昭和の冬支度 | PRAINSのブログ

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昭和の冬は今よりずっと寒かった

今の呉の冬は雪が積もる事なんて殆どないし氷柱を見る事も

池や水溜まりに氷が張ってる光景を目にする事もない

 

写真は僕と弟だが、たぶん1970年(昭和45年)頃で僕は小学校の1年生

場所は西日本豪雨で全壊した長浜の実家の裏山

今の呉では珍しい雪景色だが当時はひと冬に何度も雪が積もり

家や学校で雪ダルマも作ったし友達と雪合戦にも興じた

 

現在の呉は季節の変わり目がハッキリせず

今も12月だと言うのにあの頃のように寒くもない

昭和の時代は10月頃になると夜は寒く冬の装いだったが

今の呉の10月なんてTシャツでも過ごせるほどだ(笑)

あの時代は11月頃になると暖を取る為の冬支度を始めたもんだ・・・

 

 

1・股引(ももひき)

親父も穿いてたラクダのモモヒキ(笑)

当時はズボン下とも言ってたが今で言う所のヒートテックのセットアップ

色がラクダ色だからラクダのモモヒキと言うんだと思ってたが

元々は本物のラクダの毛で作られていたからだそうだ

 

2・毛糸のパンツ

これは男の子はあまり穿かなかったと思うが冬場に女の子の

スカート捲りをすると大概の女の子は毛糸のパンツを穿いていた(笑)

 

3・半纏(はんてん)

現代のように衣料品の素材が高性能じゃなかった

昭和の時代は家に居る時も半纏を羽織っていたものだ

丹前(たんぜん)や褞袍(どてら)とも言われたが・・・?

 

4・オイル式カイロ

現在主流の使い捨てカイロなどまだなかった当時

注油したベンジンをプラチナ(白金)触媒で触媒燃焼させる事で

発熱保温させる原理のオイル式カイロで外出時は暖を取った

大阪に本社を置く(株)ハクキンカイロ製が有名だ

 

5・火鉢

さすがにウチにはなかったが

近所に住んでた祖父母宅は火鉢を使ってた

お祖父ちゃんが火鉢に手をかざしながら

時代劇を観ていた光景を今でもよく覚えている

火鉢に鉄網を敷いてよく餅を焼いてくれた

 

6・石油ストーブ

当時の一般家庭が暖を取る定番だったのが石油ストーブ

往々にして灯油は屋外に保管されてたからストーブが灯油切れになって

外に取りに行かされるのが寒くて嫌だった

 

7・赤外線炬燵

当時のコタツは赤外線で赤く光るのが当たり前だった

コタツ台やコタツ布団、カバーの類は何故か暖色色系が多かった

 

8・エアコン

僕のイメージでは一般家庭にエアコンが普通に取り付けられるように

なったのは昭和50年代の終わり頃だったような気がする

その頃のエアコンは家具調の茶系や木目の物が多かった

 

9・湯たんぽ

体を温めるために湯を入れて使用される

湯たんぽは当時殆どが金属製だった

 

10・行火(あんか)

炭火を内蔵した一人用可搬型の採暖用保温具

湯たんぽ同様布団などに入れ直接手足に当てて暖をとる

ウチは豆炭を使う物を使っていたが僕はこれで足に大やけどを負った(笑)

 

11・電気毛布

湯たんぽや行火を卒業して電気毛布になったのはいつ頃だったろうか?

小学校の高学年頃には使ってたような気がするが・・・

 

12・クリスマスツリー

クリスマスツリーを飾る頃になれば冬支度はほぼ終わり

今思い出してみればチープなツリーだったがワクワクしたな~

ツリーのトップには星、色とりどりの電飾

キモかわいいサンタ(笑)、綿を千切って雪に見立てる

で、クリスマスツリーを片付けたらお正月!

 

これらの中には今でも進化して使われている物もあるし

時代の産物になり消えたなった物もある、時代性ですね~

ジャンジャン!!