13時ちょうどに待ち合わせ場所に着いた僕は辺りを見回したがあやの姿はない。
「自分が遅れるのかよ…」とつぶやきながら僕はポケットからたばことライターを取り出した。
最近は分煙化が進んでいてどこでもたばこが吸えるわけではない。
ちょうど待ち合わせの場所には

ゴミ箱の上に灰皿が付いている黒い四角柱のものがいくつかあった。


あやにたばこ減らしなさいよ、と言われてタール8mgのものから5mgのものに変えた。
僕は他人に言われた事に影響されるような人間ではなかった。
そう選挙の話のように、どちらかというと言われたことに反発するあまのじゃくなのだから。
しかしながらあやの言葉には僕は聞き分けよかった。
あやに従うというわけではない。
あやの言葉は僕にとっては未知のチカラがあった。
しかしたばこの事にしてもあやが僕の健康を気遣ってくれて言ってくれているから
という理由で従ったのではなかった。
自分の中でもたばこをもう少し減らさないといけないなという気持ちがあったのも確かだが、
あやが僕の背中を押した事には変わりないが、
いつもの僕なら反発してたばこをもっと吸うようになっていたはずだ。

たばこに火をつけた。
あやは遠くから見つけてもらえると嬉しい、ということを思い出して、
たばこを吸いながらあやを探した。
一分程経ったとき、20メートルほど先にあやの姿を見つけた。
二週間振りに会うあやはあまり変わりはなく、いつもどおりかわいかった。
あのとき大学の教室で僕が振り返ったときに見たあやの姿・顔は、
それ以来僕のタイプとなっていた。

たばこを灰皿に放り込み、あやのほうへ早歩きで近寄った僕に
僕の方へ駆け寄るあやが抱きついてきたのは待ち合わせの13時を5分ほど過ぎた時だった。
「あや、遅刻だぞ!」僕は少し怒ったフリをする。
「ウソ?!」
あやは自分の時計を見ないで僕の左腕を取って僕の時計を見た。
「あちゃぁーゴメンね?!久しぶりに会うからそこのトイレで髪の毛とかチェックしてたの♪」
少し上目遣いで少し真剣な顔つきをしてあやは話す。
僕はあやのこういうところに弱い。
「そっか、じゃあ許す!」
と僕はあっさり許してしまう。
まあ、もともと本当に怒っていたわけじゃないんだけど。
「やったぁ!」
あやは僕の手を取って「いこ!?」と引っ張る。

今日は映画を見に行くことになっていた。
人嫌いな僕はもちろん人ごみも嫌いだ。
しかし映画は好きである。
僕はたくさんの映画を見てきたし、一般人の中では映画を見た数はトップクラスだろう。
見た映画を記録する意味で映画の感想を書いたりしていた。
あやに僕の感想を話しても「難しくてわかんない…」と言う。
僕は映画のジャンルの選り好みはしない、どんな映画でも見る。
強いて言えばSFものはあまり好きではなかった。
一方、あやはラブストーリーやファンタジーや感動ものが好きだった。
映画館のある繁華街は何人もの人が行き交い、若者がところどころに座り込んでいる。
電光掲示板には33℃と表示されている。
つながれた僕とあやの手には汗をかいていたが、
僕らは気にすることもなく汗にも気付かなかった。
行き交う人はタンクトップ姿の若者が多く、ジャケットを手に持っているスーツ姿の人も居た。


映画館に着いて決められた座席に座った僕らは良い席に当たったことや
空調は効いているがまだ暑いことなんかをひそひそと話していた。
映画がはじまっても僕らの手はつながれたままだった。
時折、映画の最中に座り直したり顔を掻いたりするときにその手は離れたが
またすぐつながれた。
映画が終わって出演者の名前が流れていく頃、
気になった脇役の一人の俳優の名前を確認してからあやの顔を見た。
あやの方を見た、あやは涙ぐんでいた。
はドキッとしたが、すぐにあやの頭を撫でてやった。
たしかにちょっぴり切ないラブストーリーだったが、
僕はいつもどんな感想を書こうかという事ばかり考えて映画を見ている。


映画館を後にした僕らはファーストフード店に入り食べながら映画の話に耽っていた。
「最期、すごい切なかったね」とあや
「ちょっと『きみに読む物語』に似てるなー」
「そうなの?でもあの人すごいキレイー♪」
「あのオトコは最低だけどぉぉぉ…けんいちぃはあんなのになったらダメだよ?!」
僕らは普通の会話をしてファーストフード店を出た。
「また映画行こうねぇー☆」とあやは天真爛漫だ。
僕は映画というものをデートのダシに使う事を許せない。
映画のチケットや評判の映画のチカラを使って、デートに誘うのは卑怯だと感じる。
デートがしたいのか映画が見たいのかどちらなのかはっきりして欲しい。
しかしこの映画をダシにしてデートに誘う事をあやに使われた。
あやとはじめて大学の外で会うことになったのはあやが僕を映画に誘ったときだったのだ。
それなのに僕はあやから映画に誘われた時、二つ返事で「いいよ」と言ってしまった。
人嫌いで他人のことには干渉したがらない干渉されることも嫌う僕を、
自分の意志は決して曲げない僕を、あやという一人の女性はいとも簡単に破壊した。



■次へ■

彼女が席に着くまで何人かがきょろきょろ見ていたが、

周りからすれば彼女が友人を見つけて座ったというだけのことだろう。
彼女が僕の隣に座ってからは二人とも普通に講義を聴いていた。
講義はいつのまにかアイルランドの国旗の話は終わり、国名の話になっていた。


「アイルランドの正式国名は…」と言いながら教授は黒板に何かを書き始めた。
The Republic of Ireland


裸眼だがそんなに眼がいいとはいえない僕は広い教室の一番後ろに座ったことを後悔したが、
彼女が隣りに座って来たことを考えればここに座ってよかったと思った。
その彼女があやで恋人となった今では本当にあの日あの席に座って良かったと思う。


The Republic of Ireland なんかは黒板を見ないでも聞いただけで書けるから問題は無かった。
しかし次に教授は
「イギリスの正式名称は世界で一番長い国名です」といって、また黒板に書き始めた。
カッカッカッと黒板とチョークがぶつかる音が鳴っている。


これには眼をこらして黒板を見たが、いくらこらして見ても見えるものではない。
教授の言葉も聞き逃した僕は隣の彼女のノートを覗いた。
それに気付いた彼女は少しの方にノートをずらしてくれた。


The United Kingdom of Great Britain and Nothern Ireland
        
     イギリス正式名称 いちばんなが~い!?

と書いてあった。女の子らしいかわいい字だった。
僕はそれを書き写し軽く会釈をした。


いつもはノートなんて取るのは気分次第である、しかしこの日はきっちりノートを取った。
なぜだかはわからない。この時彼女を一目見ただけで恋をするような僕ではない。
しかし一目見ただけで何か彼女のことが気になっていたのは否定できない。
彼女と顔を合わせた時、

教室の後ろの窓から射す日が彼女の後光となり神秘的な演出をしたのかもしれない。
これが一目惚れというものなのか、一目惚れなどしたことのない僕には分からないことだったが、
人嫌いな僕が一目惚れなんかするわけないと否定する考えが押し寄せる。
しかし他人に興味のない僕が一目見て気になるようになったのは何かが起こっている証拠だった。

アイルランド考察の90分はそろそろ終わりを迎える頃だった。


そういえばこの子出席カードもらってないな…
出席カードは講義の初めに配られる、そして終わりに回収される。
僕は出席カードを余分に取る癖がある。その日も2・3枚取っていたのだ。
僕は出席カードを一枚取り出し、彼女の方へ机の上を滑らせて渡した。
彼女はそれに気付いて「あっ!」と声を小さく漏らして軽く会釈した。
まだ講義中だったので声を出すことはできないが
彼女はそういえば!という表情をして出席カードを受取り、
彼女の口は「ありがとう」と声にならない言葉と共に動いた。
彼女が受け取った出席カードに名前を書き始めた。
僕は彼女が書く名前を見た。

ノートを覗きこむのとは違って彼女には悟られないように眼だけを動かして。


そこにはさっきと同じかわいい字で【宮下 あや】と書いてあった。
宮下あや、かわいい名前だと思った。
人の名前を知りたいと思ったのも初めてだったし、このドキドキ
一目惚れとは絶対に違うと思う僕でも何かいつもと違うものだと認めた。


そしてアイルランド考察が終わり、ノートと筆記具をかばんにしまっていると
彼女が「あ、あのぉーありがとうございました。助かりました」
僕はドキドキを隠そうと、にっこり笑って「うん、いいよ」と言った、つもりだった。
にっこり笑えてたのかは分からない。女性と話すことに慣れていないわけではない。
しかし女性と話すことに慣れていないような男に見られなかったかが心配になった。
「しゅ、出席カードもありがとうございました」と言うのと同時に彼女のケイタイが着信した。
もちろん音は出ないがなにやら光っていて震えているのに僕は気付いた。
僕は「いいよ、いいよ」とまたにっこり笑った、はずだ。


彼女はそこで軽く会釈をして小走りで教室を出て行った。

その日は何かいい日だったなと思いながら帰路についた。
帰りの電車の中でもう会うことも無いかもしれないと思うと寂しくなった。
なぜ出席カードを渡すときに自分の名前や電話番号を書かなかったのだろうとか
名前以外にも学部や学年なんかも見なかったのだろうと後悔の念が生まれていた。



■次へ■


今日も暑い。9月というのにこの暑さはおかしい。温暖化が進んでいる証拠だろうか。
秋になっても冬になってもこの暑さが続くんじゃないかとさえ思ってしまう。
そういえばあやと出会ったのも真夏の暑い日だった。
大学生活も残りあと半年程かという4回生の夏がはじまった頃だった。
4回生になると普通に単位を取っていれば週に1日か2日しか大学に来ることはない。
僕の場合は残りの単位が少し多かったために週3日大学に通わなければならなかった。
単位を1・2回生で単位を取り損ねた要因は僕の人嫌い少しは関係あっただろう。
大学で友人が居なかったわけではない、多くはなかったが信頼しあえる友も居た。
そんな友人達は優秀で4回生になると大学で顔を合わすのは

金曜日の卒論演習の日だけとなっていた。


そうあれは木曜日の2限目のアイルランド考察の授業だった。
その授業は出席重視で出席しないと単位はもらえない。
出席カードに名前を書いて出す出席の取り方だったので、
他人に書いてもらっても大丈夫な授業だったのだが、

あいにくその授業で友人と呼べる人はいなかった。
その授業は1回生から4回生まで共通で受講生は混ざっているもので、

大教室には100人ほどだろうか、大人数が受講している。
その日もたくさんの人が受講していて椅子はほとんど埋まっていた。
講義がはじまって10分ほど経った頃だろうか、

教授がアイルランドの国旗の色について話していた。


「国旗は緑・白・橙の三色旗で、これは三均等を表しています」
「緑はカトリック、橙はプロテスタント、真ん中の白はPEACE平和を表しています。」
と話している時、

ガラガラと教室の後ろのドアが開いた。
その音に何人かは振り向いた。僕は振り向かなかった。
そのときに入ってきた人物は申し訳なさそうに

教室の後ろの通路を少しだけ身をかがめて空いてる席を探した。
しかし席はほぼ満席だった。


その人物が僕の座っている席の5メートル前に来た時、
僕は自分が1つ奥に詰めればその人物が僕の右隣に座れることに気付いた。
ほとんどの席が満席だといっても大半の受講生は

五人掛けの長机に間を1つ開けて3人が座っているのだ。
僕は五人掛けの机の右から二番目に座っていた、左端には他の受講生が座っている。
決して僕はやさしい人間ではない、

少なくても遅れてきたやつなんかに席を空けてあげるような人間ではない。
まあしかし他に席が空いているようには見えないし、

でもただでさえ暑いのに暑苦しいやつだったら嫌だなと思って振り返ってみた。


振り返ってその人物を見たのと同時に、

彼女は僕に席を1つずれてもらえば座れることに気付いた。
そして振り返った彼女は顔を合わせた。
彼女の表情からそこに座ってもいいですかという問いかけを瞬時に読み取った。
はいつのまにかうなずいていた。

彼女は僕のうなずきで全てを悟った。

そこに座ってもいいですかと言おうとしているのをが気付いてうなずいた事を悟ったのだ。
が振り返ってあやとはじめて顔を合わした時のあやの表情は今でも忘れない。
あやの顔がほんのり赤くなっていたのは振り返ったがタイプだったのか、

ただ遅れて教室に入ってきたことの恥ずかしさだったのかは分からない。



■次へ■


僕は基本的に人嫌いだ。人付き合いも嫌いだ。
しかし友達はちゃんと居るし、付き合いも悪いほうではない。
学生時代には学級代表なんかも任されるほど人気もあった。
客観的に見れば僕という人間は人に好かれるようだ。
しかしそんな経験が僕を人嫌いにしたのかもしれない。


携帯電話の着信音が鳴った。
あやからのメールだ。

【けんいちぃ~☆おはよう!起きた?今日13時待ち合わせだよ。】
【やっと会えるねーいつものとこでね♪遅れちゃダメよダーリン】

僕にはちゃんと
恋人もいる。
人嫌いでもちゃんと好きな女性ぐらいいるのだ。
それに僕はけっこうモテる…。でも浮気や二股なんかはしない。
人嫌いだからだろう、複数の女性と付き合うことに喜びや優越感を持つことはない。
あやは2つ年下の21歳で、付き合って一年になる。
今日はあやとのひさびさのデートだ。

【おはよう、あや。13時だねOK!遅れないよ、たぶん…】

ケイタイのメールを打つのは苦手だ。何より手がしんどい。
パソコンのキーボードで打つのとは訳が違う。
最近の若い女の子はみんなメールを打つのが早い、もちろんあやも早い。
すぐに返事が返ってくる。

【たぶんってなによぉぉ!?ヾ(。`Д´。)ノ早く会いたいナ☆】

女の子のメールは文面がかわいい、そして顔文字や記号なんかをうまく使う。
僕のメールは淡々としすぎ!とよくあやに怒られる。
でもそのクールさもかっこいいんだけどね!?と言ってくれる。
僕もあやのメールに初めの頃はごちゃごちゃしてるな、と思ったものだが
最近はかわいいメールだと思っているし、
それにあやのメールが淡々としていたら何か寂しいとすら思う。

■次へ■

 朝めざめると自分が人間であることを思い出す。
僕の寝起きの機嫌が良くない要因だ。自分が人間であることに嫌気がさす。
毎朝同じような心地で起床する。

今日目覚めたのは午前9時ごろで、窓からは細い光が部屋に射している。
窓からみる空には雲ひとつない。このうえないぐらいの晴天だ。
 雨は嫌いだ。何をする気にもならない。外に出る気もしない。
といっても今日のような晴天に喜ぶこともない。

もし天気予報で今日は雨ですと言ってたのならこの晴天ぶりに喜ぶだろう。

人は天気で感情は変わらない。
子供の遠足の日ぐらいだろう天気か雨かで感情が変わるのは。
しかし感情で天気が変わるのはなぜだろう。

心が重いと天気も重苦しくなることがある。
いや心が天気を変えているのではなく、天気が僕の心を予報しているようだ。
当たらない天気予報を見るより人の心を見たほうが当たりそうだ…。
天気予報は天気予想と名前を変えてほしいぐらいだ。


 両親は今日も元気だ。父親が入院していたことが嘘のようだ。
「健一!母さん出かけるからパンもゴハンもあるから自分で食べなさい」
50代の母親も元気で多趣味だ、今日もお茶の稽古に行くようだ。
「うん!今日はどこ行くの?お茶?」
母さんには感謝している。決して口には出さないが母さんは魅力的な人間だと思う。
少し天然でおもしろいし、元気いっぱいだし。
僕を23年間も育ててくれたし、今もまだ母さんには迷惑かけながら生活しているわけだし。
母さんは口には出さないが僕を自慢の息子だと思ってくれているようだ。
自慢できるような人間ではないのに…。

 朝食は食パンとコーヒーにした。テレビからは政治家が何やら喋っている。
父さんは物静かな人間だ。もちろん嫌いではない。普通に話もする。
僕は父さんに似ているんだろう、母さんが出かけた後のこの家は明るいとはいえない。
この矢田家の紅一点である母さんが居なければ静かで暗い家だっただろう。
父さんも僕のことを立派な息子だと思っているようだ。
子供の頃、体が弱かった父さんはこうして健康な息子を持って

大学も出してやれたことを誇りに思う。
というようなことを口数の少ない父さんが言ったことには僕も母さんも正直驚いた。
しかしそれを聞いてからも

毎朝起きるたびに僕は人間であることに嫌気がさすのは変わらなかった…。


朝食を食べている間、テレビでは政治家が綺麗事を喋り続けている。
「政治とは国民みなさんのためにするものなんです!」
「国のための政治ではなく国民のための政治なんです!」

「なぜなら国とは国民が形成するものなんですから!」
そんなことは分かってる、

だから国民のためにどんな政治をするのか喋れよと思いながらパンをかじった。
「健一は選挙いくんだろうな!?」父さんが言った。
そうか選挙が近いからこんなに熱く喋ってたのか。
「え?うん…たぶん…いつだっけ?」
「いつって…次の日曜日だろ」
政治家はみんな偽善者だ。
善者の【きぐるみ】を着た人間だ。
政治家が国を良くする時代は終わったのだ。
国を良くするには政治を変える前に政治家を変えなければならないんだ。


 そういや昨日も地元の友人から電話がかかってきた。
何年も連絡を取っていない友人が選挙の度に連絡してくる。
最近では電話がかかってきた時点で選挙のことだなと分かる。
「○○党をよろしく、誰々をよろしく」
「おう、わかった」
ただそれだけの電話、こいつらは僕の性格を知らないらしい。
あまのじゃくな僕は絶対その党・人物には投票しない。
こいつらの宣伝は逆効果になってるとも知らずによくもまぁ電話をかけてくるもんだ。
そして選挙のことで連絡してくる連中は僕の中で友人ではなくなってしまう。



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