PRAINSのブログ

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令和8年の今年は2026年という事で昭和で言うと101年に当たる年ですが

今年から丁度半世紀前と言ったら1976年(昭和51年)という事になる。

昭和51年という年は僕にとっては小学校を卒業し中学校に入学した年だった。

 

小学生の頃はテレビの歌番組で歌うアイドル歌手に夢中になってた少年だが中学生になると

劇場に洋画を観に行くようになったと同時に徐々に洋楽も聴くようになった。

以前の記事で触れたように当時女子にはベイ・シティ・ローラーズが人気があり

少年はオリビア・ニュートン・ジョンのファンだったがラジオの

深夜放送で流れる洋楽にも興味を持つようになったのだ。

 

調べてみると1976年はポール・マッカートニー&ウイングスの「Silly Love Songs」

エルトン・ジョンとキキ・ディーの「Don’t Go Breaking My Heart」

ビージーズの「You Should Be Dancing」、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディー」

辺りの曲がヒットしてるが少年の記憶に残ってる1976年の洋楽曲は以下の2曲だ。

 

 

カーペンターズが 1976年にリリースしたアルバム「見つめあう恋」に収録された

「青春の輝き(I Need to Be in Love)」は強く印象に残っている。

いつ、どんな形で同曲を初めて聴いたのかは覚えてないがカーペンターズは

今でも大好きだしベスト盤のCDを持ってるんで時々店のBGMで流したりもする。

 

当時は現代のように世界中の知りたいニュースが瞬時に手に入るような

時代じゃないし同年3月まで小学生だった少年はカーペンターズの事も詳しく

知る由はなかったのだが耳に残ってるという事は琴線に触れたんだと思う。

 

意外にも同曲は発売された当時はそこまで売れた曲ではなかったようですが

1985年(昭和60年)に野島伸司脚本のドラマ「未成年」の主題歌に

「Top Of The World」ED曲に同曲が使われた事から多くの人が

聴く事となり日本ではカーペンターズの代表曲の1つとなったそうだ。

 

う~ん、と、いう事はもしかしたら同曲をその頃初めて聴いたのかもしれないが

個人的に「未成年」というドラマを観た記憶もないしドラマの存在すら知らないし

中学生時代とカーペンターズは記憶がリンクするんで中学時代に聴いたと思うんですがね~。

 

同曲はタイトル名からも青春時代の淡い恋を歌った曲のようなイメージがあるが

実は子供の頃から音楽のショービジネス界で忙しく生きてきたカーペンターズ

兄妹自身が「恋もしたことない私は人間としてどうなんだろう?」という

自身の心の内面の迷いを告白している歌なんだそうですよ。

兄のリチャードによれば生前のカレンが最も気に入っていた曲だったそうです。

 

 

ABBAは1974年(昭和49年)にデビューしたスウェーデンのポップスグループだが

1976年にリリースされた「ダンシング・クイーン」は当時よく耳にした。

同曲は世界13か国で1位となり全世界で300万枚、日本では50万枚を売り上げたそうだ。

 

この頃の少年はまだディスコデビューを果たしてないし、もしかしたらまだ

ディスコという社交場の事もディスコミュージックというジャンルも

知らなかったかも知れないがアバを知ったのは中1の時の同曲だった。

 

それから2年後の中3の時に映画「サタデー・ナイト・フィーバー」が封切られ

ディスコブームが巻き起こり少年はディスコデビューを果たすのだが

当時ディスコでも「ダンシング・クイーン」を始めアバの曲はよく流れていた。

アバは70年代半ばから80年代にかけてのディスコブームに置いて

アラベスクやノーランズへと続くキャンディーポップス調の

ディスコミュージックの元祖と言ってもいいかも知れない。

 

当時一時代を築いたアバも1983年(昭和58年)に活動を停止し事実上の

解散に陥ったそうだが2018年に約35年ぶりに新曲2曲を収録し

2021年に40年ぶりとなるスタジオ・アルバムを世界同時リリースし

本格的に再始動することを宣言し2022年からはライブにも登場してるそうだ。

まあ4人とも現在80歳前後ですから単独ライブで往年のパフォーマンスを

長時間披露するのは難しいでしょうがね~(笑) ジャンジャン!!