父の納骨 | 大切な時間

大切な時間

『普通の事を出来ることが何よりの幸せ』そう思うことが出来たのは、病気になったからかも知れません。毎日の暮らしを大切に、家族に作る食事を中心に楽しみながら更新しています。たまに我が家の猫マサヒロも登場します。



こんにちは晴れこんばんはかな?
いいお天気の兵庫でした。

早いものでもう父が亡くなり丸3年が過ぎ、義父が亡くなり1年が過ぎました。今年も実家の玄関には父が亡くなった日満開だったハナミズキが綺麗に咲いたようです。

5月10日に母と妹3人で、父の納骨に出掛けて来ました。義父の墓はないので四十九日を過ぎすぐに納骨済ませたのですが、先に亡くなった父の喉仏だけは仏壇にずっと置いてあり、地元のお墓のあるお寺さんで施餓鬼や法要を行っているのですが、お寺に喉仏を納めたくないと、3回忌を過ぎても持っていかないので何度か話し合い漸く納める事にしました。

当日は日程を合わせて天王寺で待ち合わせ。
納骨はお昼からにして、まずは楽しく食事しました。人気のお店らしく、妹と早めに順番をとりに行ったので並ばず済み、美味しかったので大満足。


納骨が嫌で気分落ち込み気味の母も、娘たちと美味しいもの食べたら少しは元気になった様子でご機嫌でした。でも少し歩くと脚が痛くなるみたいなので、近くだけどタクシーでお寺まで移動車

お昼からでも手続きは50分待ちドクロ
妹と母と私だとわたしが1番足が元気なので、並んで順番待つことに。その後は清めお焼香に納骨と移動してまたお参り。お寺の床って滑るんですよねアセアセビクビクしながら階段降りて、転ばず良かったと思ってたら、後ろで転んでる妹いるしドクロ姉妹揃っておかしな病気だから困ったもんですアセアセ

本来なら知恩寺に納骨するようでしたが、母を見送る時、私達姉妹がそこまで行けるのか?、娘達に世話になる事になるのかもと、色んなことを考え近くのお寺に永代供養してもらう事にしました。墓閉めは母が家を離れる時までせず、これからも供養はお墓のあるお寺でしてもらうことに。最後は私達姉妹で墓閉め。どっちが長生きするかな?とも思いますが、母だけはどんな事があっても見送りたいですね。2人で頑張んないと。

我が家長男長女なので、だんじりさんの祖母からと我が家の法要がうちに連絡来るから、私が動けるうちになんとかしておかないと、娘達に迷惑かけてかけちゃまずいもんね。昔のどうした!こうした!は置いといて、難しく考えず近くで宗派問わず入れる、だんじり家も我が家も同じお寺に入れてもらうことにしました(ちなみにだんじり家は浄土真宗で我が家は浄土宗)。きっと娘達も、私達が亡くなった時どうすればいいのか困るだろうしね。手を合しにいけない遠い所より、年に数回でも手を合わせてくれる所の方が、ご先祖さんも喜んでくれると信じることにします。

時代も変わりつつあるから、どこかで変えていかないとあとの世代が困るもんね。近場できちんと管理してくれる所がいいと言う事で母を説得して、近くの天王寺のお寺にお預けることにしました。年に一度はみんな揃ってお参りに行くことで、顔を合わす機会も増えるし、墓閉めした時のお骨は樹木葬にでもする事にします。

人っていつ誰に何が起こるかわからない。
若い頃は感じなかった長男長女の責任も、親が歳を重ねて行くと、色んな手続きや責任が全て回ってくる。うちも上の娘にお世話になる事になると思うので、彼女には申し訳ないけど今から色んなことを伝えて、彼女の負担のないようにしないとと思います。


長ーくなりましたが、天王寺駅まで帰ってからは歩き疲れたので、妹オススメガレットのお店でお茶をして休憩。



その後は母の特急までの待ち時間、阿倍野近鉄で母の靴選び。友人オススメのメーカーさんが入っていたので母に勧めると、足のサイズに合わせて調整してくれ気に入った様子。母の日のプレゼントに妹が買うよと言ったけど、『かなりお高いメーカーなので半分もつよ』と言うも、妹が太っ腹に支払うことに。お高い靴はそれなりの効果があると思うから、少しでも足の負担が軽減されたらいいなぁ。


その後は特急くろしおに乗る母を2人で見送りましたが、いつも見送って貰うばかりで、電車に乗って1人で帰る母を見送るのは寂しく感じがしました。その後は何十年ぶり?環状線に乗り梅田に移動。2人でデパートに寄り甘いもの買って帰宅。今のタイサブリでないと、こんなに歩けないし倒れてるわアセアセ13000歩も歩いてました。疲れるはずだわ。


帰宅後、『いつまでも子は子!』と言って、2人に交通費と持たせてくれた封筒を開封すると、母からの手紙と現金と通帳が入っていました。手紙にはお父さんが家から居なくなるようで寂しくなるので、納骨が遅れたと書かれていました。遊びに来なくていい!寂しくないといつも言う母だけど、やはり1人は寂しのだと思うと涙が出ました。義母も1人で暮らして5年。今は住宅型の施設で楽しく元気に暮らしてくれていますが、同じように寂しい思いをしていたんでしょうね。


私たち夫婦は親と同居せず来たので、自分達も同じように過ごす事になります。みんな順番。子供は親のしてきた事を見て育つもんね。母は最後まで祖父母を同居して看取り、父も見送ったんだから私も出来る限りの事はしてあげたいので、次のお薬も体に合ってくれることを願いたい。


とりあえず、そろそろ苦手な季節がやって来るし薬も変わるから、それまでに平日にまとめて実家に帰る事にします。


親孝行は元気なうちに!ですね。



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