「全一学」提唱の「創造の形而上学」

 

10月20日(月)秋の土用入り。リサイクルの日。

 

晩年の大作、「全一学」提唱の「創造の形而上学」から抜粋します。極めて難解な内容と思いますが、「日本人独自の哲学とは何か」を考える手がかりとしてご覧いただければ幸いです。本日は第4節「全一生命の諸相と哲学の類型」の3回目で、聖アウグスチヌスの「大愛」から孔子の「仁」、さらにプラトンの「イデヤ」に及んでいます。

 

さて、古来絶対者に対して哲学者たちの賦与した属性に対し、一応の吟味検討を試みたいと思うのである。その場合、絶対者の根本属性を「大愛」または「慈悲」とする立場は、哲学というよりむしろ宗教的色彩を帯びる立場といってよく、その最も典型的なるものを、聖アウグスチヌスに見ることはいうまでもない。だが、この立場は哲学の立場としても、最根本的な立場と言えるであろう。

 

同時にこれは儒教について見るも、儒教の祖ともいうべき孔子によって、「仁」が絶対とされたことの上にも明らかである。孔子の没後、仁だけでは不足として、孟子が「義」を加えて仁義と並べ称したのは、仁がすでに相対化され、孔子の唱えた「太仁」(敢えて使う)から離れるのである。

 

さらに子思に到っては「中庸」の徳が天地を貫く根本理念とされ、さらに宋学(朱子学)に到っては、仏教の影響を受けて、「太極」ないし「無極」などの宇宙的原理を生むに到ったのであって、これ後世にいわゆる哲学的抽象化というべく、絶対的な“いのち”の「真」から離れるわけである。

 

西欧の哲学にあっては、一般に絶対者を理に即して捉えようとする傾きが強いといえるが、西欧哲学そのものが、元来知的営為なるが故であって、もとより当然というべきであろう。しかし、改めて深省させられるのは、絶対者を単に「理」として把握し、強調する立場は空しく、絶無というべきかも知れない。

 

例えばプラトンも一面からは「対話」という“いのち”の最端的な発動様態に即して、真の生ける真理は把握されるべきと開示した哲人として、さすがに西欧哲学の祖というに値すると思うが、そこで力説されているのはイデヤ論であって、対話とは著しく異なって、知的色調を帯びるといえるであろう。

 

上杉鷹山ーー封建領主③

 

10月18日(土)

 

内村鑑三(1861年〜1930年)により1908年(明治41年)に刊行された英文著「Representative Men of Japan」の鈴木範久よる翻訳「代表的日本人」(岩波文庫)から、新日本の創設者としての西郷隆盛、封建領主の上杉鷹山、農民聖者の二宮尊徳、村の先生の中江藤樹、仏僧の日蓮上人の5名を紹介します。今回は上杉鷹山の3回目です。

 

生涯を通して木綿の衣服と粗末な食事を続けた

 

あらゆる人々のなかで、鷹山ほど欠点も弱点も数え上げることの難しい人物はありません。鷹山自身が、自分の欠点と弱点を知っていたからです。鷹山は弱い人間であったからこそ、藩主の地位に就くとき、誓詞を神に献じたのです。

 

鷹山の率直で高潔な人格が、もっとも明らかに見られるのは、その家庭と家族関係であります。倹約ぶりはすでに述べました。米沢の財政が十分に回復し、豊かな暮らしのできる時代になっても、鷹山は生涯を通して、木綿の衣服と粗末な食事を続けました。

 

聖人のいう「自己を修める者にしてはじめて家を治め、家を整える者にしてはじめて国を統治できる」との言葉を実行しました。社会的身分のある人間が側室を持つ権利は、大名となれば四、五人は抱えていた時代に、鷹山は十歳年上の側室を一人しか待ちませんでした。

 

特別の事情のためでした。成人前に両親の定めるままに受け入れて結婚した女性は、先天的な知的障害がありました。女性の知力は十歳の子どもにも達していません。しかし、二十年の結婚生活を通じて、自己の置かれた運命に対して少しの不満の念も示しませんでした。

 

二人はもっぱら江戸で暮らしましたが、側室の方は米沢に留め置かれ、障害のある妻に並ぶ地位は許しませんでした。もちろん妻の方は子どもを残しませんでした。世襲制の時代にあっては、民の将来の幸福は、藩士がどんな後継者を残すかに左右されるからです。

 

鷹山は子どもらに「大きな使命を忘れて、自分の利欲の犠牲にしないため」、「貧しい人々への思いやり」を養いました。鷹山の子どもの育て方をみるために、孫娘たちに書き与えた一通の手紙を紹介しましょう。

 

この世に生をうけたのは親の恩による

 

人は三つの恩義を受けて育つ。親と師と君である。それぞれ恩義はきわまりないが、とりわけ他にまさるは親の恩である。・・・この世に生をうけたのは親の恩による。この身体が親の一部であることを決して忘れてはならない。親につかえるときは、偽りない心でふるまうようにせよ。もし、あやまちを犯しても、真心さえあるならば、大きなあやまちではない。知恵不足のためにできないと思うな(その不足は真心がおぎなう)。

 

領内を治めることは、とても及ばぬように考えるかもしれない。しかし、領内を治めるもとは、よく整った家にあると思うがよい。よく整った家は、妻の夫に対する関係が、きちんとしなくては成り立たない。水源が濁っている川から、どうしてきれいな流れを期待できようか!

 

年若い女性である以上、着物のことに心がとらわれやすいのは当然である。しかし教えられた倹約の習慣を忘れるではない。養蚕をはじめ女の仕事に励み、同時に和歌や歌書に接して、心を磨くがよい。文化や教養は、それだけを目的にしてはならない。すべての学問の目的は徳を修めることに通じている。・・・

 

汝の夫は父として民を導き、汝は母として民をいつくしむがよい。そのとき民は汝らを親として敬う。これにまさる喜びがあろうか。夫の両親には、くれぐれも孝養を尽さなければならない。真心をこめて主であり夫でもある人につかえて繁栄のかぎりないこと。わが娘が、その生まれた国にふさわしい貞淑な女性として仰がれることを祈る。

 

春を得て花すり衣重ねとも 我ふる里の寒さ忘るな(春が訪れ、花の衣装を身にまとう時節となっても、山里の父の家で過ごした冬をわすれるなよ)

 

この勤勉な節制家の人生は、健康に恵まれた七十年でありました。若き日の希望は、ほとんどかないました。藩は安定し、民は物に富み、国中が豊かに満たされました。・・・これを成し遂げた人物の最期が安らかでないはずはありません。

 

文政五(1822)年3月19日、鷹山は最後の息を引き取りました。民は、自分の祖父母を失ったかのように泣いた。階層を問わず悲しみ、その様は筆につくしがたい。葬儀の日には、何万人もの会葬者が路に溢れ、合掌し、頭を垂れ、深く嘆き悲しむ声がだれからも漏れた。

山川草木もこぞってこれに和した、と伝えられています。

 

「全一学」提唱の「創造の形而上学」

 

10月17日(金)

 

晩年の大作、「全一学」提唱の「創造の形而上学」から抜粋します。極めて難解な内容と思いますが、「日本人独自の哲学とは何か」を考える手がかりとしてご覧いただければ幸いです。本日は第4節「全一生命の諸相と哲学の類型」の2回目で、人間と絶対者の関係を説いています。

 

かのプロチノスが絶対者を「一者」また「太一」と呼び、東洋でも「空」ないし「虚」と呼び、西田哲学の「絶対無」などもそのねらいは同様である。付言が許されるなら、わたくしの「全一」も同様の立場に立つわけである。

 

かくして古来絶対者に対して付与したこれらの諸名辞を一瞥することにより、種々なる問題を発見するわけである。第一には、それらは絶対者自身のもつ根本属性を言いうるとしても、実は人間自身の属性であり、さらには哲学者の人間類型の投影という他ないであろう。人間としては、それ以外には絶対者に承当する途はないわけである。

 

古来世俗の諺としても、「蟹は自分の姿に似合わせて穴を掘る」といわれるが、人間、否、哲学者と呼ばれる人間すらそれを免れ得ないことを知るべきである。同時にそれを思う時、改めて人間の有限性に対して、感慨を新たにせざるを得ないのである。

 

また、フォイエルバッハが、「人間は自己に肖せて神をつくる」と言ったコトバも、無下には否定すべかざることを思わずにはいられないのである。かく言ったフォイエルバッハ自身もまた神によって造られた存在という一面も看過できないことはいうを要しないであろう。

 

かくして我われは、今や絶対者に対して、一つの重大な問題に当面していることを知らしめられるのである。即ち人間は絶対者自身の所産であり、神自身の分身に過ぎないにも拘らず、他面で自己を生み出した無限の本源的生命に対して、一道の微光を照射せしめようとするわけである。

 

眼を転じて、哲学においては如何であろうか。哲学の世界においてすら、そのような制約なき能わぬということである。神概念そのものすら人間存在の自己投影化から、完全には離脱していないということである。

 

「全一学」提唱の「創造の形而上学」

 

10月16日(木)

 

晩年の大作、「全一学」提唱の「創造の形而上学」から抜粋します。極めて難解な内容と思いますが、「日本人独自の哲学とは何か」を考える手がかりとしてご覧いただければ幸いです。本日は1章「全一者――その把握と方法」の第4節「全一生命の諸相と哲学の類型」の1回目で、窮極は“一人一宗”であり、“一人一学派”と説いています。

 

古来絶対者に対する人間的営為が、対象そのものは絶対的無限者でありながら、それを把握し得たとする宗教においてさえ、そこには宗派間の争いがあり、いわんや哲学においては、文字通り「一人一哲学」という他ない有様である。

 

このように宗教にあっても、窮極的には“一人一宗”であるべきであるのに、地上の現実はそうなっていないのに対して、何ゆえ哲学の場合には「一人一哲学」ということが、ほとんど自明のこととされるかというに、宗教の場合は哲学と比べる時、情意が主となるのに対して、哲学の立場は何れも「理」を主とするが故である。

 

けだし「理」が主となるということは、客観的限定がきびしくなるということであり、比較的瑣末な相違も“あいまいさ”のままには過ごされず、その相違が際立った対立を為し、とかく批判の対象となり易いといえるわけで、宗教の領域の如き集団的結束が見られないゆえんである。

 

では何ゆえ宗教も哲学も、窮極するところは“一人一宗”であり、“一人一学派”かというに、

それは個性生命としての人間が、実在的生命に承当する“いのち”の角度は、それぞれ唯一不二だからである。

 

人間が“いのち”の絶対的根源たる大宇宙生命に承当する角度は万人万様で、人によりそれぞれ異なるわけであるが、古今の哲学説を大観する時、そこにはおのずから類型的な相違が見られるといってよい。

 

それは前にも一言したように、(1)理を主とする立場、(2)絶対的意志と観ずる、(3)“いのち”と把握する、(4)無限の大愛、慈悲とする立場、(5)絶対者はいかなる意味においても限定的制約は許されないという意味から「無」ないし「虚」、さらに「絶対無」ないし「太虚」と呼ぶ立場である。

「全一学」提唱の「創造の形而上学」

 

10月15日(水)

 

晩年の大作、「全一学」提唱の「創造の形而上学」から抜粋します。極めて難解な内容と思いますが、「日本人独自の哲学とは何か」を考える手がかりとしてご覧いただければ幸いです。本日は第3節「体系の種々相と人間類型」の最終回で、大宇宙生命を把握する哲学思想は5つに大別されると説いています。

 

さて以上は、わずかに西欧近代の哲学者について、その思想体系の特質とその人間類型との間に、密接不可離の関係がある点について一瞥を試みたわけである。しかし百尺竿頭さらに一歩をすすめて、古今東西にわたってその哲学思想を大観する時、そこには概言して次のようなことが言われるようである。

 

人類がこの無限絶大なる大宇宙生命に対する把握は、大別して若干の類型的様相が見られるということである。今試みにそれを概言してみれば、(1)この絶大無限なる宇宙生命の根本本質を、理(ロゴス)と見る立場、(2)それを絶大なる生命即ち“いのち”として把握する立場、

 

(3)これを絶大なる“意志”と見る立場があり、さらに(4)それが万象を生んで止まぬ点よりして、これを「大愛」または「仁」と呼ぶ立場、(5)以上のすべてが、結局ある意味からは限定に他ならぬとの立場から、真に絶対なるものは如何なる意味からも、そこには積極的限定が許されぬという観点に立ち、「無」または「絶対無」、ないしは「虚」「大虚」のごとく否定的表現をとる場合などである。

 

それらのうち、西欧の哲学は二、三の例外を除けば、多くは「理」の立場をとるものと言えよう。それは西欧哲学自体が、その始源たるギリシャ哲学の影響を受けて、広義には「理」を主とする哲学だからである。

 

同時にこれに反して東洋の哲学は、インドの瞑想と中国の農耕生活が基盤となって、「空」ないし「虚」というような否定的消極の趣を帯びるといってよい。わが国の西田哲学は、ある意味では無意識裡に、如上人類がこれまで辿ってきた実在把握の諸段階を、生涯をかけて一人の身で辿ったかの観があるともいえるであろう。

 

 

「全一学」提唱の「創造の形而上学」

 

10月14日(火)

 

晩年の大作、「全一学」提唱の「創造の形而上学」から抜粋します。極めて難解な内容と思いますが、「日本人独自の哲学とは何か」を考える手がかりとしてご覧いただければ幸いです。本日は第3節「体系の種々相と人間類型」の3回目で、カントとヘーゲルに続き、スピノザとライプニッツの人間類型と哲学体系を説いています。

 

カントはその性格上自然科学に重大な関心をもち、その点からその道徳説も一種の厳粛主義(リゴリズム)といってよく、同時に宗教論の上にも道徳的着色を濃厚ならしめて、純粋なる宗教の独自性に陰翳を投じる観なしとしないのである。

 

ヘーゲルおいては、理の体系的構造は「弁証法」として、つねに展開の機を内包するのであり、その思想的特質は、青年期におけるギリシャ史への没頭にその端を発すると言われている。それ自身すでに生命の内的本来的な関心が著しく現実的政治的だったが故といえるであろう。

 

カントに先立つ二人の哲学者、スピノザとライプニッツについても、両者の人間類型とその哲学体系との間には、密接不可離の深い関連があるといえるであろう。即ちスピノザについて言えば、彼は西欧の全哲学史上にも稀有というべき深奥な宗教的人間といってよい。

 

彼の宗教観は主情的なものではなく、透徹せる叡知によって貫かれた清澄明叡知な世界で、その哲学的表現の手法として幾何学的形式を採用したことは、多分に無理だったことは、改めていうを要しないであろう。

 

これに対するライプニッツは、主著「モナドロジー」によって、スピノザが一元論的世界観体系に住したのに対して、近世多元論の代表者とされているが、彼が一方では微積分学および位相数学上に貢献した人でありながら、現実的には複雑多端な政治外交上の枢機に携わったことと無縁ではないであろう。

 

このように考えると、僅かの年金でその清貧な生活を支えながら、終生孤独瞑想の裡に過ごしたスピノザに、徹底した一元論的世界観が生まれたことの必然を深思せずにはいられないのである。一方で多元的複雑さの中に身を投じたライプニッツの多元的世界観の不可避を思わずにはいられないのである。

「全一学」提唱の「創造の形而上学」

 

10月13日(月)スポーツの日。

 

晩年の大作、「全一学」提唱の「創造の形而上学」から抜粋します。極めて難解な内容と思いますが、「日本人独自の哲学とは何か」を考える手がかりとしてご覧いただければ幸いです。本日は第3章「体系の種々相と人間類型」の2回目で、古今東西の哲学体系は若干の類型に分つことができると述べています。

 

かくして真に哲学を学ぶということと、単に哲学を理解するということとは、厳密には区別して用いるべきだといえるであろう。真に哲学を学ぶという場合には、まずその根本態度の確立が要請されるが故である。

 

即ち自己と生命の波長の比較的近い先人の体系と取り組み、その全的理解の果て、ついに自己の独創体系を生むのでなければなるまい。そのような学者は、一つの民族において、一時代に一人二人で、せいぜい三人止まりといってよく、西欧諸国においても現実的真理といってよいであろう。

 

ではそのような稀有ともいうべき思想家と普通の大学教授とは一体どこが違うかというに、

自家の独創体系を樹立する哲学者は、自らの“いのち”の奥底に、いわば体系への「核」ともいうべきものを本具していると言ってよいであろう。即ち真の体系的哲学者は、卓れた宗教家や芸術家などと同じく、天賦の素質を授かった人といってよいであろう。

 

このように考えてくれば、大学などで既存の哲学諸家の学説の概要を解説し、比較することなどに一生終始する人の多いのも、必ずしも咎むべきではないといえよう。

 

いま古今東西の哲学体系を大観するとき、若干の類型に分つことができ、しかもそのような体系の類別は、ついにはそれらを創出した哲学者自身の人間的類型に基因し、否、むしろその投影というべきかを思わしめられるのである。

 

今試みに、理を主とする哲学体系として最も典型的なものとしては、カント及びヘーゲルを思うのである。今カントの哲学体系を理の静態的構造と見るとすれば、ヘーゲルの体系は、その特有の弁証法の論理によって、理の構造をその動的展開において見ようとしたものといってよい。

 

上杉鷹山――封建領主②

 

10月11日(土)

 

内村鑑三(1861年〜1930年)により1908年(明治41年)に刊行された英文著「Representative Men of Japan」の鈴木範久よる翻訳「代表的日本人」(岩波文庫)から、新日本の創設者としての西郷隆盛、封建領主の上杉鷹山、農民聖者の二宮尊徳、村の先生の中江藤樹、仏僧の日蓮上人の5名を紹介します。今回は上杉鷹山の2回目です。

 

産業改革の目的は「礼節を知る人」を育てる

 

鷹山の産業改革は二通り。(1)は領内に荒地を残さないこと、(2)民の中に怠け者を許さないことです。サムライたちを平時には農民として働かせ、荒廃地から何千町歩にもなる土地を興しました。鷹山の主な目的は、領内を全国最大の絹の産地にすることでした。

 

自分の始めた数千本の桑株は、しだいに株分けされて全領内に植える余地がなくなるほど。

しかし、領内にはまだ荒地が残っていました。豊かな実りは水の灌漑のよいことを前提としています。そこで長距離にわたる高い堤による用水路の建設を完成します。

 

もう一つは堅い岩石に1200フィートのトンネルを掘ることで、大きな水流を変える工事です。この事業は鷹山治世の20年間を要した、領内に貢献する最大の仕事。荒地には花が咲き、米沢領は豊かな沃地に変わりました。以来、水不足に見舞われたことはありません。

 

東洋思想の一つの美点は、経済と道徳を分けない考え方であります。富は常に徳の結果であり、両者は木と実との相互の関係と同じとみなします。木によく肥料をほどこすならば、労せずして確実に実ります。「民を愛する」ならば、富は当然もたらされるでしょう。

 

「ゆえに賢者は木を考えて実をえる。小人は実を考えて実をえない」。このような儒教の教えを鷹山は尊師細井から授かりました。産業改革で特に優れている点は、その目的の中心に家臣を有徳な人間に育てることを置いたところです。

 

純粋な二つの社会改革について

 

改革が順調に動き出すと、閉鎖されていた藩校を再興し、「興譲館」と名づけました。「謙譲の徳を振興する所」という意味です。館長には当代屈指の学者の一人、鷹山の師である細井平洲を招きました。才能があっても貧しい学生には奨学金を与えて学費を免除。

 

どのような仁政も、病人を治療する施設を備えて完全になります。さらに医学校を開設し、当時の日本では最高の医師二人が教師として招かれました。薬草の栽培に植物園も開かれます。西洋医学が恐怖、疑惑の目で見られ時代、数人の家臣を漢方医杉田玄白のもとに派遣して新しい医学を学ばせました。

 

純粋な社会改革については二つにとどめます。公娼の廃止は「仁政」にかなっていました。廃止すると欲情のはけ口を断たれ、もっと凶悪な方法で社会の純潔を危険にさらすという反対論に対して、鷹山は答えました。「欲情がそんなことで鎮まるなら、数知れない遊郭が必要になろう」。廃止することによって、何らの社会的不都合も生じなかったのです。

 

もうひとつは最も重要な農民への教えで、「伍十組合の令」であります。これは鷹山の理想国家を誠によく物語っています。原文の一部を紹介します。

 

農民の天職は、農(農作物を作る)、桑(蚕を育てる)にある。これにいそしみ、父母と妻子を養い、お世話料として税を納める。これはみな、相互の依存と協力とをまって初めて可能になる。そのためにはある種の組合が必要である。・・・伍十組合と五カ村組合を設ける。

 

1.五人組は、同一家族のように常に親しみ、喜怒哀楽を共にしなければならない。

2.十人組は、親類のように、互いに行き来して家事に携わらなければならない。

3.同一村の者は、友人のように助けあい、世話をし合わなければならない。

4. 五カ村組合の者はどんな場合にも助け合うように、困ったときは助け合わねばならぬ。

5. たがいに怠らず親切をつくせ。もし年老いて子のない者、幼くて親のない者、貧しくて養子の取れない者、配偶者を亡くした者、身体が不自由で自活のできない者、病気で暮らしの成り立たない者、死んだのに埋葬できない者、火事にあい雨露をしのぐことができなくなった者、あるいは他の災難で家族が困っている者、

 

このような頼りのない者は、五人組が引き受けて身内として世話をしなければならない。五人組の力が足りないときには、十人組が力を貸し与えなければならない。・・・

 

6.善を勧め、悪を戒め、倹約を推進し、贅沢をつつしみ、天職に精励させることが、組合を作らせる目的である。・・・

 

鷹山は自身が垂範し、十五万人の社会を徐々に効果的に、自己の理想にものに作り上げて行きました。

「全一学」提唱の「創造の形而上学」

 

10月10日(金)

 

晩年の大作、「全一学」提唱の「創造の形而上学」から抜粋します。極めて難解な内容と思いますが、「日本人独自の哲学とは何か」を考える手がかりとしてご覧いただければ幸いです。本日から1章「全一者――その把握と方法」の第3節「体系の種々相と人間類型」の1回目で、「哲学を学ぶ」には二つの立場があると述べています。

 

自然科学とは根本的に趣を異にするのが哲学である。その趣の相違からそれぞれの哲学体系が生じると考えるのである。その根底にはそれぞれの哲学者に生得的な、その人に固有の人間類型の反映が見られると思うのである。

 

哲学を学ぶというというには、大別して二種の別があるかと思うのである。その一つは、既存の学説、ないし現存の某(なにがし)かの哲学の体系について、一応それを模写的に理解する立場である。わが国学会の現状では、哲学とはかかるものとして理解されているのが大方といってよいであろう。それより半歩進めたものは、その体系自身のもつ長短、ならびに歴史的定位といってよいであろう。

 

今一つの立場は、自己の哲学体系を展開するにあたり、先人の体系をいわば触媒として用いる立場である。この場合には、多くの種類の体系を知る要はないわけで、自己の肌合いに近い主・副二種の思想体系があれば、他は不用とさえいえよう。何となれば、それらはどこ迄も触媒的媒体に過ぎないが故である。

 

この場合問題とすべきは、いわゆる大学教授と呼ばれている人々のほとんどが前者の類型に属することである。それらの人々は、先人の体系の模写的理解に精力を消尽し、ために自らの体系の創生樹立には至り難いといってよい。

 

かく考えてくれば、哲学を「学ぶ」というコトバ自体に問題があると言えるであろう。何となれば、「学ぶ」とうコトバには、すでに自己に先立つ先人の手になる既存の体系の存在が予想され、それを模写的に受容することを意味するといってよいからである。

 

この場合、模写的受容というコトバが引掛るとすれば、一応それに対する全的受容といってもよいであろう。だが、真の意味で全的受容だとしたら、それらを全的に自己に血肉化するのでなければなるまい。凡ては自己の思想として表現されるべきを意味するわけである。

「全一学」提唱の「創造の形而上学」

 

10月9日(木)秋の高山祭〜10日。

 

晩年の大作、「全一学」提唱の「創造の形而上学」から抜粋します。極めて難解な内容と思いますが、「日本人独自の哲学とは何か」を考える手がかりとしてご覧いただければ幸いです。本日は第2節「人間における絶対の把握」の最終回で、大宇宙生命を把握できるのは人間の意識作用の他はないとの結論です。

 

かくして人間に賦与されている恩寵は、外無辺なる大客観界の極大・極少を知悉(ちひつ)し尽くすことではなく、実に「我れ」と言い「自己」という、この人間存在自体の根源に向かって、遡求する可能性が賦与されているということである。これぞ、他ならぬ意識作用の自反・自省その物に他ならぬわけである。

 

われわれの意識作用は、自然科学知という部分知の無限なる駆使によって、ある程度までは大客観界の極大と極少を推知しうるわけであるが、そこにも必然に限界制約なきを得ないわけである。その代償として人間存在には、意識作用そのものの自反自省を通して、自己存在そのものの根源に遡求しうるわけである。

 

この節の冒頭以来、人間において絶対者の把握がいかにして可能であるかを問題にしつつ、迂遠と思われるほどの迂曲の道を辿って、ついに意識作用の自反自省に達したわけである。これこそは、有限なる人間が、自己の“いのち”の絶対的根底に承当する唯一無二なる絶対の一道というべきかと考えるが故である。

 

人間存在は、大客観界としての大宇宙の中に(地球上)に自然界の一極微存在として創生せしめられているわけである。端的に我われ人間は自然界の一員として、この地球上にその生を享けて存在しつつあるわけである。

 

かかる絶対的事実に対する確認・確信を宗教と呼ぶのであり、そこに内在する理法の自証を名づけて哲学というわけである。かくして、いかに絶大無限なる大宇宙生命を把握しうるかの疑問は、我われ自身がすでに絶対生命の唯中に包摂されている事実への認証さらに確信と、それへの体解自証明以外のゆえんを明らかにする人間的営為によって、初めて可能だといってよいであろう。即ち絶対生命によって包摂光被されている事態そのものを、いかにして体解し自証すべきかが真の問題というべきであろう。