また、●●整形外科病院に受診することになった。
そう、介護保険の申請のためだ。
さて、そんなこんなで忘れかけていた記憶がよみがえる。
高校の頃、私はT司が好きだった。
断片的な記憶の中で、最初の頃に彼は自分の本名である韓国名を何気に名乗っている。
そうだ、彼の名は●口(辛=シン)●司(●シ)と。
祖父母がコリアンで、両親は二世だという話をしている。
けれど、私は彼をそんな風には一度も見なかった。
なので、すぐにそんな話は忘れてしまったのだけど…
やがて仲良く過ごしていくうちに、私は彼の事が気になっていく。
T司は、いつも近くにいて、振り向くとそばにいる感じ。
近づくと冷たくはねのけるくせに、でもつかず離れずの距離にいた。
我儘を言うと聞いてくれるし、なぜかいつもそばにいてくれた。
ある時、野球部の応援の帰り、ポカリを渡されたのだけど、飲み慣れなくて嫌だとわがままを言ってごねた。
そんな私に「一口飲んでダメなら、俺が代わりのものをもらってきてやるから飲め」と私に言ったことがあった。
ムクレっ面しながら飲んでみて…死ぬほどのどが渇いていたので、ゴクゴク飲んでしまったわけで(苦笑)
するとT司は笑って「飲んでみたら意外といけるだろ!?」と。
そんなさりげない優しさや触れ合いがいくつかあって…夏休みのある日、私のバイト先へ何の前触れもなく遊びに来たのだ。
T久たちと現れたT司にビックリしたが、心を開き始めたことがうれしかった。
でも、ただ私のほうを見つめているだけで、私が近づくと逃げるように帰ってしまったのだ。
いつもこんな調子で…なのに気になる。
私は、たぶん彼に近い存在だったのだろうと感じていた。
生まれや育ちは自分にはどうすることもできないものなのに、それで差別やいじめにあってしまう。
結婚さえも自分の自由意志にはならず、相手次第で幸不幸が決まってしまうのだ。
それが私と彼の持つ他人には理解されない運命だった。
だけど、必要以上距離を縮めてこないT司、そこに合った壁は…民族の壁。
三世の彼は、日本で生まれ日本語しか話せない。
限りなく日本人なのに日本国籍を持たない。
そして、反日教育を受けて育った。(朝鮮学校はなかったが、朝銀はあった)
そのこだわりが私たちの間の距離だった。
私の相棒のK生のことを、連れて歩くようになった時、T司は珍しく私の行動に意見した。
まあ、S野(先生)までもが反対だったのだけど…私はみんなを説得してしまった。
K生の毒が私を犯すと考えていたようで、私が私でなくなってしまうことを恐れたようだった。
けれど、私は『逆もある』と主張し、K生をかばった。
「利用される」とT司をはじめ、みんなは私を心配して反対したが…結局、私がK生を巻き込んでいった。
あとで知ったが、K生は『(私を)汚すな』とS野に約束させられたのだそうだ。
まあ、結果的に私の我儘をS野が受け入れ、それをT司やT久が受け入れ、「(私を)傷つけることは許さない」とK生は念を押されたらしい。(どんだけ過保護!?(苦笑))
でも、K生はその後数年間守り続けたわけで、私は彼らにとても大事にされていたよう。
数年後になるが、同和のT本(チモ)に再会した時、サークルに集っていたメンバーは、みんな私で繋がっていたというのだ。
そもそも私はH岸という社会科主任教諭(元長女の担任だった)から頼まれ(入試から目をつけられていたらしい)、サークルを手伝う臨時部員として参加していた。
そこに、ブラバン部員だった私のもとへ、正規顧問に名乗りを上げたS野が加わり、ブラバンと兼任する私とK崎(留年組の2年)、1年のT久に加えてT司、テニス部1年のT本、弓道部1年のタナケン(T中)、とメンツがそろったのだ。
が、ミーハーな野球部のお荷物マネージャーのM川(3年)がいて、まとまりのない不揃いなメンバーをつないでいたのが私の存在だと、のちにチモに言われる。
つまり、私を除いたメンバー全員が同和関係者なのだ。
彼ら1年組は、お互い(事情)を知っていたようで、私の存在が最初(M川より)不明と思っていたらしい。
が、…理由(親が被爆者のため被爆者二世)だと告げると納得し、そうなるとM川の存在が…になるわけで。
彼女曰く「私のことを)担任から頼まれた」と言い、私に付きまとっていたらしいが…実際は私が頼まれていた...orz
一方、私は私で本当はM川の存在を『コイツうざい』と思っていたが、金持ちの彼女は金と物で私をつなぎとめる。
おまけに野球部の(お荷物でも)マネージャーなので、本来の部活であるブラバンの活動(野球部の応援)と関係があるため、露骨に無視もできない。
が、こいつ(M川)は基本、私の素性を知って常に見下していた。
でも、私の周囲にいるT久たちとの仲を羨ましがり、マネージャーの仕事をほったらかしてサークルに来ていた。
仕事(部活)もせず、邪魔して(下らんお喋り)ばかりのM川にみんなキレ気味...orz
そんなメンバーに、「あいつは先に卒業するから、それ(学園祭)までの我慢」と言い聞かせ、私に付き合ってもらった。
が、こいつは調子に乗って、卒業まででしゃばるわ、卒業しても(短大へ進学したので)頻繁に顔を出すわで…本当KY全開だった。
そして、K生が仲間入りしたのは、学園祭準備で遅くなった日のことだった。
真っ暗な教室にかばんを取りに戻るのが怖かったので、T司たちに廊下で待っててもらった。
すると暗闇の中で一人すすり泣くK生がいて…ビビッて我を忘れてしまった。
が、こんな暗がりに一人置いても帰れず…その日から私と行動を共に行動するようになったのだ。
そんな私をいつも心配して見守っていたのがT司とS野で…二人が特に反対したらしい。
だけど、なぜか私の我儘に甘い二人(笑)
そして何気にみんなそれぞれ進級進学していった。
で、いつものようにT司たちと遊んでいた夏のある日、肝試しで恐怖で動けなくなった私の手を引いて助けてくれたのだ。
そして、そのまま自分の自転車の後ろに乗せて走っていた…が、次の瞬間、我に返ったかのように突き放される。
また、いつものパターンだ。
悲しくなった私は、T司に理由を尋ねるが、答えようとしない。
いつも理由を聞くと貝のように口を閉ざす…さすがにこの時は詰め寄った。
それでも答えず、黙って私のそばに居続ける。
この頃になると、さすがにみんなは気づいていたらしい。
T司の気持ち、私の気持ち...
体育祭が終わったある日、衣替え間近の頃、T司の幼馴染のS司くんちへ行った。
そう、中間テストの勉強もせずに、近くの河原で遊んでしまったのだ。
そして、S司くんちで麻雀したりして時間をつぶす。
ルールなんか分からない私の隣で、T司が黙って教えてくれる。
何かにイラついている様子がわかるのだけど、訪ねてもいつもの通りで何も言ってくれない。
それでも帰ろう(帰そう?)としない。
夜になり、結局夕飯をS司くんちで食べてしまった。
私は、重い腰を上げてやっとの思いで「帰ろう」と声をかけ、駅まで一緒に帰った。
しびれを切らした私は、S司君とK生に付き合ってもらってT司を呼び出した。
だけど、浜辺にある公園で、延々と黙り続ける。
何を聞いても「(私は)悪くない」「(私の事は)嫌いじゃない」「でも気持ちには応えられない」「付き合えない」の一点張り。
とうとう泣き出す私に慰めの言葉もないのに、なぜか私よりつらそうな顔をしているのだ。
そして、泣き止むまでずっと黙ってそばに居続ける…
やがて私が諦めて立ち上がると、自転車の後ろに「乗れ」と言って乗せて駅まで走ると。
私には、その時間がとてもつらく苦しく悲しく感じたのに、駅がもっと遠くにあればいい…そう思ってしまった。
でも、じつは私と同じ気持ちでT司は自転車をこいでいたらしい。
この日から卒業までいろんなことがあった。
T司は自分(家族?)を変えられない。
私を好きでも私が変わらなければ…たとえ私が変わっても越えられない反日の壁を、どう乗り越えていけばいいのかわからなかったのだ。
なので、日替わりで態度が変わり、振り回されていく…
最後の最後で拒否られて、孤独に卒業を迎えた日、S野に告られた。
でも、私は丁寧にウソ偽りない気持ちを話し、断った。
それから2年の月日が流れ、実家に戻った私はバス会社に(事務職で)転職。
そこで出会った同い年のガイドの子、その彼氏がチモだった。
チモが言うには、私の卒業後はみんなバラバラになって、誰もサークルに寄り付かなくなったと。
ただ、相変わらずKYなM川が顔を出していたらしい。
T司は大学へ進学していったと聞かされた。
だけど行先は聞かなかった…が、予測はできた。
彼もS司君も創価だったから...
また、数年が経って、三十路を目前にしたころ、噂を耳にした。
でも、その噂には在日の壁を越えようともがいたT司の姿があったという話と、私と結婚まで真剣に考え悩んでいたということを知った。
そして、(卒業後)一度も帰らない私に…失望して彼は進学して郷里を後にしていったと。
もう会うこともない彼と私だけど、頑なに私を拒んだ裏側で、真剣なあの子の想いがあったことにショックを受けた。
私は彼が好きだったし、今でも彼が好きだけど…思い出すのは切なさだ。
昨今の韓流ブームをみたり、数年前世間を賑わした【パッチギ】を目にするたびに、今の時代なら私たちは幸せになれたのかな?…と思たり。
でも、友人が北の人(三世?)と結婚して、その後の苦労を耳にすると、「私には無理だ…」と感じる。
いろんなことが違いすぎるからだ。
だけど、そう思うのは…今私は大人になって、世間というものを知ったからかもしれない。
10代の恋は純粋で一途。
今、あの頃の私に言えるのは…後悔しない恋をしてほしい…かな。
やっぱり、T司はT司で、私にはそれ以上でもそれ以外でもなかったから。
私もあれからいくつか恋をしたけれど、勇気をもって人を好きになれた自分をほめてやりたいと思う。
そうそう、天然な私が事実を知ったのは、なんと卒業後に再会したチモからだ。
周囲は、もちろんS野もみんな(あのM川でさえ)T司が在日三世と知っていたらしい。
最後まで、頑固にT司の言えない秘密?を聞かなかったのは私だ。
本人の口から直接聴きたいと、本人が言いたくないものは聞きたくないと誰にも聞かなかったし、チモも遠まわしに私に言っただけ。
でも、断片的な記憶をつなげて、答えにたどり着いていたし、私は本心では聞きたく(知りたく)なかったのかもしれない。
そして、三十路直前に、仕事柄(保険屋の)上司から聞かされたわけで、私が彼の家へ保全に行けない理由を話した。
なんで、上司から真実を聞かされるのか…複雑ではあったけれど、寺の息子だった上司に「思い出にしておけ」と言われたのだ。
再会するなと、会いに行くなと言われたのだ。
それはそれで私を思っての言葉だったので、私はそれに従った。
で、その後、見合い結婚したわけで。
ま、それも失敗だったんだけど…
要は、私のコンプレックスが根底で邪魔するんだな。
在日や帰化人が、日本女性を妻に迎えた話を聞くと…私に足りないものはなんだったのだろうと思ってしまう。
恋愛で結婚しなかった私のコンプレックス。
自分の生まれを育ちを思うとき、独身でいたほうが良かったの?と思うこともある。
そんな私はこの年で、まだ自分の幸せ探しを続けている...
そう、介護保険の申請のためだ。
さて、そんなこんなで忘れかけていた記憶がよみがえる。
高校の頃、私はT司が好きだった。
断片的な記憶の中で、最初の頃に彼は自分の本名である韓国名を何気に名乗っている。
そうだ、彼の名は●口(辛=シン)●司(●シ)と。
祖父母がコリアンで、両親は二世だという話をしている。
けれど、私は彼をそんな風には一度も見なかった。
なので、すぐにそんな話は忘れてしまったのだけど…
やがて仲良く過ごしていくうちに、私は彼の事が気になっていく。
T司は、いつも近くにいて、振り向くとそばにいる感じ。
近づくと冷たくはねのけるくせに、でもつかず離れずの距離にいた。
我儘を言うと聞いてくれるし、なぜかいつもそばにいてくれた。
ある時、野球部の応援の帰り、ポカリを渡されたのだけど、飲み慣れなくて嫌だとわがままを言ってごねた。
そんな私に「一口飲んでダメなら、俺が代わりのものをもらってきてやるから飲め」と私に言ったことがあった。
ムクレっ面しながら飲んでみて…死ぬほどのどが渇いていたので、ゴクゴク飲んでしまったわけで(苦笑)
するとT司は笑って「飲んでみたら意外といけるだろ!?」と。
そんなさりげない優しさや触れ合いがいくつかあって…夏休みのある日、私のバイト先へ何の前触れもなく遊びに来たのだ。
T久たちと現れたT司にビックリしたが、心を開き始めたことがうれしかった。
でも、ただ私のほうを見つめているだけで、私が近づくと逃げるように帰ってしまったのだ。
いつもこんな調子で…なのに気になる。
私は、たぶん彼に近い存在だったのだろうと感じていた。
生まれや育ちは自分にはどうすることもできないものなのに、それで差別やいじめにあってしまう。
結婚さえも自分の自由意志にはならず、相手次第で幸不幸が決まってしまうのだ。
それが私と彼の持つ他人には理解されない運命だった。
だけど、必要以上距離を縮めてこないT司、そこに合った壁は…民族の壁。
三世の彼は、日本で生まれ日本語しか話せない。
限りなく日本人なのに日本国籍を持たない。
そして、反日教育を受けて育った。(朝鮮学校はなかったが、朝銀はあった)
そのこだわりが私たちの間の距離だった。
私の相棒のK生のことを、連れて歩くようになった時、T司は珍しく私の行動に意見した。
まあ、S野(先生)までもが反対だったのだけど…私はみんなを説得してしまった。
K生の毒が私を犯すと考えていたようで、私が私でなくなってしまうことを恐れたようだった。
けれど、私は『逆もある』と主張し、K生をかばった。
「利用される」とT司をはじめ、みんなは私を心配して反対したが…結局、私がK生を巻き込んでいった。
あとで知ったが、K生は『(私を)汚すな』とS野に約束させられたのだそうだ。
まあ、結果的に私の我儘をS野が受け入れ、それをT司やT久が受け入れ、「(私を)傷つけることは許さない」とK生は念を押されたらしい。(どんだけ過保護!?(苦笑))
でも、K生はその後数年間守り続けたわけで、私は彼らにとても大事にされていたよう。
数年後になるが、同和のT本(チモ)に再会した時、サークルに集っていたメンバーは、みんな私で繋がっていたというのだ。
そもそも私はH岸という社会科主任教諭(元長女の担任だった)から頼まれ(入試から目をつけられていたらしい)、サークルを手伝う臨時部員として参加していた。
そこに、ブラバン部員だった私のもとへ、正規顧問に名乗りを上げたS野が加わり、ブラバンと兼任する私とK崎(留年組の2年)、1年のT久に加えてT司、テニス部1年のT本、弓道部1年のタナケン(T中)、とメンツがそろったのだ。
が、ミーハーな野球部のお荷物マネージャーのM川(3年)がいて、まとまりのない不揃いなメンバーをつないでいたのが私の存在だと、のちにチモに言われる。
つまり、私を除いたメンバー全員が同和関係者なのだ。
彼ら1年組は、お互い(事情)を知っていたようで、私の存在が最初(M川より)不明と思っていたらしい。
が、…理由(親が被爆者のため被爆者二世)だと告げると納得し、そうなるとM川の存在が…になるわけで。
彼女曰く「私のことを)担任から頼まれた」と言い、私に付きまとっていたらしいが…実際は私が頼まれていた...orz
一方、私は私で本当はM川の存在を『コイツうざい』と思っていたが、金持ちの彼女は金と物で私をつなぎとめる。
おまけに野球部の(お荷物でも)マネージャーなので、本来の部活であるブラバンの活動(野球部の応援)と関係があるため、露骨に無視もできない。
が、こいつ(M川)は基本、私の素性を知って常に見下していた。
でも、私の周囲にいるT久たちとの仲を羨ましがり、マネージャーの仕事をほったらかしてサークルに来ていた。
仕事(部活)もせず、邪魔して(下らんお喋り)ばかりのM川にみんなキレ気味...orz
そんなメンバーに、「あいつは先に卒業するから、それ(学園祭)までの我慢」と言い聞かせ、私に付き合ってもらった。
が、こいつは調子に乗って、卒業まででしゃばるわ、卒業しても(短大へ進学したので)頻繁に顔を出すわで…本当KY全開だった。
そして、K生が仲間入りしたのは、学園祭準備で遅くなった日のことだった。
真っ暗な教室にかばんを取りに戻るのが怖かったので、T司たちに廊下で待っててもらった。
すると暗闇の中で一人すすり泣くK生がいて…ビビッて我を忘れてしまった。
が、こんな暗がりに一人置いても帰れず…その日から私と行動を共に行動するようになったのだ。
そんな私をいつも心配して見守っていたのがT司とS野で…二人が特に反対したらしい。
だけど、なぜか私の我儘に甘い二人(笑)
そして何気にみんなそれぞれ進級進学していった。
で、いつものようにT司たちと遊んでいた夏のある日、肝試しで恐怖で動けなくなった私の手を引いて助けてくれたのだ。
そして、そのまま自分の自転車の後ろに乗せて走っていた…が、次の瞬間、我に返ったかのように突き放される。
また、いつものパターンだ。
悲しくなった私は、T司に理由を尋ねるが、答えようとしない。
いつも理由を聞くと貝のように口を閉ざす…さすがにこの時は詰め寄った。
それでも答えず、黙って私のそばに居続ける。
この頃になると、さすがにみんなは気づいていたらしい。
T司の気持ち、私の気持ち...
体育祭が終わったある日、衣替え間近の頃、T司の幼馴染のS司くんちへ行った。
そう、中間テストの勉強もせずに、近くの河原で遊んでしまったのだ。
そして、S司くんちで麻雀したりして時間をつぶす。
ルールなんか分からない私の隣で、T司が黙って教えてくれる。
何かにイラついている様子がわかるのだけど、訪ねてもいつもの通りで何も言ってくれない。
それでも帰ろう(帰そう?)としない。
夜になり、結局夕飯をS司くんちで食べてしまった。
私は、重い腰を上げてやっとの思いで「帰ろう」と声をかけ、駅まで一緒に帰った。
しびれを切らした私は、S司君とK生に付き合ってもらってT司を呼び出した。
だけど、浜辺にある公園で、延々と黙り続ける。
何を聞いても「(私は)悪くない」「(私の事は)嫌いじゃない」「でも気持ちには応えられない」「付き合えない」の一点張り。
とうとう泣き出す私に慰めの言葉もないのに、なぜか私よりつらそうな顔をしているのだ。
そして、泣き止むまでずっと黙ってそばに居続ける…
やがて私が諦めて立ち上がると、自転車の後ろに「乗れ」と言って乗せて駅まで走ると。
私には、その時間がとてもつらく苦しく悲しく感じたのに、駅がもっと遠くにあればいい…そう思ってしまった。
でも、じつは私と同じ気持ちでT司は自転車をこいでいたらしい。
この日から卒業までいろんなことがあった。
T司は自分(家族?)を変えられない。
私を好きでも私が変わらなければ…たとえ私が変わっても越えられない反日の壁を、どう乗り越えていけばいいのかわからなかったのだ。
なので、日替わりで態度が変わり、振り回されていく…
最後の最後で拒否られて、孤独に卒業を迎えた日、S野に告られた。
でも、私は丁寧にウソ偽りない気持ちを話し、断った。
それから2年の月日が流れ、実家に戻った私はバス会社に(事務職で)転職。
そこで出会った同い年のガイドの子、その彼氏がチモだった。
チモが言うには、私の卒業後はみんなバラバラになって、誰もサークルに寄り付かなくなったと。
ただ、相変わらずKYなM川が顔を出していたらしい。
T司は大学へ進学していったと聞かされた。
だけど行先は聞かなかった…が、予測はできた。
彼もS司君も創価だったから...
また、数年が経って、三十路を目前にしたころ、噂を耳にした。
でも、その噂には在日の壁を越えようともがいたT司の姿があったという話と、私と結婚まで真剣に考え悩んでいたということを知った。
そして、(卒業後)一度も帰らない私に…失望して彼は進学して郷里を後にしていったと。
もう会うこともない彼と私だけど、頑なに私を拒んだ裏側で、真剣なあの子の想いがあったことにショックを受けた。
私は彼が好きだったし、今でも彼が好きだけど…思い出すのは切なさだ。
昨今の韓流ブームをみたり、数年前世間を賑わした【パッチギ】を目にするたびに、今の時代なら私たちは幸せになれたのかな?…と思たり。
でも、友人が北の人(三世?)と結婚して、その後の苦労を耳にすると、「私には無理だ…」と感じる。
いろんなことが違いすぎるからだ。
だけど、そう思うのは…今私は大人になって、世間というものを知ったからかもしれない。
10代の恋は純粋で一途。
今、あの頃の私に言えるのは…後悔しない恋をしてほしい…かな。
やっぱり、T司はT司で、私にはそれ以上でもそれ以外でもなかったから。
私もあれからいくつか恋をしたけれど、勇気をもって人を好きになれた自分をほめてやりたいと思う。
そうそう、天然な私が事実を知ったのは、なんと卒業後に再会したチモからだ。
周囲は、もちろんS野もみんな(あのM川でさえ)T司が在日三世と知っていたらしい。
最後まで、頑固にT司の言えない秘密?を聞かなかったのは私だ。
本人の口から直接聴きたいと、本人が言いたくないものは聞きたくないと誰にも聞かなかったし、チモも遠まわしに私に言っただけ。
でも、断片的な記憶をつなげて、答えにたどり着いていたし、私は本心では聞きたく(知りたく)なかったのかもしれない。
そして、三十路直前に、仕事柄(保険屋の)上司から聞かされたわけで、私が彼の家へ保全に行けない理由を話した。
なんで、上司から真実を聞かされるのか…複雑ではあったけれど、寺の息子だった上司に「思い出にしておけ」と言われたのだ。
再会するなと、会いに行くなと言われたのだ。
それはそれで私を思っての言葉だったので、私はそれに従った。
で、その後、見合い結婚したわけで。
ま、それも失敗だったんだけど…
要は、私のコンプレックスが根底で邪魔するんだな。
在日や帰化人が、日本女性を妻に迎えた話を聞くと…私に足りないものはなんだったのだろうと思ってしまう。
恋愛で結婚しなかった私のコンプレックス。
自分の生まれを育ちを思うとき、独身でいたほうが良かったの?と思うこともある。
そんな私はこの年で、まだ自分の幸せ探しを続けている...