【お札の家跡向かいの尾根に謎の土塀】
2022年初頭まで「岡山県最恐の心霊スポット」と呼ばれた所があった。「由加山お札の家」(岡山県倉敷市児島由加)だ。ネットでは、かつて外壁や家の中一面にお札が貼られていて、一家心中しただとか、当主が家族を惨殺した後、自殺しただとか言われているが、その真相を確かめるため、先週、「蓋スレ」現場を訪れた後、現地へ向かった。
「由加山」とは岡山県有数の神社、由加神社周辺の通称地名ということもあり、お札の家へ行く前、神社の社務所でお札の家について尋ねてみた。すると一家心中だとか、一家惨殺のような謂われは元々なく、最近、ネットで言われ出した、ということだった。
但し、今回のケースも以前検証した「いもんた」同様、ガセ心霊スポットにも拘わらず、心霊体験をした者がかなりの数に上っている。
社務所の口ぶりでの「最近」とは、’00年代以降のことだろう。つまり、ネット社会になってから、ということ。ではなぜ、このような謂われが言われ始めたかというと、原因は三つある。
一つは「お札の家」の本家、広島県福山市にある同家との混同、もう一つは実話形式の創作ネット怪談「師匠」シリーズの影響、最後は「由加山お札の家」の蔵の二階にあった不気味な三つのあるモノの存在。
師匠シリーズでは福山市の本家について、ダミーの家があり、そこから奥に行った所に本当のお札の家がある、ということで、ネットでも前述のような謂われが囁き始められるようになった。
そんな折、廃墟マニアが壁や柱にお札が貼られた「由加山お札の家」を発見し、ネットで「お札の家」と呼んだことから、混同されるようになった。
「由加山お札の家」の主屋は階段がなくなっているため、二階へは上がれなかったが、蔵の方は二階へ上がれた。そこには三個の長持ちのような木製の大型衣装ケースか、布団ケースのようなものが置かれていたのだが、両端の二個は同じ大きさで大きく、真ん中の物は小さかった。
蓋を開けるとそれぞれ、布団が入っていた。そして内部の側面には経文のような文字が綴られていた。それを見た廃墟マニアは、「まるで親子三人の棺桶みたいだ」と思い、ネットに公開した。それに前述の混同した謂われが加わり、やがて岡山県一の心霊スポットとみなされるようになっていった。
実際、夜訪れた際、白い影を見たとか、蔵の二階へ上がろうとすると「入るな」と言う声が耳元でしたとか、様々な心霊体験をする者が出てきて、著名なテレビ番組出演経験もある霊能者が遠隔霊視すると、鬼の顔が見えたこともあった。因みに、家の中には子供が画用紙に描いた絵が何枚も残されていたが、その中に鬼の絵もあった。
が、何年か前(10年以上前か)、岡山のタウン誌的ポータルサイトでこの廃墟を取り上げた際、お札の家の所有者兼、地権者から抗議があり、そのような忌まわしい出来事は一切なく、建物は以前、「本部」として使用していたもの、ということだった。
その地権者とは、琴浦北小学校の西方にある宗教法人:由加天地教会の代表者M氏だった。M氏は昭和53年6月20日、由加山お札の家の家屋と土地を親から相続・登記していた。
現在の教会本部横には崇める天地大神を奉る神社(信者以外の参拝不可)も建立している。駐車場を二ヶ所に整備している位だから、お札の家の地では手狭になり、現在地に本部を移したものと思われる。一部ではM氏夫妻の子が就職か進学で市外へ出るまで、旧地で暮らしていたとも言われている。
新興宗教は教団によって、信仰の手法は様々だから、屋内外にお札を貼ることにより、神の加護を得ようとしたのかも知れない。
とは言え、兵庫県の「山の牧場」ほど、お札を貼り詰めるようなことはなかっただろう。あの貼り方は異常。山の牧場が天地教会の支部だった、ということはないだろう。
ガセ心霊スポットなのになぜ、心霊現象が起こるのか、ということについては「いもんた」の記事でも説明したが、今回は神社ではなく、新興宗教団体本部を兼ねた民家だから、やや理由も異なる。
由加山お札の家は昔からの由加神社参詣道沿いにある。家跡の側にある「七丁」という丁石は、神社までの距離を示したもの。廃墟だった頃、家の中には昔の文字で書かれた書簡もあったことから、お札の家は明治以前からこの地にあったことが想像される。
つまり、M家の先祖は代々、この家で生まれ、死んでいった。霊界には時間と空間の概念はないから、M家先祖の魂は、廃墟になろうが、更地になろうが、この地に留まっている、と言える。
そこに見ず知らずの者が土足で上がってきたなら、どう思うだろうか。霊たちは怒り、「入るな!」と威嚇するだろう。だから廃墟マニアや心霊スポッターの中には、ここを訪れると急に体調が悪くなる者もいる。
現在、跡地は更地になっているが、屋地の北端には比較的新しい地蔵が置かれている。地権者が教会本部跡の名残りに安置したのだろうか。
更地の道路を挟んだ向かいには、錆びて屋根がなくなった祠があるが、その付近から斜面の上方を仰ぎ見ると、崩れかけの土塀が見える。
由加神社でこのことについて尋ねると、神社の御旅所のもの、ということだったが、地形図を見ると神社マークはその地よりも北方に記載されている。そこで急斜面を這い上がってみると、尾根に沿って二基の瓦付きの土塀があった。お札の家にあった土塀とほぼ同じもの。
てっきり、ここから御旅所跡に向けて小径が下っているものと思っていたが、下方は段差のある窪地となっていて、道の痕跡はない。逆の南方も急勾配で、こちらも道跡の痕跡はない。周囲を見ても建物が建つような平地はない。一体、この土塀は誰が何のために作ったものなのだろうか。
心霊スポッターは、更地なら訪れても意味はない、と思うかも知れないので、比較的新しい心霊スポットを紹介したい。それは2009年にあった首吊り自殺現場。
由加神社第一駐車場から県道62号を数百メートル西に行った所にある三差路を南に折れた奥の、由加山蓮台寺霊園事務所(無人)裏にあるトイレが現場。男子トイレの外壁上にある梁にロープを掛けて首を吊ったという。男性か女性かは不明。
通常、心霊スポットとして認知されるには大体20~30年以上かかるから、今後みなさんの「頑張り」次第でこのトイレも認知されるようになるだろう。
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