「全一学」提唱の「創造の形而上学」

 

10月8日(水)寒露。

 

晩年の大作、「全一学」提唱の「創造の形而上学」から抜粋します。極めて難解な内容と思いますが、「日本人独自の哲学とは何か」を考える手がかりとしてご覧いただければ幸いです。本日は第2節「人間における絶対の把握」の3回目で、人間の「意識作用」がテーマです。

 

これまで、ある意味では自明とも言うべき事柄について述べてきたかというに、有限存在たる人間に、果たして真の絶対的全一生命たる大宇宙生命の内的真実相が、たとえその極微の一端にもせよ、把握しうるか否かということが、何物にも優先する根本疑問というべきだからである。

 

・・・この地球自体のもつ寿命から考えても、人間の一生は真に一瞬ではかないが、しかもそのうち約三分の一は睡眠という、一種の仮死状態のうちに過ごすことを不可避としつつ、残りの三分の二の時間さえ現実的生、否、世俗的「生」の維持のために空費せられるのみか、

 

わずかに許され与えられた自余の時間すら、多くは嫉妬・羨望・比較・競争などなどというが如き、世俗的な人間関係の中に巻き込まれ呪縛せられて、ともすれば埋没し果てようとしつつある人間に、如何にして無限絶大なる全一的大宇宙生命の把握が可能であろうか。

 

先に天文学・微生物学などの片鱗を垣間見て、幾多の驚嘆すべき自然界の驚異を発見したのも、実は我われ人間の「意識」作用に他ならぬわけである。

 

かかる無限の世界に対し、その探究探知の蝕手ともいうべき天体望遠鏡、ないし電子顕微鏡を発見し創作したのは、人間に具有し、否賦与されている「意識作用」に他ならぬわけで、これほどの霊妙不可思議は他には絶無といってよい。

 

かくして、かかる意識作用の霊妙不可思議性に目覚めることこそ、人間が大宇宙生命の絶対的な神秘に目覚める最端的というべきであろうか。かくして意識こそは、人間にとって、その最本質的中枢的なものと言わねばならない。

 

しかしながら、人間の意識作用がいかに霊妙不可思議だとしても、大客観界の霊妙さのすべてを知悉することの許されないことを知らねばならぬ。即ち「存在」の極限を知悉し尽くすことは不可能としなければなるまい。

「全一学」提唱の「創造の形而上学」

 

10月7日(火)長崎くんち〜9日。

 

晩年の大作、「全一学」提唱の「創造の形而上学」から抜粋します。極めて難解な内容と思いますが、「日本人独自の哲学とは何か」を考える手がかりとしてご覧いただければ幸いです。本日は第2章「人間における絶対の把握」の2回目で、時間と空間がテーマです。

 

このように無限絶大なる大宇宙生命は、我われ人間にとっては極大にして極少、その大涯際なく、その小もまた極微微塵なことは、望遠鏡ないし顕微鏡をのぞけば、その極微の一端ないし片鱗を伺いうるわけである。

 

そこには極大極少の絶対の根底として、時間と空間の予想せれていることを忘れてはなるまい。何となれば、極遠何百億光年の天体が見えるといっても、そこにはすでに時間を予想し、否、単に時間概念のみではなく、むしろ空間概念のほうがより優先的に先在しているといえるであろう。

 

かくして、大宇宙の無限性そのものを思惟するに当たっても、必然に時・空の両概念を予想せざるを得ないわけである。しかもこの時間と空間という両概念は、同一ないし同質でないのみか、まさに正逆の異質的概念であることを知らねばなるまい。

 

即ち、空間は無辺にして無涯の広袤(こうぼう)として、展開されており万象はもとより人間自体もまた、その中に包有せられているわけである。人間にとって可視的なる万象は、すべてこの無辺の空間裡に包有されているのであって、かの「膨張する宇宙」などといっても、畢竟するにこれら空間裡の一巨大事象というに他ならぬわけである。

 

ではこれに対して「時間」とは如何なるものであろうか。時間における第一の制約は、それが過・現・未という三様態を持っているという点であり、そのうち真に根本中枢を為しているのは「現在」である。

 

過去とは現在を基点として、一瞬以前には現在たりしものの推移した射影ないし投影というべく、これに反して、未来とは刻々時々に現在の「今」に流れ入る無限の可能的領域に属する“いのち”の大流といってよいであろう。

 

「全一学」提唱の「創造の形而上学」

 

10月6日(月)十五夜。中秋の名月。

 

晩年の大作「創造の形而上学」から抜粋します。極めて難解な内容と思いますが、「日本人独自の哲学とは何か」を解明する手がかりとしてご覧いただければ幸いです。本日から1章「全一者――その把握と方法」の第2節「人間における絶対の把握」へ入ります。

 

1.全一者――その把握と方法

(2)人間における絶対の把握

 

古来、哲学的要求と呼ばれてきたものは、総じて絶対者への希求といってよいであろう。さらに厳密には、「形而上学への希求」といってもよかろう。この小なる身・心をもつ人間の分際を以って、絶大無限極まりなきこの大宇宙生命の真趣を、たとえその一端なりとも把握しようとの希求は、これほど身のほど知らぬ野望はないともいえよう。

 

それというのも、もし天文学の一頁でも開いたならば、そこに何百億光年という、頭の中で考えてみるだけでも、全く気の遠くなりそうな極遠の距離にある無量多の天体もて、この無辺際なる大宇宙は充たされていることを知らしめられるが故である。

 

しかもこの大宇宙たるや、ひとりそれのみに尽きるとはいえず、全く際限なしとしなければならない。・・・大宇宙はどこまでも無限絶大であって、膨張もしなければ縮小もせず、唯々永劫無窮にわたって無限絶大なのである。即ちそこには、有限知たる自然科学知による実証を厳しく拒斥し、徹底的に撥無するものたることを知らねばなるまい。

 

眼を転じて顕微鏡下を覗けば、肉眼をもってしては、到底その存在すら知り得ない極微の微生物の無量存在を知るであろう。それらを以って、この大宇宙の極微を尽くし得たなどとは、夢想だも許されぬことを知らねばなるまい。

 

即ち人間は、人知の限界が何処にあるかすら知り得ない徹底的有限存在なのである。けだし自らの限界を知るとは、それ自身可能的にはすでに限界を越える謂いで、しかも人知の有限性の限界は、つねに転変しつつ瞬時に留まることなしというのがその本質だからである。

 

かくして人知の根本性格は、これを一言にすれば、遂に有限相対の制約を免れ得ぬという他ないであろう。

「民をいたわること、わが体の傷のごとくせよ」

 

10月4日(土)

 

内村鑑三(1861年〜1930年)により1908年(明治41年)に刊行された英文著「Representative Men of Japan」の鈴木範久よる翻訳「代表的日本人」から、新日本の創設者としての西郷隆盛、封建領主の上杉鷹山、農民聖者の二宮尊徳、村の先生の中江藤樹、仏僧の日蓮上人の5名を紹介します。今回は上杉鷹山の1回目です。

 

言行の不一致、賞罰の不正、不実と無礼を犯さぬ

 

「学問」のいまだ西洋から伝わる前、すでにこの国には、平和の道を知り、独自の「人の道」が実践され、そのために「死を覚悟した勇士」がいたのです。鷹山が米沢藩の世継ぎとなったとき、まだ17歳の少年でありました。

 

九州の小大名である秋月家に生まれた鷹山は、「もの静かで、利発で、孝心厚い性格」として、自分の家より格が高く所領も大きな上杉藩の養子に推挙されたのです。鷹山にすれば有難迷惑、全国にもまれなほど重い責任を負わされる運命に出会ったからです。

 

鷹山の師細井平洲は、名もない身分から責任ある地位に抜擢された、学者であり高潔の士でありました。鷹山はその師に対し、ひたすら従順でありました。その師が繰り返し好んで聞かせた、ひとりの忠順な生徒の話があります。

 

「大藩紀州の藩主徳川頼宣は、言いつけを聞かなかったために、師から膝をきつくつねられた。その時できた膝のあざを、そっと眺めるのが常であった。『これは尊師が残した警告である。これを見るたびに、自分を省みて自己と民とに誠実であるかと問う戒めとしている。しかし残念ながら、あざは年を取るごとに色うすれ、それにしたがい私の慎みも薄れている』。

英邁な藩主は、何度もこのように述べたといわれる」。

 

年若い鷹山は、この話を聞かされるたびに涙を流した、まことに珍しい感性の持ち主でありました。中国の聖賢の、「民をいたわること、わが体の傷のごとくせよ」との言葉は鷹山の心の奥深くにまで強い印象を与えたようで、終生を通じて民をみる心がけとしました。

 

藩主になる日のこと、次の聖文を一生の守護神である春日明神に献げました。

1.文武の修練は定めにしたがい怠りなく励むこと。

2.民の父母となるを第一のつとめとすること。

3.次の言葉を日夜忘れぬこと。

「贅沢なければ危険なし 施して浪費するなかれ」

4.言行の不一致、賞罰の不正、不実と無礼を犯さぬようつとめること。

 

これを今後堅く守ることを約束する。もし怠るときには、ただちに神罰を下し、家運を永代にわたり消失されんことを。

 

財政改革から行政改革へ

 

上杉藩は太閤以前にあっては、全国でもっとも強大な藩でした。太閤の手で会津の地に移されて勢力をそがれ、関ヶ原の戦いでは反徳川方にまわったため、今度は三十万石に減封されて米沢の地に。その後石高はさらに半分に減らされました。

 

鷹山が藩主になったとき十五万石の大名でありながら、昔の百万石の家臣を抱え、当時の慣習やしきたりを踏襲していたのです。したがって負債は何百万両にのぼり、住民は土地を追われ、貧困が全領を覆い、藩の崩壊と住民の破産は必至とみられていました。

 

鷹山の変革はみずからの倹約から。家計の支出を千五十両から二百九両へ。奥向きの女中は五十人から九人へ。着物は木綿、食事は一汁一菜。家来たちも同じく倹約しなければなりません。財政改革から行政改革は「能力に応じた人の配置」の人材登用です。

 

人間を三つの異なる地位に分け、民の上に配します。第一の役は郷村頭取と郡奉行。行政一般をになう総監督で、その心は「民には母のように接しなければ」。第二の役は巡回説教師のような役で、生活慣習や儀式を教えます。第三は警察の役で、その心は「地蔵の慈悲をもち、不動の正義を忘れるな」。

 

このような民の統制制度を作り上げる若き藩主は、人間性についてよほど深い洞察力をもったに違いありません。この新体制は五年間妨害なく実施され、絶望視された社会にも、回復の希望がよみがえりますが、そこへ「保守派7人の重臣による改革反対」です。

 

「民の声は神の声」、藩主は自分の評価を民に託します。ただちに家臣全員を総会に召集して意見を聴き、自分の政治が天意にかなっているかどうかを尋ねます。結果は改革反対の5人の重臣は無期閉門へ。首謀者の2人は自決となります。若き藩主は厚い信仰心と豊かな感性を有するにもかかわらず、真の英雄でありました。

 

 

晩年の大作「創造の形而上学」

 

10月3日(金)

 

晩年の大作「創造の形而上学」から抜粋します。極めて難解な内容かと思いますが、「日本人独自の哲学とは何か」を考える手がかりとしてご覧いただければ幸いです。本日は「哲学と全一学」の相違の最終回で、21世紀に日本民族の果たすべき役割の大きいことを指摘しています。

 

哲学・全一学という二種の名称の、いずれか一方のみに執する時、絶対の“いのち”の把握様式としては不可能であり、今後これら東西の哲学概念の無限交錯の間に、“いのち”の動的統一を希求しつつ歩むべきではないかと考えられるのである。

 

何となれば、真の“いのち”は絶対に凝固と固形化を許さないが、それには常に異質媒介の要を忘れぬことが肝要だからである。

 

この書の冒頭において、かつて何人にも寸毫の疑念すら抱かれたことのない、西洋古来の「哲学」という名辞についてあえて之を取り上げ、それに対して、いわば新たなる対概念ともいうべき東洋的な「全一学」という新たなる名辞を提起し、来る二十一世紀の哲学思想は、いわばこれら両者の交互交錯的な無限進展によって開かれるべき旨を提示してみた次第である。

 

それは単に外側から東西両洋の哲学思想の比較研究の要をいうのではなく、ひとえに大宇宙生命の端的なる直下(じきか)の把握、即ちその体解自証の営為において、ギリシャに端を発する西洋の「哲学」概念に惰性的に囚われることなく、つねに絶対生命の自内証裡に映現する、“いのち”の円相完態の一面を忘れぬことを力説しようとするゆえんである。

 

即ち絶大無限なる大宇宙生命は、無限の進展展開と共に、それに即して、つねに刻々時々に完結し、歩々円成しつつ、そこに完態の円成の相を示現していることを忘れぬ要のあるを言うわけである。

 

また実にかくあってこそ、人類が今日まで成就してきた東西文明が、今や互いに歩み寄り、人類文化そのものの一大円相の実現が開始されるべき、二十一世紀ヘの序曲となると考えるのである。同時にこのように考えるとき、日本民族の任務がいかに重大であるかは、改めていうを要しないかと思われる。

 

晩年の大作「創造の形而上学」

 

10月2日(木)

 

晩年の大作「創造の形而上学」から抜粋します。極めて難解な内容かと思いますが、「日本人独自の哲学とは何か」を考える手がかりとしてご覧いただければ幸いです。本日も「哲学と全一学」の相違についての解説が続きます。

 

かくして、西洋の自然科学が、自らの相対性を忘れて自己を絶対化せんとし、今やその破局的限界――原爆・公害など――に達しつつあるとき、我われ自身の哲学的希求の態度も、従来のごとき、単に西欧哲学風の知の無限追求の一面のみに執することなく、歩々完結、即今安立という他の一面を具するものでなくてはなるまい。

 

即ち古来人類が東西に岐れて辿りきた思想の歩みを、その分化以前の源頭にさかのぼって彼此を相照相映せしめつつ、そこに実在的生命の如々の実相に迫らねばなるまいと思うのである。尤もこのように言えば、人によってはこれを単に東西両洋の比較思想史的考察の要を説くかに、誤り解する向きも無いではあるまい。

 

しかし今ここで力説しようとしているのはそうではなく、先にも一言してように、一路端的に自らの“いのち”の奥底を徹踏し抜いて、そこに自らの“いのち”の絶対的真源に承当し、それをおのがじし、その力量において自証し展開することへの希求に他ならない。

 

同時にそのとき人は必ずやそこに、生命の両相ともいうべき動・静の二面の相即不離なる趣にも承当するであろう。否、かく言うだけでは、実は未だ絶対無限の生命の真趣を、真に把握したものとは言い難いであろう。何となれば、真の絶対無限の生命には、本来動・静の二面の如きものすらあり得ないこと知らねばなるまい。

 

即ち動・静の二面があると思うのは、実は有限存在たる人間の分別知が、かく差別し分類して把握するのであって、真に絶対無限なる生命自体は、元来動・静の別という境を超絶せることを知らねばなるまい。

 

それ故もし強いて言うとすれば、動・静不二、ないしは動静一如とでもいう他なきを知るべきである。これ絶対生命の全相・完態の真趣というべきだからである。・・・まことに煮ても焼いても喰えぬ代物とは、実に他ならぬ人間であり、その知性たる分別知だということを忘れては、蝉の抜け殻となり了るわけである。

「全一学」提唱の「創造の形而上学」

 

10月1日(水)衣替え。日本酒の日。

 

森信三先生の晩年の大作「創造の形而上学」から抜粋しています。極めて難解な内容かと思いますが、「日本人独自の哲学とは何か」を考える手がかりとしてご理解いただければ幸いです。今月も「創造の形而上学」を続けます。本日は「哲学と全一学」の相違です。

 

かくして、形質共に絶大無限なる生命の起源は、根本的には絶対に許されない不可能事という他なく、もしそこに一脈の幽光をたどり得るとしたら、その途こそ実に、如上自らの“いのち”の奥底において触接しつつある絶対無限なる大生命に真趣の自証、即ちそれを自己の内面において自証する他ないわけである。

 

随って、絶対的全一的生命の形質共なる把握の許されない人間にとって許される道は、いわば質的把握という他なく、随ってそれは、絶対生命裡への映現というべく、これ先に一脈の幽光として象徴したゆえんである。

 

まことに大生命と個的な有限生命とが直接する真の趣は、文字通り機微という他なく、随って論理のメスを当ててこれを分析せんとする時、“いのち”そのものは一瞬にして消滅することを知らねばなるまい。

 

いわゆる西欧哲学の長とすべき点は、飽くなきその無限追求の歩みにあるというべく、同時にその短とすべきは、大宇宙生命は文字通り絶大無限ではあるが、しかもそれが――大宇宙そのものには、絶対に二、三無きが故に――

 

一個の絶大無限の統一体として、絶大ではあるが理としては、否、事においても、如是の完態を呈している趣を把握しているのは、古代にあってはプロチノス、また近世においてはスピノザを措いては、他に見い出だし難い点にあるといえよう。それは彼ら西洋人種が、無限の進歩を仮定する自然科学を創生したその特色に基づくともいえるであろうか。

 

これに対して、古来東洋の天地にあっては、儒・仏、特に仏教は、大宇宙の全一生命を把握するにあたり、その全一性に肉迫しえ、一挙直ちにその全一的完態において把握してきた長があるともいえるであろうか。が同時に、反面そこには、現実の相対性無視の弊なしとしない憾(うら)みがある。随ってその把握し得たとする全一生命の完態も、ややもすれば、観念的となって現実性を欠き、それより遊離する恐れなしとしないのである。

晩年の「創造の形而上学」

 

9月30日(火)

 

晩年の大作「創造の形而上学」から抜粋します。本日は「哲学と全一学」の相違について、「全一学」が希求するのは、大宇宙の絶対的生命の自証(自ら明らかにする)としています。

 

有限存在たる人間の絶対存在に対する希求は、たしかに一面終わる期(とき)なく無限追求であるが、いやしくも思索者にして、たとえ絶対的生命の一端にもせよ把握し体認したとしたら、その自証の表現は必然に一個の円相を描いて、一完態を呈すべきはずである。何となれば、全宇宙生命は無限絶大ではあるが、同時に絶大無限なる完態という他ないからである。

 

今この趣を、比較的多くの人々に領解しやすいように、一個の表象的事例を以ってすれば、無限絶大なる全一的宇宙生命を、かりに今揚子江三千里の源にあって、訪う人もない湖の湖面に映る月影に比するとすれば、有限存在たる個々人の自証裡に映現する大宇宙生命は、いわば葉末の露に宿る月影のそれの如くだと言えるであろう。

 

同様に、人間の自証裡に映現する全一的生命は、その質的全一性においては、寸毫の差もなきことを認めざるを得ない。それ故、もしそれが万一認められないとしたら、その時有限存在たる人間には、大宇宙生命の把握など、絶対に不可能としなければならぬであろう。

 

否、そればかりではない。その時人間には、宗教的信そのものすら不可能という他ないであろう。だが、「鰯の頭も信心から」と言われるように、人類の宗教的信には無量の浅深の差がるにもせよ、いやしくもその生命が宗教的信の一端に与かりえたとしたら、その人の魂は一応の安立を得るはずである。

 

それは、前掲の大湖の水面に映る月影も、葉末に宿る月影も、それが月影たる点においては、そこには何ら質的相違はないという事もまた同じく領会(りょうえ)せられるであろう。以上は畢竟するに、絶対無限なる全一生命に対する、人間存在の把握においては免れ得ない、一種の根本制約というべきであろう。

 

人間自体が、この無限絶大なる大宇宙の間において、微々いうに足りない極微存在であるが故に、自らの生命の絶対根源たる大宇宙の全一生命の把握に際しては、形質共なる全的把握は絶対に不可能という他なく、人間に許されるのは、自らの“いのち”がその根底において絶大無限なる“いのち”と直接している趣を、自内証する以外にその途はないわけである。

晩年の「創造の形而上学」

 

9月29日(月)

 

晩年の大作「創造の形而上学」から抜粋します。本日は「哲学と全一学」の相違についてであります。「全一学」が希求するのは、「大宇宙の絶対的生命の自証」だとしています。

 

だがこの際注意を要する点は、宗教的欲求も哲学的要求も、根本的には共にこの有限存在たる我われ人間が、自己の絶対的根底たる大宇宙生命に触れて、その真趣の一端にあずかり、これを体認しようとする点では、その根底においては深く相通じるもののある事を、まず以って虚心に認め合う要があるであろう。

 

このようにいえば、人によってはキリスト教における神学、また仏教における各宗派の宗学は、そのような哲学との接触線上に成立する学として、如上の希求を充たしつつあると考える人もあるであろう。もちろんそれが分からぬわけではない。

 

しかし神学ないしは宗教と呼ばれるものにあっては、そこに如何に宗教的体験の論理化が為されようとも、その根底にはそれぞれの宗派に特有の教義の“わく”がはめられていて、それを超えることは許されず、随ってそこでは、哲学は結局、神学ないし宗学に仕える役割を演じるに過ぎない。

 

かくして最初に掲げたように、大宇宙の絶対的生命を自証する「全一学」への希求を抱かざるを得ないゆえんである。もちろんそれを哲学と呼ぶことに対しては何ら異存はないが、東洋人の一員としては、それはまた「全一学」と呼ばれることを妨げず、否そのほうが大宇宙生命の絶対自証の学たることを、より端的に表示しうるかとも考えるのである。

 

少なくとも従来の「哲学」の名によって呼ばれてきたものと、ここでわたくしが「全一学」という名称によって意味しようとしているものとは、根本的に相即不二一体的なものだということへの領会が、さしあたり先ず希求せられるわけである。

 

では、なぜこのようなことを言うかというに、先にも一言したように、「哲学」という語はギリシャ語のフィロソフィアにその端を発し、知の無限追求にその根本特色があるというべきだからである。

 

 

西郷隆盛――新日本の創設者③

 

9月27日(土)

 

内村鑑三(1861年〜1930年)により1908年(明治41年)に刊行された英文著作「Representative Men of Japan」の鈴木範久よる翻訳「代表的日本人」から、新日本の創設者としての西郷隆盛、封建領主の上杉鷹山、農民聖者の二宮尊徳、村の先生の中江藤樹、仏僧の日蓮上人の5名を紹介します。今回は西郷隆盛の3回目です。

 

西郷の生活と人生観について

 

西郷ほど生活上の欲望のなかった人は、他にいないように思われます。陸軍大将、閣僚のなかでも最有力者でありながら、外見はごく普通の兵士と変わらず。月収が数百円であったころ、必要とする分は15円で足り、残りは困っている友人などに与えられました。

 

普段着は薩摩がすりで、足には大きな下駄を履くだけ。この身なりで宮中の晩餐会であれ、どこへでも現れました。食べ物は自分の前に出されたものなら何でも。身の回りから財産にも無関心でした。東京一の繁華街に立派な土地を所有していたことがあります。

 

それを設立されたばかりの国立銀行に売却。価格を聞かれても語ろうとはしませんでした。

その土地は数十万ドルの値打ちがあるとされます。西郷の年金収入の大部分は、鹿児島で始めた学校の維持のために用いられました。西郷の作った次の漢詩があります。

 

我が家の法、人知るや否や

児孫のために、美田を買わず

 

西郷にはひとつ、犬の趣味がありました。犬は生涯の友でありました。淋しがりやの西郷は、口の利けないない動物たちと淋しさを分かち合っていたのです。西郷の生活は地味で簡素でありましたが、その思想は聖者か哲学者の思想でした。

 

「敬天愛人」が人生観を要約しています。まさに知の最高極致であり、反対の無知は自己愛であります。「天」は全能であり、不変であり、極めて慈悲深い存在。「天」の法はだれもが守るべき、堅固にして極めて恵み豊かなものです。

 

天下に「正義」ほど大事なものはない

 

「天はあらゆる人を同一に愛する。ゆえに我々も自分を愛するように人を愛さなければならない。」西郷のこの言葉は「律法」と予言者の思想の集約であります。天には真心をこめて接しなければ、その道について知ることはできません。

 

西郷は人間の知恵を嫌い、すべての知恵は、人の心と志の誠によって得られるとみました。「人の成功は自分に克つにあり、失敗は自己を愛するにある。・・・成功が見えると、慎みが消え、楽を望み、仕事を厭うから失敗するのである」。

 

完全なる自己否定が西郷の勇気の秘密であったことは、次の注目すべき言葉から明らかです。

「命も要らず、名も要らず、位も要らず、金も要らず、という人こそ最も扱いにくい人である。だが、このような人こそ、人生の困難を共にすることのできる人物である。またこのような人こそ、国家に偉大な貢献ができる人物である。」

 

有能な人物を高く評価。「どんなに方法や制度を論じようと、それを動かす人がいなければ。まず人物、次が手段のはたらき。人物こそ第一の宝であり、我われはみな人物になるよう心がけなくてはならない」。

 

「敬天」の人は「正義」を敬し、それを実行する人にならざるをえない。「正義のひろく行われること」が西郷の文明の定義でありました。西郷にとり「正義」ほど天下に大事なものはありません。

 

「正義を歩み、正義のためなら国家と共に倒れる精神がなければ、外国と満足できる交際は期待できない。その強大を恐れ、和平を乞い、みじめにもその意に従うならば、ただちに外国の侮辱を招く。・・・最後は外国につかえることになる。」

 

西郷は一冊の著書も遺していません。しかし、数多くの詩と若干の文章を遺しました。その詩文をとおして、その内心を伺うことができ、それがあらゆる行動と一致していることがわかります。用いる言葉と比喩は、できるだけ簡素なものです。

 

私には千糸の髪がある 墨よりも黒い

私には一片の心がある 雪よりも白い

髪は断ち切ることができても

心は断ち切ることができない