昭和の時代、呉なのになぜか銀座と名の付く銀座デパートが存在した
まあ山陽新幹線もまだ開通してない時代において花のお江戸の高級繫華街
銀座というのは地方に住む人々にとっては憧れの街だったという事だろう
てか、名前こそデパートではあるが今思えば百貨店的なデパートではなく
大型スーパーの量販店だと思いますけどね(笑)
24歳まで長浜という田舎町で過ごした僕だが幼少期に
母親に連れられて呉に買い物に出ると決まってサン劇隣の東和園で中華そばを食べて
銀座デパート、おもちゃのみどり屋、呉動物園ってのがコースだった
当時の呉には銀座デパートの他に、いずみ、ジャスコがあったが
なぜか幼少期の頃は銀座デパートにしか行った記憶がない
写真はたぶん小学校の3年生だった1972年(昭和47年)頃と推察されるが
銀座デパートの屋上にあったゴーカートと観覧車で遊んでる物だ
他に銀座デパートで覚えているのはエスカレーターは上りだけで下りは階段
エレベーターはなかったんじゃないかな?
階段の踊り場だったか屋上だったかに噴水式のオレンジジュース販売機があった
VANを扱う紳士服の「さだや」、高校1年の時にオープンした変形学生服の店「ブラック1」
フルーツパフェの食品サンプルが飾られていたレストラン
お化け屋敷が催された事もあったし、そう言えばフロアを貸し切って
ロックンロールパーティーを大先輩が催した事もあったな~
今や銀座デパート跡地はコインパーキングになってて寂しい限りですね~
ジャンジャン!!