT司を呼び出した。
だけど、浜辺にある公園で、延々と黙り続ける。
何を聞いても「(私は)悪くない」「(私の事は)嫌いじゃない」「でも気持ちには応えられない」「付き合えない」の一点張り。
とうとう泣き出す私に慰めの言葉もないのに、なぜか私よりつらそうな顔をしているのだ。
そして、泣き止むまでずっと黙ってそばに居続ける…
やがて私が諦めて立ち上がると、自転車の後ろに「乗れ」と言って乗せて駅まで走ると。
私には、その時間がとてもつらく苦しく悲しく感じたのに、駅がもっと遠くにあればいい…そう思ってしまった。
でも、じつは私と同じ気持ちでT司は自転車をこいでいたらしい。
この日から卒業までいろんなことがあった。
T司は自分(家族?)を変えられない。
私を好きでも私が変わらなければ…たとえ私が変わっても越えられない反日の壁を、どう乗り越えていけばいいのかわからなかったのだ。
なので、日替わりで態度が変わり、振り回されていく…
最後の最後で拒否られて、孤独に卒業を迎えた日、S野に告られた。
でも、私は丁寧にウソ偽りない気持ちを話し、断った。
それから2年の月日が流れ、実家に戻った私はバス会社に(事務職で)転職。
そこで出会った同い年のガイドの子、その彼氏がチモだった。
チモが言うには、私の卒業後はみんなバラバラになって、誰もサークルに寄り付かなくなったと。
ただ、相変わらずKYなM川が顔を出していたらしい。
T司は大学へ進学していったと聞かされた。
だけど行先は聞かなかった…が、予測はできた。
彼もS司君も創価だったから...
また、数年が経って、三十路を目前にしたころ、噂を耳にした。
でも、その噂には在日の壁を越えようともがいたT司の姿があったという話と、私と結婚まで真剣に考え悩んでいたということを知った。
そして、(卒業後)一度も帰らない私に…失望して彼は進学して郷里を後にしていったと。
もう会うこともない彼と私だけど、頑なに私を拒んだ裏側で、真剣なあの子の想いがあったことにショックを受けた。
私は彼が好きだったし、今でも彼が好きだけど…思い出すのは切なさだ。
昨今の韓流ブームをみたり、数年前世間を賑わした【パッチギ】を目にするたびに、今の時代なら私たちは幸せになれたのかな?…と思たり。
でも、友人が北の人(三世?)と結婚して、その後の苦労を耳にすると、「私には無理だ…」と感じる。
いろんなことが違いすぎるからだ。
だけど、そう思うのは…今私は大人になって、世間というものを知ったからかもしれない。
10代の恋は純粋で一途。
今、あの頃の私に言えるのは…後悔しない恋をしてほしい…かな。
やっぱり、T司はT司で、私にはそれ以上でもそれ以外でもなかったから。
私もあれからいくつか恋をしたけれど、勇気をもって人を好きになれた自分をほめてやりたいと思う。
そうそう、天然な私が事実を知ったのは、なんと卒業後に再会したチモからだ。
周囲は、もちろんS野もみんな(あのM川でさえ)T司が在日三世と知っていたらしい。
最後まで、頑固にT司の言えない秘密?を聞かなかったのは私だ。
本人の口から直接聴きたいと、本人が言いたくないものは聞きたくないと誰にも聞かなかったし、チモも遠まわしに私に言っただけ。
でも、断片的な記憶をつなげて、答えにたどり着いていたし、私は本心では聞きたく(知りたく)なかったのかもしれない。
そして、三十路直前に、仕事柄(保険屋の)上司から聞かされたわけで、私が彼の家へ保全に行けない理由を話した。
なんで、上司から真実を聞かされるのか…複雑ではあったけれど、寺の息子だった上司に「思い出にしておけ」と言われたのだ。
再会するなと、会いに行くなと言われたのだ。
それはそれで私を思っての言葉だったので、私はそれに従った。
で、その後、見合い結婚したわけで。
ま、それも失敗だったんだけど…
要は、私のコンプレックスが根底で邪魔するんだな。
在日や帰化人が、日本女性を妻に迎えた話を聞くと…私に足りないものはなんだったのだろうと思ってしまう。
恋愛で結婚しなかった私のコンプレックス。
自分の生まれを育ちを思うとき、独身でいたほうが良かったの?と思うこともある。
そんな私はこの年で、まだ自分の幸せ探しを続けている...












今度、介護保険の申請のため、例の整形に行かなくてはなりません。

ホント、嫌なんですが…

前にも書きましたが、この病院の院長は帰化人です。

在日三世に当たります。

嫁は五歳…ではなく後妻(笑)ですが、彼女は私と同郷になります。

ウチの両親は九州人で父は福岡、母は長崎(被爆者)ですが、両親の都合で関西で生まれ育ちました。

関西はご存じのとおり同和教育が盛んで、あちこちに点在しており、吉宗で有名な和歌山も然り。

ちなみに、高校時代に教員からの頼みで部落研に入っていて、母親の実体験や手帳などの資料を提供し、戦争と平和について活動していました。

そのおかげで、ブロック内のリーダー講習会や県内の集会、全国部落研などの分科会の司会やレポーター(課題の発表者)を経験、知識は豊富。

ま、本来の部活はブラバンなので、活動はほとんど期間限定の臨時部員(メインで動いていたけど…)で、後輩や先輩には関係者がてんこ盛り。

知りたくもない事実もいっぱい知りました。

日本人と在日の問題、成長してから知った事実もあるし、大阪に住んでいて医療従事者だったので、生野銀座とか拉致は身近な話だったのです。

でも、どこか他人事だったと思う。

(お互いに)恋愛感情を持った相手が在日だったとか、帰化人とそんな関係になったこともあるし、同僚の彼氏が在日とか普通に身近にあったわけで。

けど、幸か不幸か結婚には至らなかった。

理解しようと努めたし、私は何も実害を受けてはいないし、普通に恋愛してた。

そんな昔の忘れた記憶を呼び覚ましたのは…例の整形にかかわったからだ。

関東の人たちは同和教育を受けていないので、噂しか知らない人が多い。

で、今、私が住む町には大勢済んでいる。

毎年、数万人の単位で帰化が進んでいるという。

芸能界も韓流ブームだ。

でも私はあの「冬のソナタ」を観ていない。

TVドラマも観ない。

例の整形外科の院長が、ミスを認めない、謝らない理由は…実は育った環境にある。

後妻の出身地は…実は(特殊地域ではない)地区だったりする。

でも、後妻自身は幼い頃に都内に移り住んでいて、親から聞いていなければ知らないと思われる。

でも、結婚時に知った可能性はあるけれど。

ちなみに、双方再婚同士で、後妻は子どもが産めない。

田舎は狭い土地なので、院長たちの結婚話が出たころ、すでに私の友人(地元)の噂になっていた。

また、あの病院へ行くのか...orz

責任転嫁する院長と病院の体質は、そんなとこから来ているんだけれど…

ウチの別れた旦那、実家は鎌倉なんだけど、鎌倉にもあるって言ったら…マジで否定された。

両親は教えてくれないという。

そりゃ知ってても普通言わんわ...orz

それに、旦那の父親はよその土地(長野)から来て、大船の地元女性(旦那の母)と見合い結婚だというし、よそ者には言いませんって。

バカね。

ついでに言うと、地域包括の担当ケアマネに(関西人だから)一瞬疑われたけれど。

私は違いますよー(笑)って笑って言った。

なんで、私は特殊地域ばかり縁があるんでしょうねぇw

ホント、恋愛だけで十分古傷になったっちゅーのに、今さらだわさw